福島県川内村の小学生。
今年春から授業でもち米を育てています。
除染を終えた田んぼで5月に田植えをしました。
稲は大きく育ちました。
年末には餅つきをします。
震災前村に100人以上いた小学生は30人余りに減ってしまいました
この授業にはふるさとの食文化を子供たちに伝えたいという願いが込められています
福島県川内村は東京電力福島第一原発から30km圏内にある山あいの村です。
原発事故によって全村避難となりました
村は周辺の町村に比べて放射線量が低く2012年帰村宣言を出しました。
しかし人口2,700余りのうち村に戻ったのはおよそ6割にすぎません
戻った住民の多くは高齢者です。
子供を持つ若い世代はなかなか戻ってきません
村の主要な作物だった米。
作付けは震災前の7割まで回復しましたが後継者は減っています
林業は山の除染が出来ない事から出荷できない状態です。
現在木材の汚染と作業員の被ばく量を調べる実証伐採が行われていますが再開のめどは立っていません。
除染で出た廃棄物は村内に設けた仮置き場に集められています。
これらは村外に建設される中間貯蔵施設へと移される予定です。
しかしその時期も分かっていません
こうした中今年1月川内村をどうしたら再生できるか1回目の話し合いが行われました。
復興サポーターには民俗研究家の結城登美雄さんを招きました
結城さんは東北を中心に800余りの村々を歩き地域おこしを手伝ってきました。
地元に眠っている宝を再評価する事で数々の地域おこしを成功させてきました
川内村でも結城さんは宝探しから始めました。
そこで出会ったのが野菜や餅を使った村の豊かな食文化でした。
川内村では手作りのごちそうをみんなで囲んで会話を楽しみ絆を深めてきたのです
結城さんはこうした「楽しみの場」を復活させる事から村の再生を図ってはどうかと提案しました
この川内の復興も楽しみの日をみんなでまたいっぱい作っていく。
小さくてもいいから楽しい場を地域おこしにつなげていくそんな力を合わせられないかなと思います。
そして今年9月川内村で2回目の話し合いが行われました。
どうしたら川内村の人々がもう一度生き生きと暮らしていく事ができるのかそのために大切な事は何か話し合っていきます
集まったのは農業や林業観光業などに携わる住民。
原発での廃炉作業などに関わる人々。
村役場や商工会の職員も参加しました
復興サポート8か月ぶりですね。
再び福島県の川内村にやって参りました。
では早速復興サポーターをお呼びしましょう。
前回に続き復興サポーターは結城登美雄さんです
どうもしばらくでした。
今回どのような期待を胸にこの川内村にやって来ましたか?う〜ん1月にここでみんなで話したやつ。
これだよね?ええ。
前回の成果ですね。
いろんなアイデア出ていろんな考え出て。
自分たちでここをよくしようぜという気持ちが何か結構じ〜んと来ちゃって。
またやれるといいなと思ったらまたここに来る事ができてよかったです。
だからみんなの力合わせてもっと具体的に前に進むための話し合いが今日できたらいいな。
そしてもう話だけじゃなくてやっちゃうぜっていう。
行こうよってそういう感じです。
前回の話し合いで村に楽しみの場を作ろうと住民から出されたアイデアの数々。
今回の目的はその一つでも実行に移そうというものです
具体的な話し合いに入る前に今どんな思いで暮らしているのか会場に集まった村の人たちに聞いてみました
やはり若い方の姿がふだんちょっとまだないのでそういうところときどき不安にはなるんですけども自分がこう安心して暮らせるっていうか徐々にそういう感じにはなってますね。
例えば私らが新宿なりまあ都市圏に販売に行っても「あんたそれ福島産だよ」って言う人はいるけどもそういう人にもう何回言っても駄目だからこれは。
