今月18日深夜、安全保障関連法案への賛否を問う投票が行われていた参議院本会議場で、一人の若い野党議員の突発的な行動に人々の視線が集まった。髪を短く刈り、喪服を連想させる黒いスーツを着た、生活の党(正式名称「生活の党と山本太郎となかまたち」)の山本太郎共同代表がその人だ。
山本氏は、自分の席から議長席までの十数歩ほどの距離を6分もかけてゆっくりと歩き、投票を終えた後、無表情で見守っていた安倍晋三首相に向かって数珠を手に焼香するようなまねをし、深々と頭を下げた。17日の参議院特別委員会で「自民党が死んだ日」と書いたプラカードを掲げ、安全保障関連法案の強行採決に抗議した山本氏は「死んだ自民党のために(18日には)告別式を行う」と説明していた。
2013年の参議院議員選挙に無所属で出馬し当選した山本氏は、映画『バトル・ロワイアル』などに出演した元俳優だ。1991年にデビューして以来、約50本のドラマと約40本の映画に出演した。カン・ジェギュ監督の映画『マイウェイ 12,000キロの真実』では旧日本軍の軍人を演じ、韓国でも顔が知られることになった。在日韓国人の若者を描いた映画『GO』や、ソル・ギョング主演の映画『力道山』などにも出演し、韓国とも縁が深い。
大胆な演技で人気を集めた山本氏は2008年、人々から袋叩きに遭った。読売テレビのバラエティー番組に出演した際「竹島(独島)は韓国にあげたらよい」と発言したためだ。山本氏のブログは「売国奴、お前の国(韓国)に帰れ」となどと非難するコメントで埋め尽くされた。攻撃がやまなかったため「気分を害された方々に申し訳ない」と謝罪したが「独島は韓国の人たちが、何があっても守ろうとする島であり、そのために政府と国民が団結して闘っている」というそれまでの立場を変えることはなかった。
2011年、福島第一原子力発電所で事故が発生したのをきっかけに、俳優から反原発運動家へと転身した。反原発運動は山本氏の俳優としての経歴に大きな打撃を与えた。テレビ番組や映画への出演要請は途絶え、収入も10分の1にまで減った。だが、それにめげることなく、12年からは本格的に政治闘争に身を投じた。そして翌年、無所属で参議院議員選挙に出馬し、原発の恐怖を身をもって感じた市民たちは「原発をなくそう」という山本氏を積極的に支持した。
2013年10月、山本氏は東京都内で園遊会(天皇・皇后主催の野外社交会)に招かれた際、天皇・皇后に近寄って1通の手紙を差し出した。付き添っていた侍従長が止める隙もないほど、一瞬の出来事だった。手紙は「原発事故の現場で働いている労働者たちが過酷な環境のため健康を悪化させている」という内容だった。これによって山本氏はまたも批判にさらされた。「国の象徴」である天皇に対して無礼だという理由だ。昨年には議員の数が足りず消滅の危機に瀕していた「生活の党」に入党し、共同代表に就任、安全保障関連法案の強行採決に当たってまたも存在感を発揮した。