原発事故でふるさとを追われて4年半。
福島は今一つの転機を迎えようとしている。
9月5日政府は楢葉町に対する避難指示を解除。
無人の町となっていた楢葉町で住民の帰還が始まった。
福島第一原発の事故で全ての住民が避難をした自治体は7つ。
その中で帰還が認められたのは楢葉が初めてだった。
楢葉町は福島第一原発から南に20キロ。
今原子力に関わるさまざまな施設の建設が進む。
数十年かかると言われる廃炉作業の拠点として町の復興を推し進めようという計画である。
住民の中には家の新築や修理をする人も現れている。
避難をしている間に荒れて住めなくなってしまった家が少なくない。
ふるさとに帰ろうと思えばまず住む家を確保する必要があった。
戻ってきたのは人間だけではない。
この寺では住職と一緒に避難していた本尊の阿弥陀仏が寺に戻った。
この日を待ちわびていた住職。
町の復興に期待を寄せていた。
明日の朝から仏様いるとこでお勤めできる。
一方で当面は楢葉に戻らないと決めた人たちもいた。
猫に餌をやるために避難先から通ってきているという老夫婦。
壊れた家の修理はしていない。
(取材者)誰に?息子に。
原発事故で失われた生活を取り戻す事はできるのか。
いまだかつてない課題に向き合ってきた楢葉の人たちの一年を見つめた。
楢葉町から南に30キロ。
いわき市は人口34万福島県浜通りの中核都市である。
原発事故以前楢葉町には8,000人近くが暮らしていた。
その多くがこのいわきで避難生活を送ってきた。
私たちが楢葉の人たちのもとに通い始めたのは去年の夏の事だった。
愛犬クマを散歩に連れ出したのは楢葉町に古くからある寺の住職早川篤雄さん。
長引く避難生活で5キロも痩せてしまったという。
なんでなんだかねえストレスだなあ…。
(取材者)やっぱりストレス感じます?いや〜感じるよ。
ほんとに年中イライラしてるからさ。
しゃくに障る事ばっかりでさ。
自身の健康管理も兼ねて朝夕のクマの散歩を欠かさない。
いわきでの避難生活にはもう飽き飽きだとさみしく笑った。
こっぱずかしいんだわ。
片づいてないんだわ。
片づけようがないから。
ほらこんな状態だもん。
ほらこんな状態だもん。
ここに入ってんだ。
ほらこれ。
仏さんの脚だ。
早川さんは寺の本尊を2DKのこのアパートに運んで保管してきた。
泥棒が…その次の日から泥棒騒ぎになるわけだな。
全戸泥棒が入るわけだ。
(取材者)人がいなくなった所に。
「あっ仏像持っていかれたら大変だ!」と思って。
(取材者)それで取りに行かれたんですか?これ持っていこうとしたら簡単だから。
人も仏もいつまでもこうした暮らしを続けるわけにはいかない。
誰よりも早く楢葉に帰って復興に役立ちたいと考えていた。
楢葉なんかの場合は除染を徹底すれば住めるはずだから住めるようにしていくという努力もね。
100%元の現状に復する事がなくてもたとえ半分でも1/3でもやっぱり残そうと。
住めるようにしなくちゃいけないと。
やっぱり復興を願わない復興のために努力しないわけにはいかないから俺たちの年代俺たちの世代っていうのは町長さんらの年代も含めて人柱になんなくちゃなんないべと。
とんでもない事故があったけどもその時代の人たちが一生懸命環境を整えてくれたからまた再び住めるようになったなあと。
楢葉町は全住民が避難を続けている自治体の中では最も放射線量が低い。
屋根の瓦についた放射性物質を拭き取りコンクリートを洗う。
汚染された土は取り除いて新しい土を入れ除染を進めてきた。
その結果目標としていた放射線量の半減を達成している。
去年の夏頃から楢葉町では修繕をしている家が目立ち始めた。
放射線量が下がった事を理由に昼間は町への立ち入りが認められていた。
避難生活が長引く中で空き家のまま放置されていた家は傷んでいた。
家の修繕にかかる費用は東京電力が補償する。
この機会に家を直し帰る日に備えようという人たちが増えていた。
去年7月無人の町だった楢葉町に仮設の商店街がオープン。
食堂が2軒とスーパーマーケットが営業を再開した。
少しずつ昼間のにぎわいが戻り始めた。
JR常磐線の駅前で店の修理を始めた人がいた。
床屋の坂本弘二さん72歳。
親の代からここで店を開いてきた。
妻と息子は美容師をしている。
(取材者)あっこれから塗り直すんですか?
