放射能を消す「水」を発見
この特殊な水を開発しているのが、
聖環境開発株式会社の代表取締役である宮本祥一氏。
試行錯誤を重ねた結果、宮本氏は、
この特殊な電解水が放射能に効果があるとの考えに至る。
そして2011年7月から福島県に入り、電解水を生成する装置を開発。
それが「放射性物質低減化装置 GFX11―MA001」だ。
現在、宮本氏の研究には、広島大学、奥羽大学、東北大学を含む複数の大学研究者
が関心を寄せている。
奥羽大学の研究者は、飼い猫にその電解水を飲ませてみると、
19歳と高齢でよだれを垂らしているような状態だった猫が、尻尾をピーンと立てて部屋中
を歩き回るようになったと言うし、
広島大学と共同で行われた「鶏に特殊な電解水を飲ませる実験」では
「特殊な電解水は、水道水に比べて、体内からの放射性物質排出促進効果が高い」
という実験結果も出ている。
さらに、東北大学では原子核工学出身の学者が関心を寄せているという。
これはどうなっているんだろうか?
ほんとうに放射能が「消える」のだろうか?
この「水」によって放射能が消える原理は、まだわかっていないようだけれど、
もし本当だったら(たぶんほんとうだけど)、
もっともっとまともにこれの研究に多くの専門家が取り組むべきかと思う。
国とか原子力なんとかという機関をあてにするのではなく、
純粋な大学の研究者あたりが、積極的にこの研究を推し進め、
トンデモ現象ではなく、ジジツ現象であることを証明し、
フクイチで困っているすべての方々に
フクイン(福音)を与えてほしいと思う。
がんばれ、「水」!、がんばれ宮本氏!。
参考サイト:
韓国の文化に触れて _ 学生エッセイ58
日本から留学している学生のエッセイ、ご紹介。(学生エッセイ58)
筆者はWSHさん(3年女子、日本人)。
「韓国の文化に触れて」
韓国に来て3か月がたった(2015年6月時点)。
だいぶ生活にも慣れてきたし、韓国の文化に触れる機会も増えたように思う。
日本と違う文化について3つあげたいと思う。
はじめに、友達についてである。
日本では基本的に年齢に関係なく仲が良ければ、
名前で呼んだり、時には年上でもタメ口で話したりということがよく見られるが、
韓国では少ないように思う。
日本よりは確実に人と人との距離は近いのに、
年齢に関することになるときっちりと呼び方や言葉遣いが分けられていて、
これも韓国の文化にひとつなのだと感じた。
韓国では基本的に同じ年に生まれた人同士がチング、いわゆる友達で、
年上なら、オッパ、オンニ、というように、
日本語で言えば、お兄ちゃん、お姉ちゃんという感じだ。
日本でも~姉さんというようにあだ名としてよぶこともあるが、
日本人の私としてはひとつしか年が変わらないのにお姉ちゃんと呼ばれることや、
ヘヨ体、いわゆる丁寧な言葉遣いで話しかけられることにまだまだ慣れない。
あと、日本に帰って誰かに話すとき、オッパやオンニのことをどうやって説明したらいいのだろうと思う。
友達?先輩?親しいお兄ちゃんお姉ちゃん?どれにも当てはまらない気がする。
そして、上でも書いたように、韓国は人との距離が近いのも特徴のひとつだと思う。
韓国の人と話をする時すごく近い距離で話しかけてくる。
私も最初はびっくりして少し顔を引いてしまったが親しみも込めてだと考えれば嬉しい。
もちろん嫌というわけではないのだが日本人が初めてこのような状況に会ったら少し驚くかもしれない。
最後に、日本人は他人の目を気にする傾向が強いという国民性があるんだ、と韓国に来て気付いた。
日本にいる間はそれが当たり前だったからわからなかった。
韓国にいると、みんないい意味で自分の空間を大事にしているというか楽しんでると思う。
日本ではカフェといえば仕事をしたり、勉強したり、
