平和主義に基づく戦後70年の日本の歩みを変える危うい道だ。 自衛隊の海外活動を地球規模に拡大する安全保障関連法が、成立した。歴代政権が禁じてきた集団的自衛権の行使に憲法の解釈変更で道を開き、戦後貫いてきた専守防衛の大原則から「海外で戦争ができる国」に踏み出すことを意味する。 国会内外の騒然たる反対の声に背を向け、国の在り方にかかわる安保政策の大転換が、衆院に続き参院でも政府・与党のなりふり構わぬ「数の力」で押し通された。極めて異常な事態で、許し難い。 新安保法制に対し、合憲性への疑義や中身の曖昧さ、積み残した多くの問題点から、国民の異議や憤りの声はやまない。この国の平和と民主主義の禍根にしないよう、その危険性を問い続けていかねばならない。
曖昧さ残す判断基準
根本的な問題は、集団的自衛権の行使に「違憲」の疑いが強いことだ。多くの憲法学者や元内閣法制局長官、元最高裁長官が違憲性を指摘し、憲法改正の手続きを経るのが筋と批判した。安倍晋三首相は「限定的であれば合憲」と強弁し続けたが、説得力ある論拠は最後まで示せなかった。 武力行使を限定したとする新3要件も「国民の権利が根底から覆される明白な危険がある」など抽象的だ。安倍首相はどんな場合が該当するか判断基準を明確に示さず、「総合的に判断する」と繰り返した。これでは政府の裁量が拡大し、際限なく海外での武力行使に突き進む懸念が拭えない。 他国軍への後方支援も武器、弾薬の提供解禁で一体的な軍事行動とみられ、攻撃される恐れがある。いくら政府が否定しても、他国の戦争に巻き込まれ、自衛隊員が殺し、殺されるリスクが格段に高まると多くの人が考えるのは当然だ。 たちまち不安が現実化するかもしれない。国連平和維持活動(PKO)は武装集団に襲われた国連職員らを助ける「駆け付け警護」も可能になる。防衛省は南スーダンでのPKOで来年2月にも任務拡大を検討しているとされるが、武器使用による隊員のリスクに加え、民間人を誤射した場合の処罰法令がないことも懸念されている。現地の人々の怒りを買い、外交問題に発展しかねない。 こうした法的な曖昧さや欠陥を残したまま、政府が安保関連法の成立を急いだことはあまりにも無責任というほかない。
目立った独善ぶり
違憲との指摘に対し、安倍首相は「安保環境の変化に対応するのは政治家の課題」と述べ、安保政策につじつまが合うよう憲法の解釈を変えたことをにじませた。それは側近の礒崎陽輔首相補佐官が「法的安定性は関係ない」として批判を浴びた発言とも底流でつながっていないか。 最高法規である憲法で権力の乱用を縛るのが立憲主義である。時々の政権が都合のいい解釈でねじ曲げることはあってはならない。 安倍首相は法案提出前の4月、同盟強化を先取りした日米防衛協力指針(ガイドライン)改定を行い、米議会で今国会での成立まで約束した。まさに国会軽視の行動だった。 また、国会審議は大幅な会期延長で衆参合わせ200時間以上を費やしたものの、口にする「丁寧な説明」にはほど遠く、自説に固執する答弁が目立った。 参院審議の最終盤でも、安倍首相は「国民の理解が広がっていない」と認めながらも早期の採決を促した。 「成立後は間違いなく理解が広がっていく」と繰り返しているが、国民を甘く見過ぎていないか。これまでの安保審議での答弁のような独善的な説明に終始する限り、理解は容易には進むまい。 安倍首相が新安保法制を進めた最大の狙いは、日米同盟の強化で海洋進出を強める中国への抑止力を高めることにある。 だが、米軍と一体となった武力行動や後方支援は、日本の平和国家のイメージを損なうことにもなる。相手方の反感を買い、世界各地で活動する邦人やNGOの安全が脅かされるリスクも考慮すべきだ。 安全保障は防衛力だけでなく、外交や政治、経済、社会など総合的な視点で進めることが必要だ。抑止力に偏れば緊張を高める。
国民の監視が重要に
一方で、民意とかけ離れた安保法制に危機感を抱き、声を上げ始めた人々が確実に広がっている。若い世代や母親らが個人の判断でデモや集会に参加し、自らの言葉で意思表明する姿を、新たな民主主義の芽と受けとめたい。その声を法成立後へとつなげていくことが大事だ。 「お任せ」ではなく、一人一人が平和や憲法、安保政策の在り方を考え、できる行動をする。その継続と広がりが、自衛隊派遣のなし崩し的な拡大を監視し、権力の暴走を抑えることにつながる。 来夏には参院選を控えている。いかに民意を政治に反映させていくか。各政党、各議員の行動を有権者たちは見つめている。
[京都新聞 2015年09月20日掲載] |