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西野神社 社務日誌

2012-05-23 北海道新幹線の新函館〜札幌間は本年度内に着工されます

私は、平成20年12月17日付の記事平成22年5月22日付の記事同年12月4日付の記事などで、特に並行在来線の経営分離問題に注目して、北海道新幹線開業に伴う諸問題を紹介・解説させて頂きました。

その後、このブログでは特にこの問題を取り上げてはきませんでしたが、北海道新幹線に関しては昨年から今年にかけて、いろいろと大きな動きがありました。そこで今回は、北海道新幹線、特に新函館札幌間の着工をめぐる、現在に至るまでの大まかな一連の動きをまとめてみる事にします。ちなみに、下の路線図は、平成23年12月22日の北海道新聞の紙面からの転載です。


北海道新幹線路線図(新青森〜札幌)

昭和39年10月、東京五輪開催に合わせて、初めての新幹線である東海道新幹線東京新大阪間で開業し、北海道新幹線もその5年後の新全国総合開発計画に盛り込まれ、国策として整備される方針が打ち出されました。当時の整備計画では、青森〜札幌間の新幹線開業目標は昭和60年とされ、概算の建設費や最高速度も記されていました。この頃、北海道新幹線の早期開業は、恐らくほとんどの人達が信じて疑っていなかったと思います。

しかし、オイルショックにより日本の高度経済成長期が終焉を迎えると、新幹線建設の足取りは重くなっていき、東北新幹線大宮盛岡間が開業した3ヶ月後の昭和57年9月、政府国鉄の経営悪化を理由に新幹線の全線建設を凍結しました。こうして、昭和62年の国鉄分割民営化と計画凍結解除、翌63年の青函トンネル開業などを経て北陸新幹線(所謂長野新幹線高崎軽井沢間)が平成元年に着工されるまで、新幹線整備は完全に停滞する事となりました。

平成の御代に入ってから、停滞していた新幹線整備が再び動き始め、平成9年には、長野五輪開催に間に合わせる名目で北陸新幹線が長野まで開業し、同新幹線の長野〜金沢間と、九州新幹線鹿児島ルートも相次いで着工され、平成10年2月には北海道新幹線全線(新青森〜札幌間)のルートと駅も発表され、そして平成16年、ついに北海道新幹線の着工が決まりました。着工決定区間は新青森〜新函館間で、新函館〜札幌間の着工は先送りされたものの、札幌延伸による北海道新幹線全線開通への道民の期待は高まり、平成17年5月には新青森〜新函館間がついに着工され、同区間の開業予定は平成27年とされました。

ちなみに、現在(東北新幹線・八戸〜新青森間の開業後)の新青森駅の様子は昨年12月20日付の記事で、新函館駅が建設される事になる渡島大野駅の様子は一昨年10月28日付の記事で、それぞれ写真と共に紹介させて頂きました。なお、この両駅間のルートが記されている以下の路線図は、クリックすると拡大表示されます(この路線図は函館駅構内に掲示されていたものを私がデジカメで撮影してきたものです)。

北海道新幹線路線図(新青森〜新函館)

新青森〜新函館間の着工により北海道新幹線の整備は勢いがつき、平成20年には、当時の自民党公明党の連立政権が、北海道新幹線の札幌延伸を実現させるための政治的手段として、着工が未定であった新函館〜札幌間について、まずは長万部〜札幌間で先行着工するという方針を決定しました。長万部〜札幌間だけを飛び地的に開業させても、新幹線としてはほぼ機能しないのは確実で、現実には新函館〜長万部間も同時に開業させる必要があり、つまり、長万部〜札幌間の先行着工決定は、事実上、新函館からの札幌延伸が決定された事を意味していました。

ところが、平成21年に民主党政権が発足すると、公共事業についての大幅な見直しが行われ、「前政権与党の合意で着工が決定された区間の調査費」の予算が打ち切られ、新幹線の新規着工についても「白紙から考える」とされ、前政権が事実上決定した新函館〜札幌間の着工は保留とされてしまいました。その一方で、東北新幹線や九州新幹線は整備が継続され、一昨年の12月には八戸〜新青森間が、昨年3月には博多新八代間が相次いで開業し、これにより、東北新幹線は東京〜新青森までの全線が、九州新幹線も博多〜鹿児島中央までの鹿児島ルート全線が開業するに至りました。

こういった、新幹線の相次ぐ開業を受けて、新函館〜札幌間の新規着工を一度は“白紙化”した民主党内でも北海道新幹線整備の動きが加速し、この後、同区間の着工をめぐる動きは急展開していきます。この急展開の背景には、今まで最大の懸案だった建設費用の目処が立った事(新幹線の建設主体となる鉄道建設・運輸施設整備支援機構の利益余剰金1兆2,000億円の国庫返納に伴う法改正により、これまで北陸新幹線の債務返済に充てられてきた整備新幹線施設使用料を建設費として使えるようになったのです)と、東日本大震災により大型公共事業に対する批判が弱まった事(震災では鉄道や道路の寸断による市民生活への影響が甚大だったため、大規模災害時に迂回路となる交通網の整備に対して理解が深まりました)が追い風になったという面が大きくありました。

