「安全」と「平和」の再考を ─安保法制、能代山本の民意 (2015.9.19) 日本が直接攻撃を受けていないにもかかわらず、米国など密接な関係のある外国が攻撃された場合に、限定的であるが武力で阻止する集団的自衛権の行使を可能にする平和安全法制整備法と、他国軍の後方支援を随時可能にする国際平和支援法。戦後の日本の安全保障政策を転換させる法案が19日に参議院で可決・成立。能代山本でも反対運動があり、疑問、不安が残ったままだ。混乱と騒動の中から、1人ひとりが改めて「日本の安全」と「平和」を考えたい。 昨年12月の衆院の総選挙。「大義なき解散」と指摘されたが、付いて回った争点は安倍首相の消費税10%の先送りの是非と、経済政策の「アベノミクス」。実は首相は就任時から憲法改正を公言、また昨年5月に集団的自衛権の方向性を示しており、国の根幹に関わる安全保障問題も衆院選の争点になるべきであったが、自民党は軽く流し、民主など野党は積極的に取り上げず、能代山本を含む秋田2区では有権者の大半が安全保障を投票の選択肢にしなかった。その隠れた問題が選挙後の今年になって浮上、国民論議が高揚する期間は短期であったといわざるを得ないだろう。 法案に対する能代山本のほぼ1カ月前の8月15日。本紙は能代市の成人式でアンケートを実施、「集団的自衛権など、自衛隊の海外活動を広げる安全保障関連法案が衆院で可決され、参院に送られました。あなたはこの法案に賛成ですか、反対ですか」と問うた。その回答は「賛成する」26・1%、「反対する」22・6%、「よく分からない」45・7%、「無回答・無効」5・8%。 また、安全保障法案の政府・与党の国民への説明に関しては、「十分だ」は19・9%にとどまり、「不十分だ」34・4%、「よく分からない」41・3%。つまり、法案の賛成・反対は2割程度いるものの、「分からない」が5割近くで、説明についても、不十分と感じていたり、のみ込めないでいたのである。新成人が将来に関わる問題に無関心ではないはずだ。その点からしても、安全保障法案は「分からない」層を賛成に引き込むだけの理解を得ていないといえた。 能代市議会は16日の本会議最終日で、市民グループが提出した「安全保障関連2法案の廃案を求める意見書採択に関する陳情」を賛成11、反対9、退席1で採択した。所属政党の方針に従ったり、それぞれの意見・主張を貫いたりであったが、僅差。同様の請願・陳情に対し、藤里町は趣旨採択、三種町は継続審査、八峰町は不採択。能代山本は市町によって判断が割れたが、それはまたこの法案と成立までの経緯に問題がはらむことを浮かび上がらせる。 国際情勢、外交の在り方、わが国の安全確保、集団的自衛権と個別的自衛権、自衛隊の活動範囲、憲法の解釈──どれを取っても難しい問題である。さまざまな意見と主張があって賛成・反対が起きるのは当然で、学者を巻き込んだ論争も必然だが、国会の審議での政府側の説明力の弱さと、法案を通そうとした性急さに、明日への危うさを感じた人も多いだろう。 戦後70年。本紙は「記憶を語り継ぐ」と題してあの戦争の体験者の声を連載した。等しく「不戦」と「平和」を訴えている。その思いは誰も同じである。安保関連法の成立。「拡大解釈」や「歯止めなき」を恐れ警戒、平和と安全を再考、政治に目を向けたい。
