投稿主と屋上で話した者です。
性嫌悪と内なる加害性についてのブログを投稿することは事前に聞いていました。
内容もメールで送って下さっていました。
その点で心配して下さっている方が居たようなので伝えます。気にかけて下さってありがとうございます。内容が内容だけに色々な意見が出るのは理解出来ます。
自分が気付いて居ないだけでトラウマになって居るのかもしれませんが私は本当に大丈夫なんです…
性的嫌がらせを受けた事をずっと黙って居たのも、優しさでも何でもなく
家族に話す事、それによって大事な人(家族)が傷付く事の方が自分が傷付くと思ったから
言えなかったんじゃなくて、言わなかったんです。
今でも間違った選択はしたと思っていないし何度同じ事がおきても私は同じ選択をすると思います。
同じ様な経験をして私の話を聞いて不快に思う人も居ると思います。
ですがその人に、起きた問題をその人がどの様に解決するかはそれぞれのやり方があって良いと私は思うんです。耐えられなくて受けた被害を話して救われる人が居たとするなら
私は話す事が耐えられなくて「許す」という形で救われたんです。家族を嫌悪する自分に対する嫌悪が消えずに、嫌いになれなかった…受け入れたほうが楽だったんです
男性の性に対する事を否定する事は自分の大切な家族を否定する事に、なってしまうんです。それは嫌なんです。本当に私は嫌いになれなくて、否定する事も出来ないんです。
弱い人間なのかも知れませんが…
この考えに対して否定的な事を思うのも自由だし肯定的な事を感じるのも自由なんです、同じ人間は1人として居ないのだから
私は素直に、自分に胸の内を話した事によって救われる人が居たなら嬉しいと思いました。
それで相手が少しでも救われたのなら聞いてあげたいと本気で思っています。
私は確かにちょっとズレてたり変わってる人間なのかも知れませんが、
私は性被害に遭って無力で無知な歳下の女の子なのでしょうか…
私は人の悩みを聞いてあげる事が許されない立場なのでしょうか…?
この方が話した内容よりも
私に、、被害を受けている人に悩みを打ち明けた事に対して批判されているように感じてしまいました…
このような他人の悩み話を聞いて、
自分だったら耐えられない、嫌だと感じるのは自由だと思います
そういう人は居ると思います。
ですが「話を聞かされた人が可哀想だ」というのは違うと思うんです…他人がどう感じたかをいくら考えてもそれは当事者にしか分からないものです
直接本人に聞くのは良いと思いますが憶測で決めつけるのは怖い事だと感じます。
自分がどう感じたか、何を思ったかでしか正真正銘の真実は測れないと思います。
相手がこう思う可能性があるからしてはいけないんだ、とするのも大事な優しさだと思いますが
そればかりを考えていると色々な人の考えで雁字搦めになって誰も何も言えなくなってしまいます。
怖がらずに自分はこう感じている、思っていると発信する事は勇気がいる事だと想いますが大切だと思います
彼は一歩踏み込んで正直な自分の気持ちを教えてくれました、だから私も話せたのです
批判を言われるリスクが伴うのは仕方がないと思いますが、
だからこそ、真っ直ぐで本当の想いをどんな内容であれ言えたことはなかなか出来ることではないです。少なくとも私は彼のように自分を、分析して文章にして発信する程きちんとした自分を持っていません
私はこの行動は誰にでも出来る事じゃ無いと思います。批判でも、どんな意見だとしても自分がこう感じた、と言い合うことで、もっと沢山の人が意見を言い合えたら良いなと思います。
長文失礼しました。