(取材者)このひびは地震の時ですか?
(坂本)そうだと思うよね。
原発事故で突然断ち切られた一家の暮らし。
客が楢葉に戻ってくるならもう一度ここでやり直したいと考えていた。
(坂本)いつみんな来たら…どうかな…これ。
真っ黒いの。
楢葉の人たちばかり240世帯が生活している…その一角に造られた建物ではパン屋やスーパーマーケットなどが営業している。
みんな楢葉で商売をしていた人たちだ。
坂本さんもここで仮設の店を開いていた。
(取材者)この椅子は向こうから持ってこられた?
(坂本)これそうです。
(取材者)じゃあだいぶ長い間使ってらっしゃった椅子ですか?
(坂本)あぁそうですね。
客のほとんどはいわきに避難している楢葉時代の常連客。
この人は今市民住宅か何かの…市営住宅か何か借りて入ってる。
(取材者)じゃあわざわざ今日はこちらにいらっしゃった?お客さんの一員ですから。
アハハハッ。
(取材者)結構皆さん他の所から来て下さるんですね。
あぁそうですね。
私を選んで来てくれるんだからありがたいですね。
あと何年できるか精いっぱい働かないと。
(客)あと30年だな。
上荒川仮設住宅団地の集会場でこの日住民説明会が開かれた。
町が主催するネズミの駆除に関する説明会。
楢葉町の留守宅には事故以来大量のネズミが発生して家を荒らしていた。
家に帰るためにはまずネズミや害虫の駆除から始めなければならなかった。
こちらにありますベイトボックス。
ここに入り口あって中に餌置き。
周りから周りのネズミもいなくなると。
最近になって…で何だかは分かんなくて…。
ネズミより大きな何かが家に入り込んでいると訴えたのは猪狩慶彦さん親子である。
イノシシと屋外で寄生する害獣イノシシなんかと屋内に入ってこの屋根裏で生息してるまあその…はっきり分かんないです。
猪狩さん一家が異変を感じたのは夏の初めの事だった。
母の洋子さんが掃除をしようと楢葉に帰ってきた時何者かが住み着いている気配を感じたという。
あそこは色変わってますよね。
(取材者)はい?天井?はいはい。
そこですね。
これは初めて気が付かれた?ネズミはほらカサカサカサカサッと行くでしょう?それがトントントントンって行く感じの人間が歩くような感覚っていうような感じだったね。
天井板は何者かが発する湿気によってたわんでいるように見えた。
人間がいなくなった町には野生動物が爆発的に増えた。
ネズミやイノシシなどによって家を荒らされるケースが続出していた。
原発事故以前には町に姿を現さなかったニホンザルも今や我が物顔である。
猪狩さんの家では留守宅にビデオカメラを設置して屋根裏に潜むものの正体を探る事にした。
こんなにはっきり映ってるんだ。
屋根裏に住み着いていたのはアライグマだった。
しかも繁殖をしていて少なくとも3匹の子供がいるのが確認された。
涙が浮かんでくる…。
カメラ回ってるのに。
猪狩さん親子は専門の業者に依頼しアライグマを追い出し二度と家に入れないようにするため出入り口を塞いだ。
ばかにならない費用がかかったがこれで安心して住めるようになるはずである。
早川篤雄さんは毎日片道1時間近くをかけて楢葉に通い荒れたまま放置してきた寺の手入れを始めていた。
(取材者)いつも大体この軽トラで?通勤はこれで。
(取材者)何かお坊さんで軽トラって変わってますね。
俺あの…あれだ。
お葬式に行くのもこれだ。
原発事故の翌日3月12日に避難指示を受けて命からがら逃げ出した道を逆にたどって向かうふるさとの町。
早川さんが住職を務める宝鏡寺は室町時代初めの開山とされる。
早川さんはこの寺の第30代の住職。
