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自意識をひっぱたきたい

自分は異様に空気が読める人間だと思っていたけど、読んでいたのは過剰な自意識でした。

性嫌悪と自分の内なる加害者性について

ブログ

 

 最近「性嫌悪」という言葉を知りました。きっかけは、Twitterのプロフィールに「性嫌悪」と表記されている人のツイートに共感することが多々あったとか、そのくらいのことです。そんなこともあり「性嫌悪」という言葉について少しだけ調べてみたら、自分の黒歴史や、現在の自分についてよく理解できてしまったので、そのことについて書こうと思った次第です。そしてそれを自覚できたことは、自分にとって割と辛いことであったのでした。

 

 僕が性について考えざるを得なくなったのは、2年前にある人と出会ってしまったからです。最高にひきこもりを極めていた2年前の僕は、Twitterで「自分の後ろに常にもう一人の冷めた自分がいて、そのせいで何をしても楽しくないんだー!」と、離人的な苦しみをツイートしまくっていました。そんな時に「あなたのツイートが面白いので、よかったらお茶しませんか」と性自認が女体持ちXのAさんからDMが届きました。孤独を極めていた僕は簡単に誘いに応じ、一緒にご飯を食べました。その時何を話したのかはほとんど覚えていませんが、後からAさんのツイートを見て、Aさんがどうやら男性による性犯罪の被害にあった経験があることを知りました。後から知ったのですが、僕に会った時のAさんは、男性恐怖症かなにかを克服するために、いろんな人に会っていたようでした。その中の一人が僕だったということなのでしょう。

 性犯罪の被害に遭ってトラウマになっている人と知り合ったのは初めてだったので、個人的にそれなりの衝撃がありました。Aさんは性犯罪の問題を社会や男女の身体の不平等などとしっかり考える方だったので、これは男体持ちの僕にも関係があることなのだと思いました。……綺麗事を言ってしまいました。当時はおそらく「こんな友達のいない僕をご飯に誘ってくれたし、なんと離人的な苦しみも共感してくれる人(!)だったので、この人が悩んでいることについて知りたい!」とかそんな寂しがりやの動機で性や身体の不平等について、時間がある時に本を読んで勉強しようと思いました。

 

 そんなこんなで個人的に性に関する本や漫画やらを読んで勉強していたところ、1年前にこんな事件がありました。大学で同じ学科の女性のBさんの部屋に見知らぬ男性が侵入しました。Bさんがまさに部屋で就寝している間に侵入し、部屋が荒らされ、下着が数枚盗まれたという被害でした。その日にBさんから「怖くて夜眠れないのでしばらく泊まりに来て」と連絡がありました。Bさんは運動部のマネージャーをしていて男友達も多く、自分とはあまり関係のない部類の人間だと思っていたので、「え、なんで俺なの?」と聞いたら、「性欲が無さそうだから!」と返事が来ました。そんなことは無いんだけど…、と内心思いながらも、身体を切り売りする感覚でしばらく泊まりにいきました。そして自分は善いことをしたなぁ、と素朴に思っていました。

 

 今年の4月には、満員電車の中で痴漢をしているオッサンを発見して、被害に遭っている人を助けようとしました。性犯罪の被害に遭った人たちに接したり、性の不平等に関して勉強する中で、性犯罪の恐怖を間接的に知り、僕はようやく「痴漢を見過ごしてはいけない」と思うようになったのだと思います。それまで痴漢を発見したことはありませんが、それまでの無知の自分だったら、痴漢を発見しても見過ごしていたでしょう。その時のことを詳しく記事にまとめたのですが、多くの人にも、Aさんにも賞賛の言葉をもらったので、善いことをしたのだと思いました。

 

ymrk.hatenablog.com

 

 そんなこんなで性のことやら男女の身体の不平等やらを真面目(?)に勉強していた僕ですが、人に言わないようにしていることがありました。変な言い方になるかもしれませんが、自分にも隠していたことなのかもしれません。それはレイプモノや盗撮モノのアダルトビデオを日頃よく見ているということです。

 性犯罪の被害に遭った人のことを考えたり、痴漢の被害に遭っている人のことを助けようとしたり、人権意識の高い人間であるかのようなことをする一方で、一人部屋にいる時は人権侵害の犯罪モノのアダルトビデオを見ているということはどういうことなのでしょうか。まるで自分が2つに引き裂かれているかのようです。そして僕は汚い自分のことは見ないようにして、善いことをしている自分ばかり見ようとしていたし、そういう部分だけを人に見せようとしてきました。