そして、政府が整備新幹線を着工するための条件として設定している、(1)安定的な財源見通しの確保、(2)収支採算性、(3)投資効果、(4)営業主体としてのJRの同意、(5)並行在来線のJR経営分離についての沿線自治体の同意、の5条件のうち、新函館〜札幌間については、平成23年12月までに(1)〜(4)の条件が満たされたと確認され、あとは残りの(5)の条件さえを満たせば、同区間が着工される見通しとなりました。

こういった経緯を経て昨年12月21日、北海道新幹線の新函館〜札幌間開業に伴いJR北海道から経営分離される事になる在来線小樽函館間(253km)の沿線全15市町のうち唯一地元同意を先送りしていた、15市町の中では最大の自治体である函館市の工藤寿樹市長が、函館市役所で記者会見を行ない、在来線・函館〜新函館(18km)のJRからの経営分離について「熟慮に熟慮を重ねた上で同意するという判断に至った」と表明し、これにより、政府が求める着工5条件が全て充たされ、新函館〜札幌間の着工が事実上、ついに確定しました。

下の写真は、函館の工藤市長が経営分離について同意すると発表した翌日(平成23年12月22日)と翌々日(23日)にそれぞれ発行された北海道新聞の紙面で、御覧のように、この件は第一面のトップ記事として大きく報道されました。また、工藤市長が同意を表明したその日(21日)には、最後まで回答を先送りしていた函館市がついに同意した事と、それにより北海道新幹線の札幌延伸が決まった事を伝える号外が、札幌・函館・小樽の3市で約7,000部配布されました。

北海道新幹線の札幌延伸決定を伝える新聞

函館市以外の14市町が既に同意していた中で、函館市の同意表明が最も遅れたのは、函館市では函館商工会議所など主要団体が「JRによる経営継続が不可欠」「道から提示された内容は曖昧」などとして同意に反対していたためで、こういった事情から、市としては回答を先送りせざるを得なかったのです。そもそも函館市は、早くから新幹線誘致に動き、道や札幌の経済界から協力が得られなかった時期も誘致運動を継続し、平成6年には道と、新幹線を函館駅まで乗り入れさせるという約束まで交わすに至りました。当時の木戸浦隆一市長と横路孝弘知事が交わした確認書や覚書には、新函館駅は大野町(現在の北斗市)に設置するとした一方で、函館駅に新幹線車両が乗り入れるための工事も行うとはっきり明記され、そのため函館市では、新幹線が函館駅に乗り入れる事を前提に函館駅周辺の整備を進め、平成15年に5代目の駅舎として函館駅が新築される時には、新幹線時代に対応する駅舎にするためとして、函館市はJRに50億円の補助を行なうなどもしてきました。

ところが平成17年、高橋はるみ知事は、函館駅に新幹線車両が乗り入れるための工事について「工事費が莫大なため実現困難」と撤回を表明し、更にJRが、新幹線車両を函館駅に乗り入れさせるどころか、在来線を経営分離してその経営から撤退するという方針を打ち出したため、函館市は猛反発し、当時の西尾正範市長は分離に反対する11万人の署名をJRに提出すると共に、一方的に約束を反故にした道に対して対決姿勢を強めました。また、平成18年に、新函館駅が建設される事になる北斗市の市長が「新駅は函館の行政区域外なのだから、新函館という駅名は奇異に感じる。北斗駅にすべきだ」と発言した事も、一部函館市民の感情を逆なでさせる事になりました。

過去にこういった経緯があったため、工藤市長が同意を発表する3日前に、高橋知事が函館市を訪問して、「是非お願いします」と低姿勢にお願いをする形で、工藤市長に早期同意を要請し、またJR側も函館市に対して、函館〜新函館間の在来線について、同区間のうち非電化区間である五稜郭〜新函館間を今後電化する事と、経営分離後に同区間を引き継ぐ事になる第三セクターを支援するという意向を示し、これらを受けて工藤市長は、分離への反対論が根強い地元との板挟みになりながらも、高橋知事の訪問から2日間のうちに市内の約100団体を回って同意への理解を求め、結局理解は得られなかったものの、これ以上函館だけが反対を続けると、札幌延伸を求める道や沿線自治体との関係が悪化し、函館が抱える様々な課題の解決に悪影響を与えかねないとの政治的判断により、根強い反対論を押し切る形で同意を表明したのです。その上で、記者会見では、道のこれまでの進め方については「遅過ぎる。道は他人事だった。本来は道が主体になってまとめる話し」などと、道を厳しく批判もしました。そして、工藤市長のこの会見のすぐ後に、高橋知事は函館市への気遣いとして、「函館市民から道に大変な不信感がある中で、函館市長には大変苦渋の決断をして戴き、心から感謝申し上げる」とのコメントを発表しました。