話す人達が思わず声を小さくしてしまいそうな感じだが、韓国は違う。
カフェは楽しく会話を楽しむ場所というイメージを強く感じる。
日本なら、仕事や勉強をしている人を優先して静かにしなくてはいけないというのが自然であり、
これは他人を優先した考え方である。
日本人ももう少し他人に迷惑になりすぎない程度で自分の時間を楽しんでもいいんじゃないかなと思う。
日本に帰ってカフェに行くと静かすぎて落ち着かないかもしれない。
もう少し韓国での生活が長くなってまた新しい発見をするのが楽しみだ。
韓国のカップル事情 _ 学生エッセイ57
日本から留学している学生のエッセイ、ご紹介。(学生エッセイ57)
筆者はTCCさん(3年女子、日本人)。
「韓国のカップル事情」
街を歩いて、バスに乗って、お店に入って、必ず思うこと。
カップルばっかり!どこもかしこも目に付くのはカップル。
もちろん同性同士や家族連れも見かけるがそれ以上に目に入ってくるのはカップルだ。
周りを気にすることなく仲良くしているので、なおさらなのかもしれないが…。
韓国では、「付き合う」ことがもはやステータスのひとつなのではないか、と思うほどカップルが多い。
そして、街行くカップルを見ていて、志帆とあることに気付いた。
カップルの特徴として、大きく二つに分けることができるということ。
ひとつは、誰が見ても仲良さげにラブラブしているカップル。
これがおそらく80%を占めていると言える。
そして残りの20%は、彼女が拗ね(たフリ)、彼氏が機嫌を取るというカップルだ。
ここで重要な点は、彼女側は完全拗ねているわけではないということだ。
構ってほしいのか、素直ではないのかそこは分からないが、
結局はそれを経て80%の仲良しカップルになる。という、調査結果が私たちの中で出された。
だが、最近その「付き合うことがステータス」という考えが間違いかもしれないと思い始めてきた。
なぜかというと、韓国人の友達、聞く人聞く人ほとんどが自分はソロだというのだ。
それに付き合っている人は思っているより少ないよ、と。
とても衝撃だった。私たちが今まで見てきたものは一体何だったのだろう。
そう思ったところで不意に、英語の先生が話していた言葉を思い出した。
彼はアメリカ人なのだが、韓国人のカップルはいちゃつき過ぎだ、鳥肌が立つほどだ、と。
アメリカ人が言うのだからよっぽどなのだろうと少しの偏見を持ちながら思ってしまったが、
確かに韓国人は距離が近いうえにオープンな感じだ。
結果それが、カップルが多いという錯覚を起こしたのではないだろうか。
日本でもオープンじゃないだけで思ったよりカップルが隠れているのかもしれない。
と考えが落ちついたところで、また新しい韓国人と日本人の違いに気付けて楽しくなった。
韓国のカップル事情について、最近新しい疑問ができた。
日本では見ない光景、カップル+友達という光景だ。
ダブルデートとかではない。
友達は一人だったり、二人(同性)だったり様々である。
気まずくないのか、の前になぜいるのかと思う、この「カップル+友達」設定は
これから観察していろいろ推測していこうと思う。
オンニ _ 筆者のエッセイ0022
娘が小学校を終え、中学に入学する間の冬休みに、娘を連れて何度目かの一時帰国をした。家でわたしが日本語をすこしずつは教えていたが、日本語はかたことの力しかないころだった。ふるさと米沢へ行くのがいちばんの目的であったが、日本の中心地東京もいっしょに歩いて日本の感覚を娘の心に植え付けたいとも考えていた。わたしは日本の地を踏むだけでつねにルンルンだ。娘も気分はよさそうだった。日本が好きなのである。渋谷から原宿まで歩いていった。途中、明治通りですれちがったアメリカ人とおぼしき三人が非常に印象的だった。ピエロのような格好で思い思いの服を着てダンスをするような感じで渋谷に向かって歩いていくのだった。自由な雰囲気があまりにも生き生きと漂っていて、さすがに東京はソウルとはまたちがった雰囲気だな、と思ったものだ。原宿駅のあの可憐な駅舎の中に入り、スタンプを押した。東京の中にあって、木造の駅舎がそのまま残っているのはおそらくこの原宿駅だけだろう。大正時代に作られた駅舎だと聞いているが今でもなんとなく新しさが漂っていて不思議な駅である。
