A級戦犯7人絶筆:東条英機「全く相済まぬ」 金沢で公開
毎日新聞 2015年09月23日 11時15分(最終更新 09月23日 11時30分)
終戦直後、巣鴨拘置所の教誨(きょうかい)師として日本人で唯一、東条英機らA級戦犯7人の最期を見届けた仏教学者、花山信勝(しんしょう)氏(故人)の生家の宗林(そうりん)寺=金沢市=で、A級戦犯の絶筆や遺書など二十数点が一般公開されている。戦後、同寺で厳重に保管され、戦後70年を機に「平和の大切さを再認識するきっかけにしてほしい」と初めて公開に踏み切った。【堀文彦】
A級戦犯の絶筆は、開戦時の首相の東条▽元奉天特務機関長、土肥原賢二▽元中支那方面軍司令官、松井石根(いわね)▽元陸軍軍務局長、武藤章▽元陸相、板垣征四郎▽元首相、広田弘毅(こうき)▽元陸軍次官、木村兵太郎−−の7人が1948年12月23日未明の絞首刑直前、両手に手錠をかけられた状態で1枚の紙に名前を連署した。公開されているのは複写のため文字が黒色だが、保管されている現物はインクを含ませた筆でしたためられ、文字は青色だという。
花山氏の著書「亡(ほろ)びざる生命」によると、当初、紙は7人の家族への「辞世」をと考え用意したが、刑執行まで時間がなく、「とっさの思いつきで『名前だけでも−−』と申した」とある。
東条の遺書は同年11月17日、花山氏に宛てて書かれ、5日前に軍事法廷で下された死刑判決への受け止めや国家、国民への思いがわら紙原稿用紙に鉛筆でびっしりつづられている。「一応の責任を果(た)し『ホット』一安心」とする一方、「同胞のことを思う時、私の死刑によっても責任は果たされない。全く相済まぬことと思っている」と心情を吐露している。
この他、7人が処刑直前に口にした米国産ワインの空き瓶や、東条が詠んだ直筆の句、巣鴨拘置所に安置されていた仏像(高さ約10センチ)なども展示されている。
研究者や報道関係者らに限って観覧が認められてきたが、今年5月ごろから本堂地下室で公開を始めた。
公開を決断した花山氏の孫で宗林寺代住職の勝澄(まさずみ)さん(59)は「信勝の孫として平和がどれだけ尊いのか伝える責任を果たしたい。公開するには長い時間の経過も必要だった」と話している。
見学は要予約で拝観料500円。問い合わせは宗林寺(076・221・8650)。
◇花山信勝氏(1898〜1995年)
東京大名誉教授(日本仏教史)で、浄土真宗本願寺派「宗林寺」12代住職。東京帝国大助教授時代の1946年、GHQ(連合国軍総司令部)と日本政府に任命され、巣鴨拘置所の教誨師に就任した。収容されていた戦犯に仏法を説いたり、対話を重ねたりして、A級7人と捕虜虐待などの罪に問われたBC級27人の計34人の刑死をみとった。教誨師としての日々を自著「平和の発見」や「亡びざる生命」などで詳述している。
◇A級戦犯
太平洋戦争の戦勝国が日本の政治・軍事指導者を裁いた「極東国際軍事裁判」(東京裁判)で起訴された28人の被告をA級戦犯と呼ぶ。国際法上初めて導入された、「侵略戦争を計画・遂行」した責任を問う「平和に対する罪」に問われた。1946年5月開廷の裁判は、48年11月に判決が言い渡され、死亡・病気で免訴となった3人を除く被告全員が有罪となった。東条ら7被告に対する死刑は、戦争犯罪容疑者が収容されていた東京・巣鴨拘置所で執行された。