だからこの人たちに正確な発信というふうに思ってます。
まあ戻ってきてる村民の方はやっぱ高齢者が多いんですけどやっぱりですね若い人が中心になってやっぱりイベント等やって頂きまして若い人の力で活性化していけたらいいのかなと思います。
年寄りが持ってる力ってねやっぱり僕はすごい。
あっちこち見てきて…うん。
いいんじゃない?年寄り多いって。
その力をバカにしちゃあかんよと俺は思うの。
だから離れてて帰れないなあという人たちの若い力と高齢者の力がうま〜く集まったりすると僕はいろんな具体的なものが展開できるんじゃないかと思ってるんですよね。
では早速その具体的な話に入っていきたいと思うんですが実はですね前回の放送のあとにもう既にこの川内村で楽しみの場が誕生しています。
その様子からご覧頂きましょう。
震災前に比べて人口がおよそ6割に減ってしまった川内村
そんな川内村に次々と住民が集まってくる「場所」があります
一見何の変哲もない畑。
今この畑が多くの人の楽しみの場となっています
集まっている人のほとんどが高齢者。
多くが一人暮らしや夫婦2人で暮らしています
4か月前からこの畑に集まり共同で野菜を作るようになりました。
この集まりを呼びかけた一人…
優子さんは自宅で夫と2人暮らし。
夫婦だけの生活になったきっかけは今回の原発事故でした。
事故の直後妹夫婦の住む神奈川県川崎市に避難した優子さん。
都会に移り住み畑仕事もできなくなりました
震災の翌年優子さん夫婦は川内村に戻りましたが息子夫婦と孫は家に帰りませんでした。
孫に自分の作った野菜を食べさせるのを楽しみにしていた優子さん。
畑仕事に力が入らなくなりました
そこでみんなで一緒に畑に出れば元気が出るのではないかと話し合い野菜作りの会を立ち上げました
メンバーは40人ほど。
週に1回畑に集まり20種類ほどの野菜を作っています
(笑い声)
(笑い声)
(笑い声)
この畑は村の新しい「楽しみの場」となっています
みんな笑いだよねみんなでやると面白いよねって言ってたね。
あと何かやっぱりさすが「目つぶってやんねえと前に進めん」名言だね。
名言ですよね。
すごいなあ。
メンバーの皆さんどうぞお入り下さい。
(拍手)野菜が収穫できたらいろんな事ができるんじゃないかというような。
そうですね。
直売所に出したりそういう形で考えています。
お母さんたちどっか心の中にねちょっと不安だと思ってるのがお金もらうとお客さんから「福島の野菜大丈夫?」なんていう事を言われたりするから自分たちの作ってるのは大丈夫っていうそういう自信を持って出せるものでしたいよね。
今日はこの野菜に含まれるセシウムの量についてお詳しい復興サポーターをお呼びしています。
2人目の復興サポーターは…
河田さんは1986年のチェルノブイリ原発事故のあとウクライナで農業支援を行いました
福島第一原発の事故後はいち早く現地に入り農家と共に農作物に含まれる放射性セシウムの調査を続けてきました
これは南相馬で測定したたくさんのデータをまとめたものですけどもこれはセシウムを吸収しにくい野菜が左側右側の方が吸収しやすい汚染しやすい野菜を書いてあります。
例えばピーマンとかニンジン玉ねぎ大根。
これは平均値ですけども。
たくさんのデータの。
平均すると大体今はもう10ベクレル以下になってます。
kgあたり。
という事は非常に汚染しにくいという事ですね。
逆に汚染しやすいのはししとうとか菜の花しその実なんかありますけどもこれは20ベクレル以上です。
こういうふうに野菜によって汚染のしやすさが違うという事がはっきりしました。
大抵の方は例えば大根とかニンジンとかさといもとか土の中にあるので汚染が高いんじゃないかと考えがちですが実は根菜類は土の中にある方が汚染が低くて上の葉っぱの方が汚染が高いんです。