原宿といえば、竹下通り。若者らでにぎわう通りも娘といっしょに歩いてみることがそのときの目的の一つだった。竹下通りの100円ショップに行って、おもしろいいろいろのものを買うことにしていた。ところがはじめての竹下通り。どこにあの100円ショップがあるのか、わからないしまつ。女子学生らがたくさんあるいているので、娘に「あ、あの女学生に100円ショップの場所をきいてきてごらん」と言った。娘はすぐ走り出して高校生とおぼしきその女学生の後ろから声をかけた。
「おねえちゃん、あのう、100円ショップ、どこにありますか」
その女学生、このことばを聞いて、あたりを見回し、声をかけられたのが自分であることを悟るのに三秒くらいかかった。自分であることがわかると、怪訝そうな面持ちながら、
「ええっと、ダイソー? それだったらあそこよ」
と、ダイソーの場所を示し、そそくさと立ち去っていった。
わたしはその一部始終を約10メートルほどの距離からずっと見ていた。かたことの日本語でも、実際に使い、ためし、経験することがいちばん重要なことだから、なんのヒントも与えずに娘を送った次第だった。女子学生は、知らない子がとつぜん追い掛けてきて「おねえちゃん」と言ったことがまずおおきなショックだったにちがいな。韓国だったら、女同士だったら、見知らぬ人に対しても「オンニ」つまり「おねえちゃん」と声をかけ、そこから話がはじまっていくケースが大部分である。「オンニ」という呼称は非常に便利で非常によく使われる呼称の一つであり、呼称の代表格であろう。店でも店員に「オンニ、これの赤いのある?」などというのである。大学でも小学校でも年上の女の先輩に対してはすべてこの「オンニ」で通じる。血を分けたおねえちゃんであってもそうでなくても「オンニ」で通じるのである。娘はこの「オンニ」をそのまま日本語にあてはめ、「おねえちゃん」と声をかけたわけである。ところが相手の「おねえちゃん」は血を分けた妹でない女の子から「おねえちゃん」と声をかけられたため、「なんでこの子、あたしにおねえちゃんなんて言うの?」と理解のできない状況に追いやられたにちがいない。しかし相手の子が小学生と幼いので、怖れるという感情はなかっただろうけど、「なんだろ、あたしにお金の無心でもするのかな?」とちょっとビビッてしまったのではないかと思う。女子学生を驚かせてしまってちょっとわるかったな、という気持ちはあったが、娘と女学生のやりとりを見ていたわたしは、おかしさを堪えられず声を出して笑っていた。あの女学生さん、すいません。こんどどっかで会ったら、この本プレゼントします。
(『おしょうしな韓国』より)
日本のお酒文化 _ 学生エッセイ56
学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその56回目で、男子学生 LJH さんの作品です。
(違和感のある部分は、ブログ管理者が適当に直してます。)
<日本のお酒文化>
韓国人にとって欠かせない存在であるお酒。酒は相手と仲よくなるきっかけにもなり、人付き合いを維持する手段でもある。または男と女の間で愛が芽生える有用な飲み物でもあろう。昔から韓国人にとってお酒は遊び文化として根付き、特に男同士では買い物とか映画といったようなデートはしないため、男にとってはなくてはならない存在である。
