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5. 多文化共生

2007.08.30

日本の図書館で、手話の本がどこの書架に設置されているか、ご存知だろうか。日本十進分類法(NDC)に基づいて書架に入っているため、手話の本を探すには、次のように探していくとよい。

300 社会科学>370 教育>378 障害児教育>378.2 言語障害児教育>378.28 手話

この378.28の書架には、「やさしい手話」みたいな名称の入門書(なぜか業界は「やさしい」と付けたがる)から、文法的に説明した中・上級書、辞書までが取り揃えてある。

それにしても、手話は言語障害児教育のためだけに使われるものではない。というか、ろう児の「教育言語」としてきちんと位置づけされていないのに、本だけ378.2の下に置かれている。ちなみに、ろう児は「障害児じゃない!」と言われることもあるが、現状を見たら「書記日本語障害児」と言えそうな子どもが多くいる(そうではない子どももいるが)。そのための教授言語(媒介言語)として手話を必要としている。だから、「ろう教育における手話」という狭い範囲で見れば、「378.28 手話」は妥当な分類だ。けれども、成人向けの「医療で役立つ手話」のような本は、378.28に置くのは明らかに不自然である。

手話は日本語や英語などのように1つの言語だと言われる。言語の場合は、まず1次区分が「800 言語」となる。英語であれば「830 英語」であり、英文法ならば「835 文法. 語法」、英会話ならば「837 読本. 解釈. 会話」に分類される。更にそれぞれの下位分類が細かく分かれている。手話の本が「378.28」で一括されてしまうのは、研究があまり進んでおらず、更にその成果が書籍化されていないことにあるのだろう。日本には、そういうことを本に書ける人があまりいない。

世間一般の人々の分類を見ると、「手話を学ぶこと=ボランティア」「手話を学ぶこと=社会福祉」という意識がまだ少なからずある。

ただし若い世代の場合、意識変化が起きているようで、それはそれで困った事態になっている。というのは、「手話を学ぶこと=言語学習」になったのはいいのだが、聞こえない人が直面している問題に目を向けない、ただの「興味・関心」で学習してしまう人が増加していることだ。学習する人全員が通訳者になれ、などと無茶苦茶なことを言いたいのではない。実際に通訳活動をする必要はないが、興味・関心だけで手話の言語的な学習をして、聞こえない人の問題を「知らない」「考えない」ことだ。これは、大抵の聞こえない人にその態度から伝わってしまう。誤解がないように添えておくが、きちんと問題を考えている若者もいる。

「ろう者」の分類に関しては、ろう者自身の現場サイドでまだ揺れ動きがある。断固として「言語的少数者」という表現を譲らない人もいる。一般の人に分かりやすいように説明する時には「聴覚障害者」と言い換える人もいる。ただ、どんなに言語的少数者と言い張っても、手帳は「身体障害者手帳」だ。言語的少数者の人口を把握したり、彼らに対する通訳制度を整備したりする行政機関が「厚生労働省」なのも、何だかおかしな話である。うまく取り扱える行政機関はないものか。

まだ新しい取り組みではあるが、総務省が多文化共生推進プログラムというものを提言している。私はこのプログラムに、今まで行政が「聴覚障害者」として扱ってきた人々とその周辺問題を、ぜひとも移行して取り扱ってもらいたいと思っている。では、多文化共生推進プログラムとは一体何なのか。

「多文化共生」は、少し前までは「国際交流」や「外国人支援」とも呼ばれていた。しかし、「国際交流」は外国人をお客様扱いして交流する、「外国人支援」は日本社会で困っている外国人を支援しようとするものだった。それらが多文化共生とどう違うのかは、総務省の報告書から分かる。

地域における多文化共生とは、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」とする。
(「多文化共生の推進に関する研究会報告書」2006年3月 総務省)

実際の活動は、総務省が方針をまとめて指示し、都道府県や市区町村がそれに従って実際に動く、という感じだ。もちろん、国際交流協会やNPOなども協力する。「多文化共生」というと聞こえはいいが、現場ではまだ従来の体制を引きずっているところも多い。今後の対応に期待したいと思う。

実は、多文化共生推進プログラムは、ろう者の問題とよく似た問題が多く扱われている。情報の多言語化(手話通訳)、日本語・日本社会学習支援(日本語と聴文化の学習支援)、教育(子どもの日本語学習)、労働環境、防災、社会に対する意識啓発(聴者に対する啓発)、外国人住民の自立と社会参画(聞こえない人の自立と社会参画)などが共通している。労働や防災、啓発や自立などの問題は、他の障害者とも共通するため、聞こえない人の問題は厚生労働省で扱うべきだ、となるかもしれない。けれども、言語と文化の問題は、外国人住民の多文化共生推進プログラムの方が、類似した問題を持っており、総務省管轄の方が良いように思う。

ただし、多文化共生推進プログラム聞こえない人部門(?)では、手話通訳者養成などの施策が非常に重要であることが、外国人住民部門(?)のプログラムとは異なる。もちろん、ここでいう手話とは、多文化・多言語社会を構成している言語のうちの一つだ。

また、子どもの日本語学習支援という点では、日本語が母語か、日本語が第二言語かで教授法が異なってくる。日本語を母語とせず、第二言語として学習することを、この世界ではJSLという。手話の世界でJSLといえば、Japanese Sign Language(日本手話)のことだが、多文化共生の世界でのJSLは、Japanese as a Second Languageだ。多文化共生でいうところのJSL(第二言語としての日本語)は、この世界でも教える方も教わる方も苦労している。ろう教育と類似した問題を抱えており、私にとっては他人事ではない問題に思えてくる。

忘れてはならないのは、こうした多文化共生家庭の中にも、ろう児や難聴児は生まれてくる可能性がある、ということ。逆に、多文化共生家庭の親が、聞こえない人である場合の可能性もある。どちらにしても、更に日本語学習は困難になり、親子間のコミュニケーション方法も多様になるだろう。もちろん、別の「障害」を持った親や子どもがいる家庭もある。

多文化共生の考え方に共鳴し、言語や文化の問題の共通点から、多文化共生推進プログラムに従来の「聴覚障害者」問題を移行する方がいいと述べてきた。けれども、実際問題として、まず行政が動きそうにない、無理な理想論であることは分かっている。移行は諦めて、従来の厚生労働省管轄の中で、総務省の多文化共生推進プログラムの良いところを吸収していく、というのがまだ多少は現実的であろうか。

ところで、最初の日本十進分類法(NDC)の話に戻ろう。「378.28 手話」は、「378 障害児教育」の下位区分にある。障害児教育(特別支援教育)は、行政の管轄でいうと文部科学省の管轄だ。従って、「378.28 手話」も文部科学省管轄となりそうなものなのだが、現実にはどういうわけか、厚生労働省が取り扱っている。厚生労働省が手話を取り扱うならば、NDC分類では「369 社会福祉」やそれ以下の区分になるだろうか。分類は、2次区分の「360 社会」と「370 教育」の段階からすでに異なっている。さて、手話の取り扱いにおいて、NDCと行政、どっちが変? あるいは、どっちも変?


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