1991年から92年にかけて23歳以下のサッカー韓国代表監督を務めたデットマール・クラマー氏が死去した。享年90歳。ドイツサッカー協会(DFB)は18日(韓国時間)に協会の公式ウェブサイトを通じ「クラマー氏がドイツ・バイエルン州のライト・イム・ビンクルで死去した」と明らかにした。
クラマー氏は1991年1月、23歳以下のオリンピック代表ながら、外国人として初めて韓国代表の監督を務めた人物だ。科学的な練習方法を導入し、韓国代表を92年のバルセロナ大会に導いたが、チーム内の不和が原因で就任から1年で辞任した。
1948年に指導者となったクラマー氏は60年、4年後の64年東京オリンピックを見据えた日本代表の監督に就任し、東京大会のベスト8進出や次のメキシコ大会での日本の銅メダル獲得に大きく貢献した。75年にバイエルン・ミュンヘンの監督に就任すると、欧州チャンピオンズリーグの前身であるヨーロピアン・カップで同チームを2連覇に導き、名将としての地位を不動のものとした。選手の性格に合わせて細かい指導を行うことから、韓国では「サッカー教授」などと呼ばれていた。1982-85年にレバークーゼンの監督を務めたときには、車範根(チャ・ボムグン)元韓国代表監督を指導したことでも知られる。
クラマー氏は2011年、ドイツ・サッカー協会から功労賞が授与されている。