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「今でも日本軍の悪夢を見る」「必ず謝罪を」…韓中の慰安婦被害者が対話(1)
2015年09月21日10時16分[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
中国人慰安婦被害者の卓天妹さん(右)と韓国人被害者の姜日出(カン・イルチュル)さんが17日夜、上海で会った。2人は辛かった過去について話し出そうとしなかった。お互い健康を尋ねて心配し、「日本の謝罪を受けるまで長く生きよう」と話した。 |
「体験しなければ分からないだろう。一日一日が人間の生活ではなかった」。卓天妹さんは涙を拭いながら証言した。中国最南端・海南島の少数民族、黎族の村に暮らしていた卓さんが付近に駐留していた日本軍に強制的に連れて行かれたのは14歳の時だった。日本軍は幼い卓さんに最初はお手伝いをさせた。井戸で水をくみ、洗濯と皿洗い、庭の掃除などが卓さん業務だった。ある日の夜、酒に酔った数人の日本軍が卓さんに集団で性暴行した。
「全身が震えて汗でぬれた。泣きたくても声が出なかった」と振り返った。その後は毎日、同じことの繰り返しだった。言うことを聞かずに逆らえば日本軍は殴ったり罰を与えた。こうした生活が4年間続いた。日本軍が退いた時、一緒に連れて行かれた7人の幼い少女のうち生きていたのはわずか2人だった。家に帰ると両親は亡くなっていて、兄弟はばらばらになっていた。幸い、村の青年と結婚し、1男4女が生まれたのが、卓さんのつらい歳月を支えた。
何度かの証言で国内でもよく知られている姜日出さんも卓天妹さんと変わらない。慶尚北道尚州(サンジュ)干し柿農家の裕福な家庭で7兄弟姉妹の末っ子として生まれ、みんなに愛されていた姜日出さんの人生も16歳の時に変わった。中国吉林省の慰安所に連れて行かれた姜さんは「腸チフスにかかって軍人を相手にしなくてもよいのがよかった」と回想するほど、さまざまな苦難を経験した。中国にしばらく残っていたが故郷に戻った姜日出さんを待っていたのは誰もいない家だった。卓天妹さんの帰郷がそうだったように家族全員がいなくなった後だった。
「今でも日本軍の悪夢を見る」「必ず謝罪を」…韓中の慰安婦被害者が対話(2)