開山以来600年を超える歴史の中でこれだけ寺が荒れ果てた事はなかったはずだと嘆く。
(取材者)結構草ボウボウですね。
(早川)情けない。
ほんとに参った。
早川さんは山寺の静かなたたずまいを愛し長年手塩にかけて庭などの手入れをしてきた。
3年半でこんなあんばいだよ。
こんな大木になっちゃう。
桐は育ちが早いから。
その努力を一瞬にして水泡に帰したのが原発事故だった。
8月の盆が近づくと妻の千枝子さんも帰ってきて庭の手入れを手伝った。
何ていってもやっぱり3年半ですもんね。
何にもしないで部屋の中で過ごすっていう期間が私ら年寄りは余計にこたえますね。
若い人ならともかく3年間何にもしなかったらそれこそ動けないっていう…。
檀家が130軒の小さな寺だが盆には多くの人たちが墓参りに訪れるはずである。
あ〜ほんとだ。
(千枝子)いつもお墓参りの日は結構晴れてる日が多いので朝早くからおいでになるからいわきから来ると1時間かかりますからねやっぱりね。
盆の13日はいつもと違う日。
避難指示が続く楢葉町に人々が帰ってくる日だ。
この時期は特例として町内で宿泊する事が認められている。
狭い仮設住宅やアパートを離れて我が家に泊まった人たちもいた。
おはようございます。
(早川)おはようございます。
早川さんも原発事故以来初めて寺に泊まり込んでいた。
この土地に眠る先祖に日頃の無沙汰をわび近況を報告する。
いっとき失われた時間を取り戻したようにも見える盆の一日。
しかし楢葉の人たちには拭いきれない不安があった。
事故を起こした福島第一原発の存在である。
汚染水が漏れ続け溶け落ちた燃料棒の状態が分からないなど事故が収束する見通しが立たない。
しかも廃炉まで何十年かかるのか本当のところは誰にも分からなかった。
万一不測の事態が起きるような事になれば再び楢葉から避難する事にもなりかねない。
更に町じゅうに積み上げられた廃棄物が不安を増幅していた。
除染の結果生じた放射能を帯びた大量の土や廃棄物。
耐用期間が3年と言われる袋の中には既に破損したもの木が生え始めたものまであった。
当初は3年で運び出す約束だったが国が造る中間貯蔵施設の建設が遅れているため運び出しのめどは立っていない。
この廃棄物があるかぎり楢葉には帰れないという人たちが少なくなかった。
住民帰還に向けての動きが本格化したのは今年の春だった。
国は4月から帰還準備のため町内での宿泊を認めた。
351世帯人口のおよそ1割に当たる781人が宿泊の届け出をした。
誰よりも早く楢葉に帰りたいと話していた早川さんは準備宿泊の制度に応じて寺での寝泊まりを始めていた。
(早川)これね…。
こんな香りがするんですよ。
このてっぺんだったら今でも食えるで。
やわいから。
(取材者)独特の香りですね。
これ漬け物にするとね…。
(取材者)あっうまい!うまいでしょ?これうまいんだよ。
早川さんは今年の春原発事故後初めて山菜を採った。
専門家に依頼して放射線を計り安全を確認して食べた。
ミョウガこれこれ。
この間安斎先生来た時に出てなかったから。
今これ…。
これをみそ汁にね。
かんでごらん。
すっげえミョウガいい香りするから。
このはかまのとこ取るわけ。
(取材者)これですね。
(早川)これが山ウドだ。
こんな育っちゃったらここが固いけどここのところを天ぷらにしたらうまいの。
(取材者)芽のとこですね。
ゼンマイを除けばほとんどの山菜が政府が定めた放射線基準を下回っていた。
(早川)それでここを皮をむいて生みそをつけて食うわけだ。
(取材者)生のままウド食うんですか?
