安全保障関連法が成立した後も、国会の周辺では若者らの抗議行動が続いている。与党の強行採決に、怒りや落胆は収まりそうにない。
その声を背に当の議員らは選挙区に戻っていく。国会も連休に入る。だが、決して問題が決着したわけではない。まずは与党である自民、公明両党議員に、なぜ「賛成」なのか、説明してもらわねばならない。
国民多数が支持してきた戦後日本の歩みを転換させたのだ。選択の重さを考えれば、当然の務めである。
憲法学者らの「違憲」との指摘に、安倍首相は「集団的自衛権の限定的行使で合憲」と譲らない▽武力行使の歯止めの論議では、時の政権の「総合判断」を連発▽後方支援の自衛隊が戦闘に巻き込まれそうになれば、活動を中断するという-。
核心部分で説得力、実現性に首をひねった国民は少なくないだろう。
参院審議では、ホルムズ海峡での機雷掃海など武力行使の具体例は現実味に欠けると認めざるを得ず、法制化を急ぐ根拠が揺らいだ。
それでも、与党内の無風状態は変わらないまま採決に突き進んだ。
首相らの答弁で「問題ない」と判断したと受け止めるしかない。ならば、その理由を述べてほしい。
さかんに語られた抑止力をめぐる論議でも、もどかしさが残る。
たしかに、日本を取り巻く安全保障環境は変わった。備えに欠陥があるなら、手直しは欠かせない。
とはいえ、こちらが強く出れば相手はさらに強硬になるだけではないか。日本が掲げてきた平和主義に基づく外交努力、徹底した対話こそ地域の安定に通じるのではないか。
法案への懸念と共に語られた別の道が「非現実的」と言うのなら、その論拠は何なのか。もっぱら危機を強調していては、今後も冷静で建設的な議論は望めないだろう。
「勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください」
先の参院・中央公聴会で、大学生の奥田愛基(あき)さんは述べている。
命や暮らし、さらに憲法や民主主義の命運がかかった選択と言っても過言ではない。間違っても党に従うといった理由で決めてほしくない、との訴えが伝わってくる。それは、国民が広く共有した願いだ。
安保関連法案を前に、どう考え、どう動いたのか。一人一人に、自分の言葉で語ってもらう番である。