能代七夕の明日を探ろう ─伝統と観光化を見据えて (2015.8.1) 能代の夏を彩る七夕ウイークが始まる。ハイライトは3年目を迎える巨大灯籠の「天空の不夜城」と伝統の役七夕、それにこども七夕。七夕の未来を考える機会にしたい。 役七夕は五つの町組の輪番制で運行されており、今年当番は柳町組で、運行を取り仕切る大丁は本若(本町)。構成町内が九つと最も多く、5年に一番にぎやかな七夕祭りをつくり上げてきたが、平成2年からは出若(出戸町)が参加を見送り、それに続いて今年は住若(住吉町)も辞退、結局、7灯籠が登場する見込みだ。 世帯数が減ってきた、少子高齢化も進んでいる、そのうえ予算も人員も確保できないなどが重くのしかかっているためである。何とか参加を決めた町内でも四苦八苦のやりくり。平日に七つの七夕絵巻を繰り広げようとするのだから、田楽や引き手、太鼓の成り手が不足、あらゆる伝手を頼りに探しているものの、予定通りの人数に充足できない町内も出そうという。 参加町内のある長老、黒の羽織を着てトラックに乗る人は、老夫婦の月の生活費とほぼ同じ十万円を超える割当に驚くととともに、嘆息を漏らす。さらに人と資金集めに苦労している実情と縮小する町の将来を憂いつつ、「果たしてこれでいいのか。役七夕はどうなっていくのか」と案じた。関係者の共通の認識であろう。 6日の役七夕は豪華絢爛となり、7日のシャチ流しは幻想的であろう。しかし、内実はあらゆる面で厳しさが増している。現在の姿を予想してか、戦後一貫して指摘され続け、時に政治の大立者たちが真正面から向かおうとした「役七夕の改革」は論議がすぼみ、運行の在り方や見せ場づくりなど小手先の取り組みはあったものの、根本的な部分には手つかずのままで今日に至っている。 矜持というプライドと熱狂的な七夕好きによって運行を繋いできたが、ジリ貧は明らかで、劇的な人口減予測からしてもやがて気付いてみたらドカ貧になりかねない不安がつきまとう。 一方で、「七夕の観光化」。能代観光協会を中心に50年前から試行錯誤が続いてきた。ねぶながし能代若(赤組、白組)と凧若など有志七夕の運行、役七夕が1もしく2灯籠の場合の補完的役割の合同運行、女若や屋形船の登場、花自動車パレード、飾り七夕の設置…。しかし、県内外に強烈な印象を与えるほどではなかった。 ㍍を超える高さと威容は圧倒的な存在感がある。去年は2基。3年目の今年は2日にその2基とこども七夕の合同運行。3、4日も運行される。その後、7日まで展示して夜に煌々と。 岐路にある役七夕は再編するのか、変わらないままなのか。半世紀の歴史を刻むこども七夕の今後は。能代の七夕祭りは天空に観光化の望みを託していくのか。見物して参加して、明日を探りたい。
祭りの未来を考えよう ─能代七夕ウイークを迎えて (2014.8.1) 動く灯籠としては高さ日本一、23・5メートルの「天空の不夜城」が完成、見事に立ち上がった。今年の能代の七夕ウイークは、超大型七夕が復活して華やかさでにぎやかだった昨年以上に、活気づくはずだ。祭りを見る、参加する─その中で、イベントによる地域の活性化、運営の在り方、伝統行事の継承などを含め祭りの将来を考える機会にしたい。 「天空の不夜城」は、明治期の大型七夕を復活させ、地域活性化につなげようと能代商工会議所や市などによる不夜城協議会が昨年、文献に残る明治期の高さ5丈8尺(約17・6メートル)の城郭灯籠を運行させた。論議はあったが、鉦(かね)を加えた躍動感ある囃子(はやし)、色鮮やかな灯籠の配色などもあって、能代の七夕祭りに新風を吹き込み、多くの見物客を集めた。久しく叫ばれていた「能代七夕の観光化」を大きく前進させたといえよう。 今年は、昨年の1台に加え、青森県五所川原市の立佞武多(たちねぷた)を上回る高さの灯籠が2日のこども七夕の日に展示、3、4日に繰り歩くが、製作には児童生徒や市民も手伝い、運行にも多数のボランティアが駆け付けることになっており、幅広い参加型の祭りとなりそうである。 その「天空の不夜城」は昨年、盛況裏に終わった後、協議会会長である広幡信悦能代商工会議所会頭と斉藤滋宣能代市長がともにいみじくも語った「伝統の役七夕があったからこその不夜城」である。 