(早川)そうそう。
生のまま食うんだよ。
(取材者)アク強くないですか?アク強くないよ。
そんなに大量に食うわけじゃないからこれはうまいんだよこれが。
しかしわざわざ計ってまで山菜を食べている者は他にいなかった。
いち早く帰ってきた早川さんだが不安と背中合わせの暮らしにむなしさを感じ始めていた。
例えばタケノコが出たらば僕の場合でも東京にいる孫に初物させたいっていうんで送るわけだ。
そういう事を誰もやらなくなっちゃった。
できないわけだ。
帰ってきてもね。
僕もやらない。
だってそれは娘や婿殿が快く思わないでしょ。
誰も送らないよね。
戻ったからといって現状避難前の生活がそっくり戻るわけでも何でもない。
全然追い出された時の生活環境ではないわね。
そこが寂しいよね。
えも言われない寂しさがあるよね。
早川さんは1年がかりで寺の手入れを続けてきた。
荒れ果てていた寺は少しずつかつての姿を取り戻しつつあった。
この日は原発事故後に84歳で亡くなった男性の三回忌の法要である。
遺族は避難のため各地にちりぢりになっている。
参列者2人のちょっと寂しい三回忌になった。
(読経)本尊の阿弥陀仏がいない本堂に和尚の読経の声が響き渡った。
判次さん戦後ね大変な苦労の中でね生活された。
(早川)最後に原発で避難させられてさ仮設でねお送りしなくちゃなんない事に何としても残念だったですよね。
でもクマノさんばっかりでなくて震災後避難後35人ほどねこのお寺でも亡くなってるんだけど27〜28人がみんな関連死なんですよ。
まことに残念と…でこの申し訳ないけども泥棒にあうと困るんで仏様もね避難しておってねでお花も飾ってなくて大変すみませんでした。
しかし心でご供養をお互いにいたしましたのでご安心頂けると…。
いわき市の上荒川仮設住宅団地。
こんにちは〜ネモトで〜す。
ご苦労さまです。
その一角に仮設の障害者支援施設が建っている。
早川さんの妻千枝子さんはここで障害を持った人たちの支援活動に従事している。
そのため準備宿泊が始まっても夫と共に楢葉に戻る事はできなかった。
もらってってもらっていい?はい分かりました。
もともと早川さん夫婦は楢葉で障害者支援施設を運営していた。
知的障害者精神障害者94人が利用して豆腐を作るなど自立に向けた活動を続けていた。
それが原発事故によって避難せざるをえずいわきに新しい拠点を設けたのである。
避難指示が解除された時障害を持った人たちはどうするのか。
今後の見通しが立たず千枝子さんは苦慮していた。
(取材者)あっお帰りになりましたね。
こんにちは。
(千枝子)お帰りなさい。
大丈夫でした?大丈夫みたい。
まあまあどうにかもった?はい。
よかった。
(取材者)こんちは。
お帰りなさい。
ただいま。
6月政府の主催で帰還についての住民懇談会が開かれた。
国はこの日初めて帰還の具体的な日程を明らかにした。
帰る条件が整った事を理由に8月の盆前に避難指示を解除したいというのである。
避難に伴う賠償金は当面打ち切らず2年半後の2018年3月まで支払うとした。
皆様から頂いたご意見を受けまして帰還に向けた環境整備を着実に進めるという事をやってきております。
質疑応答の撮影は禁じられた。
しかしこのあと住民からは放射線に対する不安医療や商業施設がまだ整っていないなどの異論が相次いだ。
帰還は時期尚早だとする声が圧倒的で懇談会は荒れた。
懇談会が終わると早川さんは政府の担当者のもとに歩み寄り割り切れない気持ちをぶつけた。
具体的な住民の指摘する事と国が言っている事との間には大幅にズレがあってそれをお互いに理解し合わないと。
人によって考え方が…。
こんなやり方では帰る町民が少なくなるとの危機感があった。
特に不安を感じていたのは福島第二原発の廃炉が決まらない事だった。
楢葉町と隣町にまたがって位置する福島第二原発は第一原発が事故を起こして以来操業を停止している。
福島県は強く廃炉を求めているが東京電力は方針は未定だとして将来の再稼働に含みを残していた。