工藤市長の同意発表の後、函館商工会議所は、「道の条件は納得できるものではなく、議論の時間も少な過ぎた。市長が札幌中心の議論に巻き込まれた」と市長を批判すると共に、「(函館以外の)道民は、函館が新幹線誘致に孤軍奮闘してきた歴史を十分に理解していない。道にもっと協力をいただきたかった」と道の対応も批判するコメントを発表し、また、函館市町会連合会でも、「昨年集めた(経営分離に反対する)11万人の署名の重みを受け止めての決断は市長も辛かっただろう」と市長を気遣いながらも「同意は不本意」とコメントしました。

その一方で、札幌延伸を求めてきた札幌市や道内経済界には歓迎や安堵の声が広がり、札幌市の上田文雄市長は、「新幹線の必要性と地域住民の生活の足の確保の両面から、(函館市長が)大きな視点に立って決断された事に心から敬意を表したい。道、経済界と協力し、新幹線の整備効果を北海道全体に広げていくよう努力する」との歓迎のコメントを発表し、また、北海道経済連合会の近藤龍夫会長も、「函館市長にはオール北海道の視点で英断して戴き、本当にありがたい。北海道全体が元気になってこそ、それぞれの地域も元気になる」と、函館市に対して気遣いを見せるコメントを発表しました。

以上の経緯を踏まえ、民主党・国民新党の連立与党は、北海道新幹線の新函館〜札幌間をはじめとする整備新幹線の未着工3区間について、5条件を満たした段階で速やかに新規着工を認める事を藤村修官房長官に申し入れ、政府もこれを了承しました。そして、省庁間の調整会議を経て、政府・与党が最終合意し、新函館〜札幌間は今年度(平成24年度)中に着工される事が決まったのです。但し、単年度の財政負担を少なくするため(北海道新幹線よりも北陸新幹線の建設を優先するという事情もありますが)、建設期間はこれまでの目安だった10年程度から15〜25年程度に延長する方向で進められ、そのため、北海道新幹線の新函館〜札幌間は完成まで24年程度もかかる見通しで(という事は、新函館〜札幌間が開業するのは平成47年度、西暦2035年度という事になります)、この長過ぎる工期に対しては当然、一般市民の他、観光業界や建設業界などからも不満の声が出ています。工期短縮が、今後の課題になりそうです。


ところで、北海道新幹線の新青森〜新函館間については、3年後の平成27年に開業する予定となっていますが、この区間の開業に合わせてJRから経営分離される事になる、並行在来線の江差線木古内〜五稜郭間(37.8km)については、今日(5月23日)、道が函館市内で開催した、函館市など沿線2市1町との協議会で、道主体の第三セクターを設立して鉄道を存続させる事で正式に合意しました。道は当初、同区間の鉄道存続は赤字が続くとして、バス路線への転換を提示しましたが、地元の反発を受けてこれを撤回し、今年1月に鉄道存続へ方針を修正していましたが、今回の合意により、ようやく正式に、江差線の存続と、各自治体の具体的な分担割合が決まった事になります。

江差線 路線図

具体的には、第三セクター開業後30年間で51億5,900万円と推計される公共負担の割合について、道80%、北斗市11.2%、函館市と木古内町で各4.4%とし、第三セクター開業後5年毎に、利用状況や収支動向の検証を行う事になりました。また、道と2市1町は、第三セクター鉄道開業に向けて準備を進める協議会を本日付で新たに設立し、今後は道が中心となって、JR北海道からの出向社員の受け入れや、JRからの譲渡資産の仕分けを進め、第三セクター鉄道のダイヤや運賃など基本方針の策定も決めるとの事です。第三セクターは平成26年4月に設立し、翌27年度の北海道新幹線開業に伴う江差線の第三セクター鉄道運行開始に備えるとしています。

地元の要望に応える形で、江差線・木古内〜五稜郭間の存続は確定しましたが、当然の事ながら、同区間を運営する第三セクターは開業時から大幅な赤字が見込まれており(そもそも、もし黒字が見込まれていたとしたら、小樽〜札幌間がそうであるように、並行在来線といえどもJRが手放したりはしません)、第三セクターの経営の先行きに対しては早くも懸念する声が続出しており、関係者からは、「地域の足を守るにはある程度の赤字は避けられないが、道の経営見通しが甘いと、経営難のHAC(北海道エアシステム)の二の舞いになる」との声も聞かれています。

ちなみに、江差線の木古内〜江差間(41.2km)は、並行在来線には該当しないため、北海道新幹線の開業後も引き続きJRが運行するとしていますが、この区間はほとんど“空気を輸送している”というような状態で、大変失礼ながら、なぜ今までこの区間は廃止されなかったのか、と不思議に思ってしまう程の輸送実績ですから、この区間についても、やはり今後の見通しは明るくは無いと言わざるを得ません。


(田頭)

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