次に河田さんは2012年から14年の3年間で野菜の汚染がどのように変化したかを示しました。
これは大根のデータ。
だいだい色は最大値青は平均値です。
最大値も平均値も年々下がっている事が分かります
こちらは小松菜のデータ。
大根よりは高いもののこれも年々下がっています
国は何か100以下はOKですけどもここは20〜10ですよね。
今実はこれ昨日役場で頂いた測定した野菜のデータですね。
6月1か月で363検体ぐらいあるんですけどほとんどこれは検出限界以下なんです。
検出限界10ベクレルだと伺いましたけどもという事は10ベクレル以下であれば気にする必要があるそういうレベルではないというふうに思います。
ものによっては20ぐらいのもありますけどもそれほど心配する事はないそういうレベルです。
できれば10以下ですけども今の福島の汚染の状況ですと守れるレベルだというふうに考えています。
河田さんどうもありがとうございました。
(拍手)
次に野菜作りの女性たちが開きたいと考えている直売所について結城さんに教えてもらいました
もうみんな当たり前のように「直売所」って言うけど直売所の歴史ってね意外と最近なんですよ。
1991年までなかったの。
それまではどうだったかっていうと曲がったきゅうりは駄目不ぞろいは駄目「LMSに分けて」とかって規格ってあるじゃない。
規格外は35%規格外になったんです。
その35%は値段ゼロだから。
「畑の肥やしにしかならないのよ」と。
そうするとどんどんどんどん意欲を失って。
それに対して「曲がってもいいんじゃない?」って。
「不ぞろいでもいいんじゃない?」って。
畑の近くに直売所をつくって「よかったらお越し下さいな」ってやったら…。
やって来て食べたら「うめ!」ってなったわけ。
あえて言います。
一般にスーパーとかデパートとかそういったところで100円で売ってるものは…これ小売でね。
農家にいくら入るかというとねまあいいとこ30円。
よくて。
ところが直売は1本100円で同じように売っても70円ぐらい手に入る。
そうするとこっちだよね。
曲がってもいいんだよね。
ふぞろいでもいいんだよね。
どんどんどんどん意欲。
そうするとおじいちゃんおばあちゃんたちがお母さんたちが頑張っていった。
それがこの日本中に直売所が出来た。
全国で直売所の数は2万3千余り。
販売額は1兆円に達する勢いです。
従業員の数も20万人を超えています
さあ余ったらどうするというのがいつもある。
それは「引き取りなさい」ってなるわけ。
ね?「う〜ん…いやそれはお総菜にしましょう」って言ってこれ青森の例なんです。
直売所に余ったやつがお母さん5人ぐらいが煮物得意いろんな得意料理でこういうふうにほら。
量り売りで売ってるのもあるんですよ。
グラムなんぼ。
グラムこれ150円だとすると100グラムはいいわ30グラムでもいいわっていったら50円でおかずが買える。
ほら。
こうやって「385円で腹いっぱいおふくろの味」って。
ウケちゃって年間8,000万ぐらい売れてるんですよ。
それをね是非是非ここで。
僕はできると思うな。
大もうけしなくていいよ。
90のおばあちゃんも孫の小遣い3〜5万稼げるぞなんてなったら安心してここで暮らしていけるよ。
ありがとうございました。
次はお餅に注目しようと思うんですね。
お餅というのは川内村で昔から楽しみの場の中心にありましたね。
まずはこの前回学びましたお餅のお話を振り返ります。
結城さんが川内村の餅の文化に出会ったのは農家の秋元美誉さんの家での事でした
この家は先祖代々米を作ってきた古い農家です。
神棚にはいつも餅が供えられています
えっ?