1次会、夕飯を食べながら軽く飲む。2次会、居酒屋で本番が始まる。3次会、カラオケにいって飲みながら歌をうたう。韓国人の定番ではないだろうか。韓国人は酒、酒、また酒のため外国人によく驚かれる。特に日本人やヨーロッパの人がよくびっくりするが、彼らのいう「韓国人は酒が強い」は少し間違ってるような気がする。ただ、酒を飲むという概念が異なるだけだと思うのだが、日本人はその雰囲気を楽しもうと、または気持がよくなるから飲むのに反して、韓国人は、酔うために飲むからなのである。日本人は生ビールを好むのに反して韓国人は焼酎を好む理由でもある。安い値段で早く酔える焼酎は韓国人に愛されるお酒である。韓国人が海外旅行時、街角で吐いている人をよく見かけるが、それは韓国人か中国人だという笑い話がある。こういうところはなおすべき恥ずかしいところだと思う。
こうした目的意識が違うから居酒屋での雰囲気やメニューも自然に異なってくる。韓国は「一緒にする」文化。ご飯を食べる時も一緒に、どこかにいく時も一緒に、お酒いっぱいを飲むときも、いちいちチャン(乾杯)をしてから一緒に飲む。何でもかんでも一緒にする韓国人の情とも言えるが、これは何かをすることに意味を置くより、一緒にするというところに意味をつける韓国人の特徴だと考えられる。
一方、私の個人的な考えだが、個人的性向が強い日本人だから自分が飲める分だけ個別的に飲む。フラフラするくらいが丁度いいわけで、酔っぱらうのが目的じゃない。もしも、酔っぱらったら相手に迷惑をかけるんじゃないか、相手に面倒を見てもらうとかのそんな厄介なことをさせてしまうことになるんじゃないかという日本人ならではの「他人に迷惑をかけたくない」との国民性が無意識の中に現れるのだろうと思う。
韓国人同士で飲んでるときのように、日本人に飲ませるのはあるまじき行為だ。たぶん、その飲み会が終わってからは相手から敬遠されることになるだろう。いちいち乾杯をして一緒に飲むとの感覚が日本人にとっては面倒くさいらしい。せっかく一緒に飲んでるのに、一緒に飲むのではなく、別々に飲むなんて私と一緒に飲みたいんじゃなくて、ただお酒の相手が必要なだけか?とも感じさせられたりするのである。
別々に飲むから韓国のように瓶ごとに注文するのではなく、一杯ずつ頼むシステムになっている。日本人は少しずつ色んな食べ物を味わいたいため、量が少なくて料理の注文量は多くなる。韓国人は居酒屋で食事を済ますとの感覚はないため、1つないし2つで十分。食事が目的であれば韓国人は飲食店に向かうだろう。
こうした目的意識の違いでメニューの価額も異なってくる。色んな料理を味わいながらその場を楽しむのが目的である日本は、料理の注文量が多いのに比べてお酒の注文量は少ない。したがってお酒の値段は高いし、料理の値段は安い。酒が目的である韓国は、料理の注文量が少なく、酒の注文量が多いため料理の値段は高く、お酒の値段はやすい。それぞれの文化なのでどちらのシステムがいいか比べられるもんではないが、私のようにお酒は大好きだが、まだ学生なのでふところ事情のよくない方であれば、少し厳しい環境であろう。しかし、無理やり飲ませない文化や飲みすぎずに丁度気分がいいくらいまでというところは、韓国人が必ず見習うところではないだろうか。
<일본의 술문화>
한국인에게 있어서 절대로 빼놓을 수 없는 존재 술. 술은 친해지는 계기가 되기도 하고, 인간관계를 유지하는 수단이기도 하며 남녀간 사랑이 싹트는 유용한 음료이기도 하다. 예전부터 한국인에 있어서 술은 놀이문화로 자리 잡기 시작했으며, 특히 남자끼리는 쇼핑을 하거나 영화를 보거나 하는 데이트는 하지 않기 때문에 남자들에게는 없어서는 안되는 존재이기도 하다.
