2015年9月19日
◆政治に世論生かす仕組みを◆
安全保障関連法は平和国家としての日本の在り方を根本から変容させるものだ。大きな分岐点であるのに、安倍晋三首相は国民の疑問を解消する的確な説明をせず、反対や慎重意見も無視し、法制の必要性を「理解」するよう国民に押し付けた。
国会外に抗議の声があふれる。「政権の暴走だ」「民主主義はどこへ」。なぜ国民がここまで悲痛な叫びを上げているのか。国会議員は国民の意見を政治に反映できる仕組みを構築すべきだ。
数の力が審議を左右
ここに安保法案を閣議決定し、翌日に国会提出を控えた安倍首相の記者会見の記事がある。この時点から既に憲法との整合性、「存立危機事態」の定義のあいまいさなどは指摘されていたが、安倍首相は「国会審議を通じて法制が必要だということを理解してもらうべく努力したい」と述べている。
この言葉通り安倍首相は衆院、参院を通じ、問題点を追及されても正面から答えずに自らの見解を繰り返し「法制の必要性」だけ訴え続けた。違憲の疑いという法案の根幹にかかわる問題でさえもだ。
では5月からの議論には何の意味があったのだろう。国会審議とは何なのだろう。議会制民主主義とは何なのだろう。今、国会周辺で声を上げる若者グループではなくとも問いが頭を巡る。
反対が強まっていく焦りの中で自民党から飛び出したのが報道圧力発言、若者の抗議行動への威圧だった。安保法案や安倍政権に対する自由な考え、自由な表現さえつぶそうとする狭量さ。国会内で「数の力」を持つことから来るおごり、だろうか。しかし国会外を見なければならない。どんな怒りが自分たちを取り巻いているのか。
高まる政治的な関心
若者グループの奥田愛基さんは中央公聴会で語った。「国民投票もせず、解釈で改憲するような、違憲で法的安定性もない、国会答弁もきちんとできないような法案をつくることなど私たちは聞かされていない」。さらに議員に対し、一人の人間として孤独に思考し行動してほしいと訴えた。
出産間近で「安保関連法案に反対するママの会宮崎」を立ち上げた女性は言った。「命は下から見上げるか、上から見下ろすかで違ってくる。命を大事にしない法案、国民を大事にしない政治を子どもたちに押し付けてはいけない」。
声を上げ始めた国民は法案反対だけでなく国民主権、立憲主義、民主主義の危機を訴える。
首相が「国民の命と平和な暮らしを守るもの」と断言した安保法案によって、一人一人の心の自由や安心できる日常を守ってきたものが何だったのか、影絵のようにくっきり見えてきたのは皮肉なことだ。
だが悲観する必要はない。民の力で政治を変えることはできる。選挙で意思を示すこともできる。関心を持ち続けよう。民主主義の真価が試されるのはこれからだ。