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今日の社説

2015/09/20 01:11

安保関連法成立 抑止力向上につなげたい

 難産の末、安全保障関連法が成立した。衆院、参院での長時間の質疑は、集団的自衛権の行使が合憲か違憲かの議論に偏り、「戦争法案」などのレッテル貼りが横行して安全保障に関する本質的な議論は最後まで深まらなかった。国会終盤の攻防はドタバタ続きで見苦しく、品位を欠いた。国民の理解が広がらないなかでの採択は残念というほかない。

 だが、東アジアの安全保障環境は日に日に厳しさを増している。核・ミサイル開発を進める北朝鮮や中国の冒険的な拡張主義に歯止めをかけるには日米同盟を強化し、力による現状変更はできないと相手に理解させ、「法の支配」を受け入れさせる努力を続けていくほかない。安全保障関連法は「積極的平和主義」の具体化に不可欠であり、抑止力を高め、日本の平和と安全を守り抜くために必要な法律である。

 外交・安保問題は「票にならない」といわれる。それでも国民の生命・財産を守る政策を第一に考え、危機に備えるのが政治の責任だろう。その使命に果敢に取り組み、成果を得た政府・与党の労を多としたい。

 野党側は国会前での安保法制反対デモをあたかも「民意」のごとく持ち上げ、違憲論を振りかざすばかりだった。「戦争法案」や「徴兵制復活」などのおどろおどろしい言葉で不安をあおり、安保環境の変化にどう対応していくか、という本質的な論議を避け、政策・戦略を示さなかった。特に集団的自衛権に関する最終的な党見解を出せなかった民主党の対応は物足りなかった。

 集団的自衛権の行使を限定的に容認する自衛隊法などの改正によって、日本が直接攻撃されていなくても自衛隊の武力行使が可能になった。従来の憲法解釈を変更し、「新3要件」のもとで集団的自衛権の行使を認めたことに根強い批判がある。衆院憲法審査会で、各党推薦の3人の憲法学者が、安保法案を「憲法違反」と明言したことが批判に拍車をかけた。

 野党からは「立憲主義に反する」「限定容認というが歯止めがきかない恐れがある」「平和主義からの逸脱」「海外派兵につながる」などの指摘も相次いだ。

 だが、国際情勢の変化に即して憲法解釈を変更していくのは妥当な判断ではないか。自衛隊創設時、内閣法制局が自衛隊の存在と個別的自衛権を容認する解釈を示した際、当時の憲法学者や野党は「解釈改憲だ」と非難した。それが今では手のひらを返すように内閣法制局の9条解釈を評価し、これを変更しないことが「立憲主義」だとまで主張する。条文の解釈が正しいかどうかについては、理論的に論証できるものではなく、国際情勢の変化に即して変えていくのが自然な姿なのではないか。

 実際、憲法9条を文字通り解釈すれば、自衛隊の存在自体が違憲である。事実、憲法学者の解釈もつい最近まで違憲論が多数派だったが、現在は自衛隊を合憲とみなす憲法学者が増えた。集団的自衛権を違憲という憲法学者も国際情勢の変化を徐々に受け入れ、見解を変えていく余地は十分にある。

 集団的自衛権による抑止力の向上によって、武力衝突は起きにくくなるだろう。スイスのような「一国平和主義」は、少なくとも東アジアにおいては通用せず、米軍の軍事力に頼らざるを得ない。その場合、個別的自衛権でも米軍を守ることは可能とする声もあるが、個別的自衛権の拡大解釈は国際法違反の恐れがあり、かえって危険である。

 安全保障に関する問題は、興味を持たれにくく、「関心がある」という国民は少ない。法案は難解で聞き慣れぬ用語が多く、全容を理解するのに骨が折れた。国民の間で、なかなか支持が広がらなかったのは無理もない面がある。世論調査で安保法案への反対が賛成を上回っているのは、よく分からないものには賛成できないという心理でもあろう。

 日米安保条約がそうであったように、安保関連法も国民の理解が深まるまで長い時間がかかる可能性がある。だが、この法律があって良かったと心から思える時が来るかもしれない。安保関連法が戦後日本の平和国家としての歩みを未来へとつなげる一助となることを願ってやまない。