村の外で暮らす息子たちのために書いたソノ子さんのノート。
季節ごとに全ての行事が記録されています
えっ!これ…こうですか?部屋にやれば…。
そうなんです。
「モチ…モチ…御飯…」いや〜こうやって…。
秋元家では年に40回も餅をつくと言います
(ソノ子)1段目は四角に田んぼをあしらった…。
2段目があずきのやわいのを潰して赤くするんです。
あと上は太陽。
この光ですね。
太陽の光が田や畑に降り注ぎ豊かな実りの秋を迎える。
お餅には自然の恵みに対する深い感謝が込められています
家族一緒にお餅のごちそうを頂く事で大切な心が次の世代に引き継がれていきます
川内村のお餅の文化には古い歴史があります
村のあちこちに見られる講塚。
「講」とは夜通し神様に祈ったりお参りをしたりする行事です。
災害や飢饉のあと村人が力を合わせて立ち上がろうとする時みんなで神や仏に祈りました
例えば「庚申講」。
当番の家に村中の人が集まり神様を祭って餅を食べ酒を飲んで夜を明かしました。
60日後次の庚申の日は別の当番の家に集まる。
こうして回を重ね最後に石碑を建てたのです
ノートを見せてくれたソノ子さんの夫美誉さんがしまってあるもち米を見せてくれました
お餅によってつながってきた川内村の人々。
美誉さんは今回の震災もみんなで力を合わせて乗り越えていきたいと願っています
若い世代でもち米作りを始めた人もいます
秋にはみんなを集めて餅をつき村を元気にしたいと初めて挑戦しました
これです。
(取材者)結構ありますね。
秋元さんの家では原発事故のあと両親が高齢な事もあって米作りをやめていました。
活廣さんがもち米作りを始めた理由はどんな苦しい時もみんなで餅をつき乗り越えてきた村の歴史を学んだからです
活廣さんは今川内村で暮らす両親のもとを離れ車で1時間余りのいわき市で生活しています
川内村に戻らない理由はまだ小さい2人の娘の健康を心配したからです
活廣さんの仕事は福島第一原発の廃炉作業です。
朝5時に家を出て働きづめの重労働です
いつか家族を連れて川内村に帰りたいと活廣さんは願っています
村に新たな雇用の場を作りもう一度みんなが一緒に暮らす事のできる川内村を作りたいと考えています
川内村はお盆を迎えました
活廣さんは家族と共に両親の住む家に帰っていました
お供え物はぼたもちとこの地方独特のえごまをすったじゅうねんもちです
食卓にも手作りのじゅうねんもちとぼたもちが並びました。
原発事故のあと田んぼをやめてしまった活廣さんの家ではもち米を買ってぼたもちなどのお供え物を作ってきました。
今度の正月には自分の家で作ったもち米で餅が食べられると今から楽しみにしています
あ〜落っこっちゃった。
活廣さんは村でとれたもち米で餅をつきみんなで食べる喜びを自分の家族以外にも広げていきたいと考えていました
この日活廣さんは同じ川内村出身で今はいわき市で暮らす若い世代と集まりを持ちました
ではいやいやいや…。
お疲れっす〜。
どうもどうも…。
俺のがないって?・俺のないわ。
集まった仲間は活廣さんと幼なじみで2人とも福島第一原発の廃炉作業をしています
活廣さんはもち米作りを手伝ってほしいと持ちかけました
活廣さんの思いが届いたようです
結城さん若い世代が頑張ってますね。
やるなあおい。
ここは非常に分厚いお餅の文化がず〜っとここの食文化の柱ですよ。
これを何かこの復興の力に生かせないかっていうのが僕あるんですな。
お餅についても世界広がっていきそうですよね。
なかなか離れてて帰れないなあとかいう人にも例えばお正月鏡餅なんかを作って届ける。
そうすると思い出すんじゃないか。
そうだったんだそうだったんだ。
川内の一番いい楽しい日の記憶とこのお餅。
鏡餅がもし手に入ったらたとえ離れていても川内っていうその心何かつながるし。
ねえ?「時々餅つきに来いや」とか「餅食いに来いや」ぐらいやると遠く離れてる人たちにも何かこう絆になるんじゃない?ここでもやはり一つ心配なのがセシウムの量だと思うんですよね。
では今回の測定結果を。
もち米のデータです。
どうぞ。
これは南相馬でとれたもち米です。