1차 저녁식사를 하며 반주를 하고, 2차 술집에 가서 본격적으로 마시기 시작한다. 3차는 노래방에서 술을 마시며 노래를 한다. 한국인의 코스가 아닐까? 한국인은 술, 술, 또 술이기 때문에 외국인들은 놀라고는 한다. 특히 일본인이나 유럽 사람들이 놀라고는 하는데 그들이 말하는 ‘한국인은 술이 쌔다’는 틀리다고 생각한다. 단지 술을 마신다는 개념이 다른 것일 뿐이다. 일본인은 그 자리를 즐기려고, 또는 기분이 좋아지려고 마시는 반면 한국인들은 취하려고 마시기 때문이다. 일본인은 생맥주를 좋아하고, 한국인은 소주를 좋아하는 이유이기도 하다. 싼값에 빨리 취할 수 있는 소주는 한국인들에게 사랑받는 술이다. 한국인이 해외여행을 가서 길거리에서 토를 하고 있는 사람을 보면 한국인 아니면 중국인이라는 우스갯소리가 있다. 이 점은 정말 고쳐야할 부끄러운 부분이라 생각한다.
이러한 목적의식이 다르다 보니 술집에서의 분위기나 메뉴도 자연스레 달라진다. 한국은 같이 하는 문화, 밥을 먹을 때도 같이, 어디 갈 때도 같이, 술한잔을 마실 때도 일일이 짠을 하고 같이 들이킨다. 무엇이든 같이 하는 한국인의 정이라고도 말 할 수도 있겠지만 무엇을 하는 것에 의미를 두기보다 같이 한다는 것에 의미를 두는 한국인의 특징이라고 생각한다.
그에 반해, 내 개인적인 생각이지만 개인적 성향이 강한 일본인이기 때문에 자신의 주량껏 개별적으로 마신다. 알딸딸 한 정도로 괜찮고 취하는 것이 목적이 아니다. 혹시라도 취하면 상대에게 민폐를 끼치진 않을까 챙겨줘야 하는 그런 귀찮은 일을 하게 하는 것은 아닐까라는 일본인의 ‘타인에게 민폐를 끼치고 싶지 않아’라는 국민성이 무의식 중에 나타나는 것이라고 본다.
한국인끼리 술을 마실 때처럼 일본인에게 ‘마시자’라며 권하는 것은 금지라고 생각한다. 아마 그 술자리가 끝난 뒤부터는 당신을 피하게 될 것이다. 일일이 짠을 하고 같이 마신다는 것이 일본인에게는 엄청나네 귀찮은 부분인 모양이다. 이러한 부분은 한국인인 나로써는 참으로 섭섭한 부분이다. 모처럼 같이 술을 마시는데 같이 마시는게 아닌 각자 따로따로 마신다니... 나랑 술을 마시고 싶은 것이 아니라 그냥 술을 마실 상대가 필요한 건가?라고 느껴지는 부분이 있다.
각각 마시기 때문에 한국처럼 병으로 주문에 같이 마시는게 아닌 한잔씩 주문하는 시스템이다. 일본인은 조금씩 여러 가지 음식을 맛보고 싶기 때문에 양이 적고 음식의 주문량은 많아진다. 한국인은 술집에서 식사를 해결한다는 감각은 없기 때문에 1개 또는 2개로 괜찮다. 식사가 목적이라면 한국인은 음식점으로 갈 것이다.
이러한 목적의식의 차이로 메뉴의 가격이 달라진다. 여러 음식을 맛보며 그 자리를 즐기는게 목적인 일본은 요리주문량이 많고 술의 주문량은 적기 때문에 술이 비싸고 요리가 싸다. 술이 목적인 한국은 안주주문량이 적고 술의 주문량이 많기 때문에 안주가 비싸고 술이 싸다. 각각의 문화이기 때문에 어느 시스템이 좋다고 할 수는 없지만 나처럼 술을 좋아하고 주머니사정이 안 좋은 학생에게 있어서는 조금 힘든 환경이라고도 할 수 있지만 타인에게 술을 권하지 않는 문화, 취하지 않게 기분 좋을 정도로만 마시는 부분은 한국인이 배워야할 점이 아닐까.