民主主義のいしずえ
JR両毛線の小俣駅から見える山がある。そこを通りがかると、決まってひとつの記憶がフラッシュバックすると、80歳半ば過ぎの知人が語り始めた。友の亡骸を戸板に乗せ、山の麓まで下ろした日のことをである。
二人は旧制中学時代の親友だった。日本が戦争に負け、何もかもが変わりつつあった。昨日まで押さえつけられてきたものを、これからは自由に学んでいいという価値観の転換。虚実ないまぜの中で、多くの人がよりどころを見失って戸惑い、揺れ動いていた時代でもあった。
知人は、5年生が下級生に暴力をふるう学校内の悪習を、5年生自身の自己反省でもって改めたいと、学生自治の確立に力を注いでいた。そして友は、世の中の思考力を高めたい、考え方の骨組みが必要だとして、哲学講座の開催を企画した。招聘を望んだのは当代一級の哲学者仁戸田六三郎。人びとが生きていく心の一助になればと、講座の意義を熱く語り、実現にまい進した友の姿が、きのうのことのように思い出されるという。
だが、講座は開催できなかった。多くの協力を得て集めた資金が消えてなくなる事態に遭遇したためである。懸命に探したが見つからず、仲間内に疑いの目を向けたくなかったのか、友は詮索をあきらめて、責任者としてこの事態をまとめることを深く考えるようになった。そして、事情を話せば先方にわかってもらえたはずなのに、言い訳もせず、突然自らの命を絶つという行動に出た。衝撃だった。
友がなぜ死なねばならなかったのか。知人はいまでも、その理不尽さで胸が苦しくなる。そして「日本が戦争に負け、民主主義がやってきた」と、まるで外からもたらされたかのような話を聞くと叫びたいのだ。「そうじゃない、そういう世の中に変えていこうと、学生だって命がけで戦っていたんだ」と。
知人が取り組んだ学生自治は確立の途についた。その間、4年生や3年生からは「どうして5年生だけで進めようとするのか」と不満が出たそうである。
思えばそれが当然で「あの時は仕方がなかった」と言うこともできるけど、そうした反対意見を真摯に受け止め、次の道を開いていこうとする努力こそが民主主義だと、こう言って知人はいまの世を厳しく見据えた。
戦後70年。私たちは民主主義のためにどんな努力をしているだろうか。自問は尽きない。