戦後70年にわたって日本の背骨となってきた平和主義をこんな乱暴な形で変質させていいのか。安全保障関連法案の国会審議を通じて、そんな思いを強くしている国民は多いはずだ。 歴代内閣が禁じてきた集団的自衛権の行使を容認して海外での武力行使に道を開き、自衛隊による米軍支援を地球規模に拡大する。専守防衛を貫いてきた日本の安全保障政策の大転換であり、憲法9条を実質的に骨抜きにする法制と言ってよい。 しかし、あらためて確認しておきたいのは、戦争放棄や交戦権の否認をうたった憲法9条の改正に匹敵する大転換が、国民投票などの改憲手続きを経ずに、閣議決定による解釈変更だけで行われたという事実だ。 国会周辺や全国各地で、学生や母親、会社員ら多くの人々が、自由意思で集まり、法案への抗議の声を上げてきたのは、日本が「戦争をする国」になることへの不安だけではあるまい。主権者である自分たちの意思が問われないまま、国会内の「数の力」で9条がないがしろにされていくことへの疑問や憤りでもあったはずだ。 法案をめぐっては、憲法学者や元内閣法制局長官、元最高裁長官ら専門家の多くが、集団的自衛権の行使容認を「違憲」と指摘してきた。これに対し、政府・与党は1959年の砂川事件最高裁判決と72年の政府見解を行使容認の根拠としたが、無理筋の説明に国民の多くは納得していない。そのことは各種世論調査でもはっきりしており、憲法学者や元最高裁判事は、法案成立後に違憲判決が出る可能性も指摘している。 「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げる安倍晋三首相にとって、集団的自衛権の行使容認は「対等な日米関係」への一里塚であり、視線の先には憲法改正がある。9条の空文化によって外堀を埋め、既成事実に合わせて改憲を実現する。そんな道筋も見えてくる。 だが共同通信がまとめた戦後70年世論調査によると、憲法について6割の人が「このまま存続すべきだ」と答え、評価する点として大半の人が「戦争放棄と平和主義」を挙げた。戦争の惨禍を経た日本人にとって、9条はそれほど大きな重みを持つ。 9条を空洞化させるわけにはいかない。それには一人一人が声を上げていくことが大事だ。平和主義と、憲法で権力を縛る立憲主義の正念場はこれからである。
[京都新聞 2015年09月19日掲載] |