こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。いつのまにかシルバーウィークなんて言葉がゴリ押しされちゃってますけど、いかがお過ごしでしょうか。私は人混みや行列は苦手です。連休はどこも混むので観光地にも繁華街にも出掛けず、もっぱら家でテレビと本、ときどき音楽。
『「昔はよかった」病』の余韻も冷めやらぬなか、本日は、来月発売になる新刊の予告です。自分の本の宣伝ばっかりでしつこいといわれるかもしれませんけど、出版社は基本的にベストセラー作家の本しか宣伝してくれません。私のようなB級・C級ライターは自分で宣伝しないとね。
3か月で次の本が出るのは私としては珍事なのですが、特別がんばって執筆したわけじゃありません。書き上げたのは半年前です。
新作は、すでにネット書店などでは予約がはじまっているようですが、10月7日発売予定の『エラい人にはウソがある 論語読みの孔子知らず』(さくら舎)。
さくら舎という出版社はごぞんじないかたも多いかもしれませんが、会社として独立する前、大和書房の社内で編集プロダクションみたいな活動をしていたみなさんです。そのときに私は『日本列島プチ改造論』でお世話になりましたので、今回は2度目の仕事なんです。
『エラい人にはウソがある』はサブタイトルにもあるように、孔子と『論語』を文化史・社会史の視点と手法を使って読み直してみよう、評価し直してみようという企画です。歴史的に正しい孔子、ありのままの孔子、がテーマです。
日本のみなさんは学校の漢文や歴史や道徳の時間に、孔子は古代中国のエラい思想家であり、『論語』は孔子のありがたいお言葉が詰まったとてもありがたい本なのだと教えられます。エラい人のありがたい教えなので、くだらないなどと批判するのは失礼だとされます。
これこそが儒教道徳のイヤラシさ。エラい人はエラいのだ。年長者や先人はエラいのだから批判はまかりならぬ、と自分たちの主義主張を強引に正当化するんです。
いまの日本社会を作った先人やお年寄りに感謝しよう、なんてのも、儒教道徳に基づいた一方的な主張です。先人やいまの年寄りが、いかに日本社会をぶち壊してきたかという暗黒面について指摘すると怒られるのです。
そういうわけで、孔子や『論語』も批判をまぬがれてきたのですが、歴史的に検証すると、孔子がエラい人だったことを示す証拠はひとつもありません。日本で一般に知られている孔子の輝かしい経歴や武勇伝は、ほとんどが後の世の信者による捏造です。歴史家が事実と認定したことは、ごくわずかしかないんです。そのわずかな真実をつなぎ合わせると、孔子の意外な実像が見えてきます。
そもそも孔子は思想家ではないし、儒教の祖でもありません。大司寇という、法務大臣兼防衛大臣のような高い地位についていたというのも、作り話であるとほぼ確定。
じゃあ、孔子は何者だったのか? 歴史的事実から、私がもっとも実態に近いと思うのは、「葬祭ディレクター」か「宮廷マナーコンサルタント」、もしくは「マナー講師」です。
葬祭マナーの専門家にすぎなかった無名のおっさんが、なにを血迷ったか「中国の王に、オレはなる!」と宣言し、妻子を残して弟子たちと仕官先を探す大冒険の旅に出たものの、だれからも相手にされず、失意のまま生涯を終えたという、なんともはちゃめちゃで哀しい物語。それが孔子の真実です。
知らないことを質問されると知ったかぶりで切り抜けようとする孔子(しかもバレるし)。
出世した弟子に嫉妬して、いじわるなことをいう孔子。
そのくせ、弟子に面と向かって強く叱ることができず、陰口をいう孔子。
ちっともエラくないどころか、かなりのポンコツおじさんなんだけど、徹底した非暴力平和主義を貫いた人でもありました。孔子は弟子を叩いたりしませんし、死刑も戦争も否定しています。戦乱の世のまっただなかで平和主義を唱えていた勇気だけは、私はとても買っているのですが、そんな孔子の気骨ある一面は、これまでほとんど語られてきませんでした。
そのほか、江戸時代前半まで孔子はほとんど知られてなかったことや、渋沢栄一の業績が『論語』の思想とはまったく無関係だったことなど、儒教信者が隠してきた数々の真実をあかるみにし、孔子と『論語』のイメージがガラリと変わることうけあいの新作、『エラい人にはウソがある 論語読みの孔子知らず』。ご期待ください。
[ 2015/09/22 09:55 ]
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