もしこの地で再び原子力施設が動く事になれば住民は戻らないだろうと早川さんは言う。
東京電力は国のエネルギー政策しだいだとこう言ってるわけ。
国はそれは東京電力の決める事だと。
第二原子力発電所全部廃炉にしろという明言がないかぎりほんとの意味で安心して戻れないわね。
安心して若い人たちがこれから生活できないわな。
楢葉町に去年オープンした仮設の商店街。
原発に最も近い商店街だ。
その中の一軒地元の住民に親しまれてきたスーパーマーケット。
今この店を訪れる客はかつてと全く様変わりしている。
大半が原発関係で働く作業員。
準備宿泊で戻ってきた住民の中にはすっかり変わってしまった店の様子になじめず足が遠のく人も出てきた。
売り上げは原発事故前の1/3に落ちている。
東京電力が支払う営業補償がなくては経営が成り立たないのが現実だった。
(取材者)東電の補償がやっぱあるから今はどうにか…。
そうですそうです。
このスーパーでは国の求めに応じて7月から楢葉に帰っている町民を対象にした宅配サービスを始めた。
しかし注文は日に2〜3件にとどまり採算ラインには程遠い。
帰還を前に生活環境の整備を急ぐ国は品ぞろえの充実や営業時間の延長を求めている。
しかし町民の多くが戻らないかぎり商店の経営は成り立たない。
(取材者)おはようございます。
おはようございます。
いわき市上荒川。
床屋の坂本弘二さんは今日も仮設店舗に出勤した。
避難生活も既に4年半。
商売をしている人たちにとっては将来の身の振り方を決めなければならない時期である。
店を並べていたスーパーマーケットは6月いっぱいで撤退。
パン屋は楢葉への帰還を断念し5月いわきに新しい店を出した。
坂本さんの気持ちも揺れていた。
地元にどれぐらい帰るか年寄りの人は帰ってっからあれかなと思うけども…。
昨日私息子東京行ってんのが来たから聞いたらやっぱり田舎には帰ってこねえっつったからこれからどうしようかなって思ってんだよ。
もう…ねえ?わしの代で終わっちゃうんだもん。
それ考えるとお金かけて店を直してもしょうがねえのかなっていう事もあるんだけどどうしようね。
悩みがありますね。
ただ息子も話したけど来ないっからしょうがねえな。
長年の常連客の中にも楢葉に戻らないという人が少なくなかった。
楢葉に戻って果たして商売が成り立つのか。
年齢を考えると無理はできない。
この仮設店舗が使えるうちはここで商売を続けようと考え始めている。
楢葉町の工業団地の一角に巨大な構造物が姿を現そうとしていた。
独立行政法人原子力研究開発機構が建設中の楢葉遠隔技術開発センター。
福島第一原発の原子炉の実物大模型を造り周辺の環境を再現しロボットなどを駆使した廃炉技術の開発を行おうというものだ。
楢葉を廃炉作業の拠点として復興させようという町の期待を担った施設である。
同じ工業団地の一角に原発事故後に楢葉への進出を決めた民間企業がある。
電気自動車用のバッテリーの部品を生産・輸出しようという会社で9月操業開始を目指して工事を進めている。
この会社では楢葉への進出に伴いおよそ50人の町民を新たに採用するとしている。
第一陣としてこの春採用された中に自宅をアライグマに荒らされた猪狩慶彦さんがいた。
猪狩さんは20年以上勤めていた製薬会社が原発事故で楢葉を撤退したため失業。
その後は同業他社で契約社員として働いていた。
生活の安定を図るため全く違う分野ながら正社員として雇用されるこの会社を選んだ。
手狭な避難住宅で暮らしながらいつかは楢葉の家に戻りたいと考えてきた猪狩さん。
ただちょっと子供の具合が悪く…悪かったりというか。
しかし今年になっていわきに新しい家を建てる事を決めた。
小学校3年生の次男は病気がちだった。
放射線の不安が残る楢葉で子育てをする気にはなれなかったという。
まあ過剰に反応してるところがあるのかもしれないけどただ自分はもうねある程度の年になったんで別にこの先ある程度のとこまで行けばいいけど子供の事を考えると子供はこれからあと何十年…50年60年って生活してかなきゃなんないところを考えると「帰って下さい」っていって「はいはい分かりました」という感じで帰るところではまだちょっとないんだろうなというところですよね。