 人権侵害の犯罪モノのアダルトビデオを見るからといって、必ずしも現実で犯罪を犯すわけではないでしょう。僕も今の自分がそんなことをするとは思いません。しかし、絶対にしないと断言するのは躊躇してしまうところがあります。なぜなら僕は小・中・高と、自分がいろいろとやらかしてしまっていることを知っているからです。

 

 小学6年生の頃、僕は児童会長を務めていました。学級委員の制度が始まる3年生の頃から毎年学級委員を務め、児童会に入れるようになる5年生の時は児童会に入り、6年生には会長になりました。田舎の公立の小学校でこれ以上にないほどのキャリアハイな人生を謳歌していました。当時、付き合っている女の子もいました。児童会長なんかをやっていると、放課後に教室に遅くまで残ることがありました。教室に一人になった時は、人が来ないのを見計らって、僕はその付き合っている女の子のリコーダーや鍵盤ハーモニカを吹いていました。時には上履きの臭いを嗅いだりしていました。そんな優等生でした。

 

 中学2年生の頃に、彼女ができました。その女の子はどうやら「エロい」ということで有名な女性だったようです。おせっかいな友人が「あいつすげーエロいらしいぞ」などと聞いてもないのに教えてきたし、実際にそれは男女問わず多くの友人の共通了解のようでありました。僕は心のなかで(そんなわけあるはずないじゃないか…)と本気で思っていました。特にデートもせず、メールや電話だけの不健全なくらい健全な恋愛をしていました。その時僕は、生徒会長を務めていました。相変わらずキャリアハイな人生を謳歌していました。この時も生徒会活動の時に、放課後に教室で一人になるチャンスが何度もありました。教室で一人になったある時、付き合っている彼女が体操着を教室に忘れていることに気づきました。人が来ないのを見計らって、僕はその体操着を盗んで家に持って帰ってしまいました。下着も入っていました。(押見修造の「惡の華」のような話です。僕はこの漫画を読んで自分のことが描いてあると思って心臓がバクバクしました。)次の日に、彼女を中心に女子が真剣な表情で集合していました。すぐに体操着のことだと察しました。怖いので二度とやらないようにしようと思いました。その日の夜に、彼女から相談のメールが来ました。「そんなことやったのは誰だろうね。許せないね!」としっかり返信しました。そんな優等生でした。ちなみに彼女が僕と別れた後に付き合った男の人と普通にセックスをしたらしいので、彼女がエロいはずがないという僕の考えは思い違いだったようです。

 

 高校2年生の頃に彼女ができました。いつもニコニコしているけど、とても傷つきやすい人でした。何事も頑張る人でした。この時もまたおせっかいな友人が「君の彼女が君とセックスしたいって言ってたよ!」と聞いてもないのに教えてきました。僕はまた(そんなわけがあるはずないじゃないか…)と真剣に思っていました。これまた健全な付き合いをしていたら、高校2年の12月に、「勉強と部活が忙しいので別れよう」と突然言われました。実際に彼女は勉強も部活も頑張る人だったので、とても納得しました。そんな別れ方だったので、その後も勉強や部活の相談にものったりして、仲良くしていました。別れた2ヶ月後の2月のバレンタインデーには、家まで手作りのお菓子を持ってきてくれました。帰り際に「勉強と部活が忙しいから付き合えないけど、今でも好きだからね」と言われました。次の日、彼女は他の男の人に告白されて付き合いました。信じられないことが起こったので、僕はメールで「今まで僕に言ってきたことは全部嘘だったんだね」と言いました。弁解のメールが来たけど弁解の余地など無いものだと思いました。暴力的な言葉を投げかけるのは苦手だったので、力一杯綺麗事の詰まった長文を送りました。罪悪感を感じて欲しいと思っていました。

