デビューのきっかけと初出演映画の思い出
—- 岩下さんの松竹入りは、ご自分で「この会社に入りたい!」とお決めになったんですか?
岩下:いえいえ。私は17歳のときに『バス通り裏』というドラマに出まして。父の知り合いの紹介で、たまたま「本当の高校生を捜してる」と。そうしたらプロデューサーの方が「ぜひ」ということで、NHKでやらせていただくようになって。それを当時、木下惠介監督のプロデューサーをやっていらした小梶正治さんという方がご覧になって、木下先生に紹介して、それで松竹に入ることになったんです。
—- 松竹に入った時点では、木下惠介監督の『笛吹川』が最初になるわけですか。
岩下:はい。そのときは台詞も3つぐらいしかなかったですし「10日ぐらいで終わりますよ」と言われていたので、そう思って行ったら、これが2カ月かかったんですね。木下組は当時丁寧に撮ってましたから。
—- あのころの大監督は「今日の雲の具合が悪いから休む」って平気で言うんですよね。
岩下:そうなんですよ! 現場行っても、「あ~、だめ! ちょっと光が弱い」とかね。木下先生は自然をすごく大事になさる方でしたので、風とか、陽の光とか、空気の流れ、そういったものをとても大事になさったので、状況が整わないとキャメラが回らないんです。だから朝、時代劇ですから支度はしましたけど、現場に行って中止というのがありました。
—- あの映画では馬に苦労されたようで。
岩下:生まれて初めて乗ったんですが、恐かったんですよ。「よーい、ハイ!」って言うと、馬も私が恐がってるのがわかるので、バーン!! と後ろ足だけで立ち上がるんですよ。それで、2度ほど振り落とされて。3度目はしょうがないから馬のたてがみを全部手に編みこんだんですが(笑)、それもまた馬にはわかるんですよね。どうにか撮り終えましたけど、そのせいで私、馬のトラウマがあります。
—- 木下監督の『死闘の伝説』では菅原文太さんが馬に乗って襲ってくる場面がありますね。
岩下:そうでした。『死闘の伝説』は層雲峡にロケに行ったのでよく憶えてます。私は村長の娘で、田中絹代さんとご一緒したのは最初で最後でした。木下先生が招いてくださって、一緒にお食事のテーブルを囲んだ記憶があります。
—- 木下監督の指示は細かいですか?
岩下:自由に芝居をさせて下さり、気になったところを注意なさる演出方法ですね。すごく穏やかで、繊細な方でした。私は『笛吹川』のときは“監督さん”というと恐くてすごく偉い人という印象があったので、木下監督とはあまり近くでお話はできなかったです。その後に出演させて頂いた小津監督は演出が本当に細かったですネ。