しかし、役七夕は岐路に立たされている。旧能代港町地域の5つの町組が輪番で運行。今年は清助町組が当番で、近年は親丁の清若1基のみであったが、枝丁の馬若(馬喰町)と御若(御指南町)が合同運行することになり、15年ぶりに2基が繰り出す。来年は柳町組が8つの灯籠を運行する見込みで、伝統はつながっていくが、内実は厳しさが一段と増している。 関係町内に共通していることは、人口減わけても旧中心街の空洞化と高齢化による担い手不足、そして資金難。意地と矜持で伝統を守ってはいるものの、七夕を出すことに限界が見えている町も少なくない。能代市の限定的な地域の祭り感が強まってきているとはいえ、役七夕をどのように維持していくのか─の昭和の時代から一貫して続いている「七夕改革」の論議を止めてはなるまい。 一方で、巨大さが自慢の「天空の不夜城」は、運行予算1300万円は多方面の寄付を募り、灯籠製作費4900万円は市が協議会に委託する形となっている。今後もう1基増やす計画、膨大な費用を要する展示保管庫の将来構想もあり、多額の持ち出しを懸念する声もある。 これらを含めて、観光と活性化に向けた役七夕と不夜城のかかわり、役割分担をどうするのかの検討が必要であるが、「運行ありき」が先行して、話し合いの場が避けられている印象である。 着実に人気を高めている7月の能代港花火、今年で27回と歴史を積み重ねてきた9月のおなごりフェスティバル、そして七夕。夏に集中するイベントの負担と今後の方向も含めて、総合的な対策と戦略が求められる。
縮小社会の活路を訴えよ ─能代の明日へ市長・市議選告示 (2014.4.13) 地域に住む人が少なくなってきた、子どもの遊ぶ姿を見掛けなくなった、寂しい──何とはなしに感じている人口減、少子化だが、冷厳な数字をつきつけられると驚きを禁じ得ない。 能代市の25年度末(26年3月31日)の人口。5万7564人で、前年度末より963人減った。18年の旧能代市と旧二ツ井町との合併時は6万2861人だったが、以降毎年減り続け、年度末比では最大の減少数。出生数も276人で過去最少である。昭和30年代、旧能代市は6万3千人、旧二ツ井町は2万人を数えたが、その合計から現在は2万5千人も少ない。 農林業や木材産業を主体とした産業構造の変化、都市への流出などに加え少子化によって、農村部の過疎化、地域の人口減は歯止めなく今日に至っている。その間、政治も産業界も手をこまねいていたわけではなく、企業誘致や道路・港湾といった社会資本の整備に努め、定住化に向けたまちづくりを進めてきたが、それでも縮小が続いている。それは能代市に限らず、県内、全国の地方都市も同様であるが。 国立社会保障・人口問題研究所が昨年発表した市町村将来人口推計は、さらに衝撃的であった。能代市の人口はここ10年以内に4万人台になり、21年後には3万8千人台へ、能代市山本郡全体でも5万6千人台と予測、「2人に1人が65歳以上」と弾き出している。県や市町が今後、少子化対策を従来以上にきめ細かくしても、「人口は長期的に最も予測可能な指標」といわれており、推計を簡単に覆すことは難しいと考えられる。 だとすれば、地域の課題はいまさらながらではあるが、進む少子高齢化と人口減に、どう向き合っていくのかであろう。その前提として、人口増を夢見るのではなく、厳しい現実を直視することである。 縮小社会にあって、地域の経済力を高めるためには何が必要か。四季のはっきりした風土と自然、豊かな土地、水、整備された高速道路網、祭りに観光資源、今あるこれらを結び付けた成長戦略を考えたい。そこに雇用が生まれ、足りない人材は高齢者の経験を活かし、女性の能力を活用することで創出したい。 高齢社会で独り暮らしや、福祉介護を必要とする人がますます増える。