猪狩さんの新しい家はいわき市内の住宅地にある。
母親も一緒に入居する3世代住宅。
今年の暮れにはここで新しい生活を始めるつもりだ。
今勤めている会社には地元から採用された同僚が35人いる。
その中で楢葉町に戻っているのは3人だけだった。
楢葉町役場。
この日政府は楢葉町の避難指示解除の日程を発表。
帰還はまだ早すぎるという住民の声に配慮して予定を1か月遅らせ9月5日午前0時とした。
同じ頃楢葉町で廃棄物の搬出が始まった。
現在楢葉町の仮置き場にある放射性廃棄物はおよそ58万袋。
そのうち1,000袋を運び出す事になったのである。
廃棄物の行き先は福島第一原発近くに建設が予定されている中間貯蔵施設。
一部が使用可能になった事で仮置き場のある福島県内の自治体からそれぞれ同じ量の廃棄物を運び出す計画だ。
楢葉町にある廃棄物が全て運び出され姿を消すのが何年先になるのか依然としてめどが立たないままだった。
避難指示解除が1か月後に迫った8月。
宝鏡寺の早川住職は楢葉で1人暮らしを続けていた。
おかずが無いからねしょうゆ飯を炊いてさおかずが無くても食えるように。
毎日しょうゆ飯炊いてるんで面白くないからねしょうゆ飯だったらばみそ飯もできるだろうと思ってねみそで飯炊いてみたんだ。
(取材者)みそを入れたんですか?みそを溶いて入れたんだ。
みそ飯。
自炊をするのは学生時代以来で50年ぶりの事だった。
かあちゃんが来れば来た時にはおひたしなんか作ってってくれるんだけど俺はそんな面倒くさい事はできねえや。
やってらんない。
1年にわたって帰還の準備を進めてきた早川さん。
その中で放射能に対する住民の根深い不安を目の当たりにしてきた。
今の状態では早川さん自身も帰還を勧める事はできないという。
私の家内も帰る気でいるけども家内ぐらいには「おい帰っぺ」と言えるけどあとはもう家族にも隣近所にもそんな事は言えない。
絶対言えない。
(取材者)さみしいですね。
そうですね。
ええ。
お檀家の人なんかにも帰れなんていう事言えないわね。
この間も言ったかもしれないけどお檀家お墓ごと離れてった人も4軒ほどいるわけだ。
(取材者)この檀家をやめて他に移った。
はいはい。
お墓ごともう移転したんですよ4軒ほどね。
これからもそういう人が出てくる。
申し訳しながら「いや〜申し訳ないけども子供らは帰んねえって言うもんだからせっかく家建てて檀家にさせてもらったんだけど抜けていきたいんだ」と。
いや〜やむをえないよと。
盆を前に妻の千枝子さんが楢葉に帰ってきた。
(千枝子)こんばんは。
ああおばん。
何だこりゃ。
いやいや参ったな。
(取材者)今日は久しぶりにちゃんとしたものを食べられる?
(早川)いやあ自分でやった方がちゃんとしたもの作れる。
(取材者)奥さん今日の夕飯の献立は何ですか?さんまの刺身。
今日は食べられるっていうので。
さんまの刺身食えるようになったのか。
うん。
(千枝子)大丈夫だと言ってたので買ってきた。
1年ぶりだな。
避難指示の解除を前に準備宿泊の届け出をしたのは351世帯。
しかし町役場の調査によれば実際に宿泊しているのは100世帯前後にとどまっていた。
(取材者)いわきから今日いらっしゃったんですか?荒れ果てたままの家に帰ってきている老夫婦がいた。
かわいがっている猫に餌をやるために毎日いわきの仮設住宅から通ってきていた。
子供たちの一家は避難指示が解除されても楢葉に戻らないという。
だから壊れた家を直していない。
(良子)いや〜唯一のほんとにあれです。
私たちの口利かない孫。
(義道)駄目だこうなってからは孫の顔も見らんねえもの。
猫の顔でも見てるほか…。
(取材者)お孫さんの顔も見られなくなっちゃった?じっじとばっば置かれちゃって…。
(取材者)じゃあここにはしばらくは帰ってこられないけど。
見通しないです。
見通しはないです。
(取材者)でも猫の面倒見るために毎日来てる?
