東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 千葉 > 9月21日の記事一覧 > 記事

ここから本文

【千葉】

「平和の詩」歌い継ぐ 野田の三味線奏者・鶴家さんが作曲

沖縄の小学生の詩「へいわってすてきだね」を歌にして披露する鶴家奏英さん=流山市で

写真

 二〇一三年六月の沖縄「慰霊の日」に披露された、国内最西端の与那国島の小学一年生=当時、安里有生(あさとゆうき)君が作った詩「へいわってすてきだね」。島の豊かな自然と暮らしをつづり、平和の大切さを訴える詩。心を揺さぶられた野田市の三味線奏者の鶴家奏英(そうえ)さん(70)が今夏、曲を作り、歌として披露した。鶴家さんは「『へいわってすてきだね』という思いを歌に乗せ広く伝えていきたい」と話している。 (飯田克志)

 ♪へいわってなにかな。

 ♪ぼくは、かんがえたよ。

 流山市で十三日にあった地元の敬老会で、鶴家さんが沖縄の楽器の三線(さんしん)を奏でながら、歌にした安里君の「平和の詩」を初めて披露した。

 沖縄のポップスの響きを感じさせる叙情的な曲調に乗り、鶴家さんの語り掛けるような歌声が響いた。

 ♪へいわなおきなわ、

 ♪へいわなせかい、

 ♪へいわってすてきだね。

 ♪これからも、ずっとへいわがつづくように

 ♪ぼくもぼくのできることからがんばるよ。

 歌い終わると、聞き入っていたお年寄りから大きな拍手が湧いた。

 鶴家さんは二年前の慰霊の日の翌日、本紙朝刊に掲載された安里君の詩に見入った。「素直な平和への思いが伝わり、すぐにメロディーが浮かんだ」。沖縄の音楽を意識し、三線を手に作曲した。

 太平洋戦争のさなかに岩手県で生まれた鶴家さん。「金の卵」と呼ばれた集団就職で上京したが、趣味で始めた三味線が高じて三味線、民謡の世界に。作詞作曲も手掛け、教室を開き、後進を指導している。

 物心がついた時に戦争は終わっていたが、「親から戦争の悲惨さを聞いて育った」。世界でも戦火がやむことがない。それだけに「安里君の平和へのいちずな思いに心を打たれた」。

 戦後七十年の夏、譜面を完成させ、安里君の父親に送った。「安里君にも聞いてもらいたい」と願う。

 十九日に成立した安全保障関連法で、多くの市民が平和、戦争を身近な問題として考えるようになった。

 「戦争はやっていけない、それが私の一筋の思い。これからいろいろな機会に歌っていく。平和を考える集会でも歌ってほしい」と話している。

 

この記事を印刷する

PR情報