 そんなこんなで連絡を絶ってから1ヶ月くらいした頃、彼女がみるみる痩せていってることに気づきました。拒食症になり、精神科に通っているという噂を聞きました。原因を知っている人は誰もいないようでした。僕は完全に自分のせいではないかと思いました。未練もタラタラだったし、不憫に思えてきたので、連絡を取りました。彼女が僕のことも好きだったのは本当のことだったようで、関係が崩れてしまったことがショックだったということでした。未練もあったので、僕は何かしてあげなきゃと思い、毎週お菓子を作って学校に持っていき、誰にもばれないところに呼び出してプレゼントしていました。彼女は僕が作ったものだったらよく食べてくれました。この時も彼女は他の男の人と付き合ったままだったので、僕は一体自分が何のためにこんなことをやっているのかとエゴに苛まれました。元気になって欲しいという思いと、早く別れろという思いで、お菓子をプレゼントし続けました。三角関係を悪化させるだけなので、僕が関わることが良いことなはずがありません。そんなことは頭のどこかでわかっていましたが、エゴの力が優り、僕はお菓子をプレゼントし続けました。彼女は3ヶ月で20kg以上痩せて、学校中の誰もがその異変に気付くほどでした。そんなことを続けていたら、彼女がやたらに僕に連絡をくれるようになりました。電話で励ますとよく泣いていたし、今から思い返すとかなり情緒不安定だったのではないかと思います。当時は愛の証だと思っていましたが…。このチャンスをモノにすれば彼女は彼氏と別れるだろうと思い、僕は「家で遊ぼう!」と誘いました。彼女は迷ったあげく誘いに応じてくれました。その時、僕は初めてセックスをすることができたのでした。付き合っている時は、彼女がセックスをしたがっているという話を聞いても、(そんなわけがあるはずないじゃないか…)と思っていたのにも関わらず。この時に、彼女が今付き合ってる彼氏とセックスをしたという話も聞いたので、(彼女がセックスをするような人なはずがないじゃないか…)という僕の考えはまたまた思い違いだったということを知りました。

 その後、彼女は彼氏とすぐ別れました。そして彼女は僕に「お母さんに会って欲しいんだ」と連絡してきました。怒られるかと思ったのですが、会うやいなや「お菓子を作ってくれたそうだね。うちの娘を助けてくれてありがとう!」と真剣な顔で言われました。僕は自分が彼女の精神を破壊した大きな原因だと思っていたので、とても居心地が悪かったです。その後は彼女と普通の友達として普通に連絡を交わしていました。卒業式の日に彼女に告白されました。僕は「一回裏切られたので付き合えません」と返事をしました。彼女は「私を助けてくれたのは嘘だったんだね」と号泣していました。何も言えませんでした。その日の夜に友達から、「彼女のお父さんから連絡が来たけど、お前と家の娘の間に何があったか知ってるか?って聞かれたよ」と連絡がきました。彼女の父親は同じ高校の体育の先生でした。電話で聞き込みなんて恐ろしいなと思いました。その後彼女がどうなったかは知りませんが、この前Facebookで写真を見たら、体重は標準くらいにはなっていました。僕はその後2年間くらい、たまに悪夢を見るハメになりました。高校の廊下を歩いていると、向こう側に彼女が立っていて、僕が彼女の側を歩いて通っていくのを、無表情なまま視線のみで追ってくるという夢です。もう一つ頻繁に見る悪夢がありました。高校の廊下を歩いていると、向こう側から体育の先生(彼女のお父さん)が歩いてきます。(逃げなきゃ…)と思うのだけど夢だから逃げられません。心臓バクバクしながら、すれ違いざまに「こんにちは」と挨拶をすると、先生もニコニコしながら「こんにちは」と返してくれます。(よかった~っ!)と心の中でガッツポーズをしていると、すれ違った直後に後ろから「オイッ」と、先生の低い声で呼ばれるという夢でした。この夢を見たときはいつも飛び起きました。浪人中に何度もうなされました。

 

 小・中・高の間にやらかしてしまったことは、若気のいたりか何かで、今の僕には大して関係のないことだと思っていました。しかし、そうではないことに気づいてしまいました。

 冒頭の話に戻りますが、「性嫌悪」という言葉について調べた時に、頭の中で全てが繋がったように思いました。「性嫌悪」にもいろいろなタイプがあるようですが、僕は性欲はあるし、人のことを好きになったりはするけど、「自分が誰かのことを性の対象にすること」に罪悪感があるし、また「誰かが自分のことを性の対象にすること」を全く想定できない人間であると考えられると思いました。そう考えるといろいろなことが納得がいくようになりました。

 僕は昔から、恋人と接している時は相手のことを性の対象にするということができませんでした。そして「君の彼女が君とセックスをしたいって言ってたよ」という話を友人から聞かされたところで、全く信じることができませんでした。アイドルがうんこをするはずがないと信じるアイドルオタクのようなものです。しかし、人のことは好きになるし、性欲もあるので、それが誰も見ていないところ(放課後の教室など)では発揮され、好きな人のリコーダーを吹いたり、体操着を盗んだりしてしまったいたのだと思います。そういう方法でしか性欲を顕にする方法を知らなかったようです。