(良子)そうです。
盆はあいにくの雨だった。
それでも多くの人たちが先祖が眠るこの土地に帰ってきた。
猫に餌を与えていた松本さんの家。
(取材者)今日は柏崎からですか。
(公輝)ええそうです。
(取材者)大変ですね。
え〜…やっぱ遠いですね。
(取材者)もう向こうの生活慣れられました?いや〜何とか少し落ち着いたかなって感じなんですが。
ただやっぱり借り上げでアパート住まいなんでやはりちょっと狭いかなというのが。
次男は新潟県の柏崎。
長男は郡山。
避難先から家族を連れて戻ってきた。
原発事故が起きるまではみんな近所で暮らしていた。
松本さん夫婦にとって盆は家族のぬくもりを取り戻す一日。
しかし孫の成長を何よりの楽しみにしてきた日々はもう戻ってはこない。
(取材者)松本さんはお孫さんは何人いらっしゃいますか?
(義道)数えきれないぐらいいるよ。
墓参りが終わると子供たちの一家はそれぞれ避難先での生活に戻ってゆく。
(取材者)今日はこれからお子様お孫さんと一緒ですか?
(取材者)そうかあ。
郡山みんな帰るんでしょ。
また猫が孫代わりの日々が始まる。
9月5日。
楢葉町に対する政府の避難指示が解除された。
1,638日という長い月日を経て本日午前0時避難指示が解除され止まっていた時計の針が再び時を刻み始めたところであります。
その夜の楢葉町。
家々は闇の中に沈んでいた。
ここで暮らしてきた人々の息吹は感じられなかった。
待ちわびていたはずの住民帰還。
しかし実際に帰ってきたのは町民の1割にも満たない人たちだった。
宝鏡寺ではまた1軒檀家が減った。
原発事故後に墓ごと楢葉を離れていった家はこれで5軒目だった。
この人です。
ここまでやってここから…。
おばあさんも亡くなったから石碑を建てるわけだ。
ここまでやったんです。
息子らが楢葉は住まないというから。
いわきの方に移転しますってこの人。
600年続いた寺の歴史が自分の代で終わるのかもしれなかった。
東京です。
お寺を探してるわけ。
行く事は間違いない。
ちょっとお寺を探すのは容易でないからなかなか…。
まあでも確実。
楢葉に戻ってきた早川さんだが町の将来に対する希望を失いかけていた。
その先どうなるかさっぱり見当もつかない4年半だったけども避難指示が解除されたら今言ったようになお先がもう見えていると。
先が見えないんじゃなくて先が見えているわけ。
3.11以前のような状態には戻らないという事がはっきりしたと。
はっきりしてるでしょと。
それは前からなんだけどそれをいよいよ避難指示解除されて戻ってきた事によって現実になってきた。
避難指示解除の2日後。
早川さんはアパートに避難させていた本尊の阿弥陀仏を寺に戻す事にした。
鎌倉時代につくられた寺よりも古いという阿弥陀如来像。
人々の日々の営み祈りの声この土地を通り過ぎていった戦乱の世も静かに見つめてきた木の仏である。
開山以来600年一度も寺を離れる事のなかった御本尊様が避難生活を終えて4年半ぶりに帰ってきた。
(取材者)仏様をお戻しになってどういうお気持ちですか?清々したね。
やっと清々した。
宝鏡寺第30代住職早川篤雄さん。
(読経)原発事故に見舞われた土地がこの先どうなっていくのかしかと見守っていきたいと考えている。
(読経)2015/09/19(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「帰還への遠い道〜福島・楢葉町 一年の記録〜」[字]
原発事故から4年半。福島県楢葉町に出されていた避難指示が解除された。果たして住民は帰還を決断できるのか。故郷への思いを抱きながら苦悩する住民の姿を追った。
詳細情報
番組内容
原発事故で全住民が避難した自治体の中では住民が帰還するのは楢葉町が初めてだ。ETV特集では一年前から、帰還をめぐって期待と不安が入り交じる楢葉町の住民の姿を記録してきた。避難指示が解除されたら真っ先に町に帰りたいと話していた寺の住職、楢葉に戻って営業を再開すべきか悩む商店主、避難生活のあいだに留守宅を野生動物に荒らされてしまった元会社員。4年半の空白を経て帰還を決めるには多くの課題が残されていた。
出演者
【語り】濱中博久
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
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