しかも2011年のお米ですから一番汚染が高かった時期のお米なんですがご覧のようにもみ状態では高いんですね。
それを玄米にしますと大体2/3ぐらいまで減ります。
これはセシウムがもみ殻に含まれてるからなんですね。
それを更に白米にしますと半分ぐらいに減る。
その原因はぬかですね。
ぬかにセシウムが入ってます。
それを洗ってごはんにするとまたぐらいになる。
もみからごはんまで計算するとざっとぐらい。
実際にごはんまでにするとこんなふうに下がっちゃう。
ですからまあお餅にしてもですね例えば去年・今年のお米ですともっと玄米状態で下がってますからごはんにしたら1ベクレル以下になっちゃうという事なんですね。
餅は問題なしという事ですか?ゼロではもちろんないかもしれないけども食べて問題のあるレベルでは全くないと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
何かお墨付きをもらった。
(拍手)
最後に野菜やお餅などを使って村に楽しみの場を広げていくにはどうしたらいいかグループに分かれて話し合います
そうそうそうそう。
そういう歌を作りゃいいんだよな。
出身者…全国にいる村出身者でもいいと思うんですよね。
グループごとに発表します
(拍手)村の食堂で川内の野菜を使った定食のメニューを出して田舎の料理を作ったり村のお母さん方が漬物を作ってもらって食べてもいいですしそのまま売る方向に流れていってもいいのかなと。
村で食堂を経営して村のものを食べてもらって風評被害をどんどんどんどん小さくしていければいいなと。
これから未来の目標として農家レストランを運営経営していってみたい。
あとはコミュニティースペースを新たに作ってみんなの集まる場所として運営していきたい。
あといろんな意味での力をつける。
人間力であったり継続力であったり経済力であったり村として強くなっていきたい。
以上です。
私たちの班では餅をつく。
すぐやって1年以内にはそれでその川内産のもち米で餅つき体験とかを開催するとか。
例えば鏡餅づくりとか。
あともち米の餅つき体験を苗から育てるところから餅つき体験講座を開催してそれ自体を事業としてというか成立させたいねっていう話で餅の歌もリリースしちゃおうかみたいな。
今度出来ます商業施設の中に直売所を作っておいしい総菜屋さんを作るという事になりました。
それでこれから1年以内にやる事として営業許可を取ったりとかあと行政の力をちょっとお借りして補助金なんか頂ければもっと活動が加速するのかなという事で。
はい挙げました。
以上です。
(拍手)ではここで講評を頂きたいと思います。
汚染そのものは随分下がってるわけですからそれを具体的にどうPRしていくのか。
その事にかなりかかってるんじゃないかなというふうに思います。
困難を逆に皆さんの心の栄養にして未来の力にしていって頂きたいなというふうに感じました。
以上です。
ここで皆さんに今日の感想を伺いたいと思います。
うちに籠もるのが多いもんですから若い人と話したりというのはなかなかないんですよ。
やっぱりこういうとこに来ればいっぱい勉強になるしよかったと思う。
秋元優子さんたちの集まりですとかああいった畑仕事。
そういったつながりなんかもこれから広がっていって頂ければなと思いますし僕も機会があれば…というかもう次回やる時には呼んで頂ければと思いますんで。
是非参加してくれるようお願いします。
ありがとうございます。
私村役場の立場なので「補助金取ってきてね」って言われたんですけどそれも補助金がなくてもできるけど補助金があれば加速するよというスタンスでやろうっていう話なのでものすごく力を感じたと思います。
VTRで出てた美誉さんのあの言葉がすごいこの餅が今まで川内村をつくってきたみたいな形のお話。
それを代々に今切らすわけにはいかないという事で。
同じような精神で今過去にもいろいろ大変な事があったんでしょうけども今この大変な状況を我々が責任を持って引き継いでいかなきゃいけないなと。
この土地でしかできないような事を一緒にやっていきたいなと感じさせられました。
ありがとうございます。
総菜屋をやる。
ここを目標にちゃんと定めると補助金ちょっと出せやなんてのもリアルだね。
