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【スポーツ】

<首都スポ>名門再建へ奮闘 ラグビー日体大の田沼監督

2015年9月19日 紙面から

練習で指示を出す日体大ラグビー部の田沼広之監督

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 関東大学ラグビーの名門日体大の再建へ、今季監督に就任した元ワールドカップ(W杯)戦士が奮闘中だ。1999年と2003年のW杯に出場した元日本代表FWで、日体大OBの田沼広之監督(42)。かつて早慶明と肩を並べた古豪は昨季、初めて関東大学対抗戦Bグループ(2部相当)に降格し、今季Aグループ(1部相当)に復帰した。「100%の挑戦」を掲げ、ラグビーだけではなく、教員、ラグビー指導者を送り出すことも、「再建のミッション」という監督に話を聞いた。 (関陽一郎)

 「当たれ、当たれ!」。「最後のところ、しっかり!」。小雨が降るグラウンド。現役時代は抜群の走力と193センチの大きな体で世界とぶつかり合った指揮官の声が響く。「社会に出たとき、日体大(出身)の学生はすげえなあって感じにしたいと思っているんです。彼らにその素質はありますから」。田沼監督は力を込めた。

 日本選手権1度、大学選手権2度優勝を誇る日体大ラグビー部は、日本代表や数多くの指導者を輩出してきた。ここ20年ほどは、さまざまな方策で強化をする他校との差が徐々に開き、対抗戦(A・B制は97年度から)の優勝は田沼監督が在学中だった95年度、大学選手権出場は08年度が最後だ。13年度は対抗戦A最下位で、入れ替え戦に敗れて初めてBへ降格。昨季はBで優勝、今季再びAに戻ってきた。

 「ラグビーをするってとても大変だと思うんですよね。その日も、1年1年も、体を武装しておかないと」

 2度のW杯に出場、10年に現役を退いた監督は、社業のかたわらコーチなどをしていたリコーを今春退社し、母校に戻った。最初に、目についたのは選手たちの自信のなさと、生活面の取り組みに対する意識の低さだったという。そこで、掲げたテーマが「100%の挑戦」だった。

 伝統の「縦横無尽に走り回る」ランニングラグビーを継承しつつ、80分間戦う運動量とタックルを磨く。タックルしては起き、サポートして、またタックルをする。公式戦でも、練習でも、常に挑戦し続けられたかどうかを問う。

 生活面では、食事の採り方に気を配り、部員やスタッフ全員の手で寮や部室の掃除も行う。もしそこで手を抜くと、試合や練習で、最後に落とし穴が潜んでいる、と思うからだ。ヒントは、自身が学んだ、世界王者、ニュージーランドのコーチング学だった。

 「ひとつのことをやり続けるって、メンタルトレーニングになるという話でした。例えば歯磨き。どれだけ眠くても1年間できたときに、ひとつ精神力が強くなると。例えば、練習後に飲むプロテイン。『まあいいか』と思うと、そのほころびから(試合で)『(審判に)見えていないからいいか』と、反則を取られ、PGを決められ、負けることがあると、そのコーチはすごく言っていました。ある意味、昔の日本っぽい考え方だと思ったんですけど、(ラグビー強豪国では)そういう教育がされていると」

 開幕戦(13日)の青学大戦は10−57で大敗した。まだ「100%の挑戦」をできていないと感じる。今は、土台作り。今季の具体的な目標を聞くと、「星勘定はできない」と苦笑した。

 監督として、いずれは78年度以来の大学日本一を取りたいと思う。と同時に、大学選手権6連覇中の帝京大・岩出雅之監督ら優秀な指導者を輩出してきた、教育校としての伝統も引き継いでいきたいと強く感じる。

 「教員になりたいから、日体大に行きたい子もいます。厳しいとは思いますが、いい形で教員の世界に送り出すことも、日体大再建のミッションのひとつと感じています。このあとの社会で、どんな壁にぶつかっても乗り越えられるような、選手というより、人間を1人でも多く出せたらなって思いますね」

 そう言うと、ほほ笑みながら続けた。

 「おこがましいですけれど、卒業してからも『田沼さんのところへ行こう』みたいな形になれば。簡単なことじゃないですが、やはり一生懸命彼らと向き合うことで、何か伝わるんじゃないかと思っていて。それこそ、100%ですよね」

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 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」面がトーチュウに誕生。連日、最終面で展開中

 

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