安心して暮らすためには、地域の見守りがより大事だが、全体の人が減るのだから、ネットワーク、連携力が今まで以上に求められる。そこを具体的にどう推し進めていくのか、試される。 人口減を悲観せず、地域を活気あるものにしていくためには、どうあるべきか。小さな集落で商店街でさまざまな取り組みが行われている。そこに光を当て、頑張っている人々を応援し、活動に広がりを持たせたい。その支援のあり方は。 能代市長と市議会議員の選挙がきょう13日告示される。立候補予定者は、前哨戦で決意や政策を述べてきたが、本番突入で公約と明日の能代を熱く訴えてほしい。 能代は元気になれるのか、輝けるのか──。それを託す候補者を選択したい。
「地域づくり」も再考を ─能代火力3号機の計画復活 (2014.3.28) 度重なる繰り延べから無期限延期へと、実態は凍結と受け止められていた能代火力発電所3号機が復活、東北電力は27日、2年後の28年度着工、32年度の運転開始を盛り込んだ計画を発表した。地元経済への波及効果が大きいことは1・2号機の建設で証明済みで期待が膨らんでいるが、手放しで喜ぶのではなく、これを機に地域づくりを改めて考えたい。 今年で運転開始21年となる能代火力の誕生は、能代港があったゆえを忘れてはなるまい。 北前船で栄えた能代港は、米代川河口が土砂で埋まり港の機能を失い、戦後間もなく港湾修築の運動が始まった。そして昭和49年に5000トン岸壁が完成して外国貿易港として悲願の開港。その後県北の流通港の期待を背負って1万5000トン港が開港、前後して、地元の誘致活動もあって能代火力の立地が決まったのである。56年に重要港湾指定、エネルギー港湾として整備され、さらに平成13年に多目的国際ターミナル(4万トン岸壁)の供用開始、基盤整備が図られ、リサイクルポート化も進んだ。 3号機の着工で石炭輸入港の役割は将来も安定的に果たすとみられる。しかし、他の物流は木材産業の衰退から輸入が伸びず、リサイクルの利用もはかどっていない。火力を含め産業立地を改めて構想、港の活用を具体化していくことも求められよう。 低迷感と閉塞感が漂う能代が全国に打って出る鍵として「エネルギーのまちづくり」があるが、3号機計画に合わせて旗を高く掲げたい。 すでに海岸線沿いに林立している風力発電はさらに設置が進み、能代山本では3年後に75基が見込まれている。能代港周辺では洋上風力発電の実証実験の準備が始まっている。さらに、木材の端材などを燃料とする木質バイオマス発電も稼働、民間企業や学校で太陽光発電の設備が整ってきている。小水力発電にも関心が集まっている。 一方、化石燃料による二酸化炭素の排出、地球温暖化の対策が求められている中で、凍結していた石炭火力の計画再開には、「時代に逆行する」との批判がつきまとうが、福島の事故の教訓から時期はどうあれ「脱原発」、電力を原子力発電所に頼らないことが時代の趨勢であり、また風力・太陽光など再生エネルギーが原発・火力の代替となるのは非常に困難であるとすれば、火力の優位性は高い。特にコストの安い石炭火力がである。 ここは、世界の最先端を行くクリーン技術を導入した3号機の建設を東北電力側に求め、それを再生可能エネルギーの取り組みとつなげれば、「エネルギーのまち・能代」を対外的に知らしめやすくなるはずだ。 石炭火力の建設・運転にかかわり、技術力を向上させ成長した企業も少なくない。電力と系列会社・協力企業も能代にとっては雇用力の面で大きな存在である。波及効果は建設時に高まるが、それだけに終わらせず、後の経営や雇用につなげる方策・戦略も必要と思われる。1・2号機が能代にバブル景気をもたらす一方、その反動があったことも顧みなければならない。

|