そういう意味ではものすごく具体な計画が出てきたなぁと感じました。
あとはやっちゃいましょう。
ねっやっちゃいましょう。
柳田國男さんが昭和4年ごろにこう言うんです。
いい川内をつくるためには僕は外から応援はもちろんします。
だけどそれを良くするのは川内を良い村良い地域にしようとそう思う。
そういうとこで暮らそうよという人々がいてここは良い川内になっていくんだなぁと。
ここにいる人々の力で頑張って頂きたいなって。
僕はそう思うんです。
皆さんの美しく暮らそうという心と行動に期待をします。
ありがとうございました。
(拍手)ありがとうございました。
川内村で一つ話し合いから生まれたアイデアが実行に移されました
秋元活廣さんたちが呼びかけた餅つき体験
川内小学校の子供たちも参加しました
餅をつき餅を食べてさまざまな苦難を乗り越えてきた川内村の人々。
年末には今年秋にとれたもち米で鏡餅を作って村を離れた若い世代にも届ける予定です
川内村に楽しみの場がまた一つ生まれようとしています
川内村の中に楽しみの場を作ってそこからこれからの復興について考えていこうという試み。
若い世代を含めた川内村の人たちの熱い思いが伝わってきました。
さて復興支援ソング「花は咲く」を皆さんに歌って頂く「100万人の花は咲く」たくさんのビデオをお寄せ頂いています。
これまでに2,265組およそ11万人に参加頂いています。
ありがとうございます。
番組で随時紹介しています。
今もたくさんのビデオをNHKにお寄せ頂いています。
いくつか紹介しましょう。
まずは広島から届けられた「花は咲く」。
下手でもいい思いを届けようと一念発起したそうです。
震災でオレゴンの海岸には日本からの漂流物があって改めて災害の大きさを実感したそうです。
この春卒業した学生たちが入学したのは震災の翌月。
その影響で入学式がないまま大学生活がスタートしたそうです。
次世代そして復興を担い社会へ羽ばたいていく応援歌として歌って下さったそうです。
「100万人の花は咲く」皆さんの参加をお待ちしています。
詳しくはホームページをご覧になって下さい。
さて震災から4年半自らやるべき事が見えてきたという方もいる中でいまだこれからの住まいが決まっていないという方もいらっしゃいます。
被災した地域で暮らす方々の今の思い。
岩手県大町の皆さんです。
私は今現在赤浜の仮設に住んでおります。
赤浜は復興が遅れております。
私は大町にあるホテルの総支配人です。
この建物も津波で大きな被害を受けましたが2年半の月日を要して復活をいたしました。
今は地元の方々が同級会や結婚式等集いの場として利用される機会も増えここの復興が進んでいる事を実感をしております。
私は大にあるすりきず公園の管理人をしております。
被災した子供たちのために2年半前に民間会社によってつくられました。
この2年で大の子供たちの成長を目の当たりにしてきました。
2015/09/20(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう− 復興サポート「村に楽しみの場をつくろう〜福島・川内村2」[字]
川内村は避難指示がほぼ全域で解除されたが、若い世代の多くが帰らず、農林業などの再生も難しい状況にある。村に「楽しみの場」をつくり、活力を取り戻す道を考える。
詳細情報
番組内容
昨年10月に避難指示がほぼ全域で解除になった福島・川内村。しかし若い世代の多くが帰らず、農林業などの再生も難しい状況にある。そんな中、高齢者などが共同で始めた野菜作りの会や、餅の食文化を受け継ごうと始まった若い世代のモチ米づくりなど、新しい動きが始まった。どうやって村に「楽しみの場」をつくり、活力を取り戻していくのかを、民俗研究家の結城登美雄さん、分子生物学者の河田昌東さんとともに考える。
出演者
【出演】民俗研究家…結城登美雄,NPOチェルノブイリ救援・中部理事…河田昌東,【キャスター】内多勝康
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:30291(0x7653)