 また、高校の頃に初めて性行為に踏み切れたのも、「彼氏と別れさせるため」という大義名分を得ていたからだと思います。「自分が誰かのことを性の対象にすること」に罪悪感を抱く僕は、自分が実際に悪い存在となっている時は罪悪感が正当化され、相手を性の対象にすることができたのではないかと思います。

 そしてこの傾向は悲しいことに、今見ているアダルトビデオの趣向にも当てはまってしまうことなのでした。「自分が誰かのことを性の対象にすること」に罪悪感があり、また「誰かが自分のことを性の対象にすること」を全く想定できない人間である僕にとって、盗撮モノの盗撮者の視点はうってつけであり、また、男性が犯罪者であるレイプモノは、罪悪感を正当化してくれるのでうってつけなのでありました。

 この加害的な欲望はその反面、「自分が誰かのことを性の対象にすること」に罪悪感があるため相手に性的な眼差しを向けられないという点で、性犯罪被害に遭った友人を安心させてしまう力でもあったのでした。だから部屋を荒らされ下着を盗まれた友人は、「性欲が無さそうだから!」という理由で、僕に一緒に寝ることをお願いしてきたということなのでしょう。

 

 どうしてこんな欲望が形作られてしまったのでしょうか。原因は突き止めようがありませんが、「性がタブー」の感覚は昔からありました。

 中学1年生の頃、「ダウンタウンガキの使いやあらへんで」という番組を家族で見ていたら、番組内で「レイプ」という言葉が使われていました。その意味がわからなかったので、母親に「レイプって何?」と聞いたら、「知らなーい」と言われました。後日、学校で友達に意味を聞いて知った時、僕は(失敗したなぁ〜…)と強く思ったことを今でも覚えています。その頃から自然と「家庭内で性に関する話をしてはいけない」という感覚がありました。よくよく考えれば、両親とも、姉や兄とも、下ネタや性の話をしたことが今まで一度もありません。家庭内において性の要素があまりに無さすぎたのかもしれません。お風呂の後に裸で部屋を歩き回るようなことも誰もしません。

 両親が仲があまり良くないことも関係しているのかもしれません。両親は恋愛結婚(しかも不倫!)なのですが、僕が物心ついた時にはそんなものを微塵も感じさせないような仲の悪さでした。両親が同じ部屋にいる時は、ピリピリした空気になり、僕はいつからか緊張して身体に少し力が入るようになりました。今でも実家に帰るとそうなります。「両親がセックスしているのを見てしまった」ということを報告してくる友人が中学でも高校でもいましたが、僕には異世界の話のように思えました。両親がセックスをするとは何事かと思いました。僕はそれで産まれてるのにも関わらず。中学の頃に友達の家に行ったら、友達の両親が一つの寝室で寝ていることを知って驚いた覚えがあります。夫婦が一つの部屋で一緒に寝るということがあることをその時初めて知りました。僕の両親はご飯の時間以外は別々の部屋で過ごしています。そんな環境で育ったからか、僕は両親が昔は愛し合っていた時期もあるという事実を考えた時はいつでも、気持ちの悪さを感じるようになっていました。

 

 何はともあれ、性嫌悪の特性により、僕の中には加害的な側面を持つ欲望が形成されてしまっているということです。そしてそれは今でも自分の中に胚胎しているのです。自分が望みもせず、気づいた時には勝手に形成されてしまっていた欲望ですが、それが人を傷つける可能性をおおいに孕んでいることは紛れもない事実なのです(実際に中高の僕は人を傷つけてしまいました)。

 このことにはっきりと自覚的になったのは、ほんの1ヶ月くらい前のことなのですが、しばらくとても落ち込んでしまいました。今まで性に関して自分が考えてきたことが、全てただの欺瞞にしか思えなくなりました。性犯罪被害に遭った人の話を聞いたり、そのことについて考えていたまさに自分の頭の中に、性犯罪的な欲望が存在しているのです。男性による性犯罪の被害に遭った人のことを実際に知ったり、本を読んで知るということは、僕にとっては、自分の欲望の加害的な側面が発揮された結果の先取りのようなものだったのかもしれません。自分の欲望の中に加害的な側面があるということは、決して認めたくないものです。そこから目をそらし、自分は潔白な存在でいたいと思ってしまいます。電車で痴漢されている女の人を助けようと思ったのも、もしかしたら痴漢をしている男性に対する同族嫌悪だったのかもしれません。もちろんその行為自体は社会的に善いものだと思いますが、そんなことをしたところで自分が潔白な存在になれるわけではありません。「性嫌悪」について考える中で、今まで自分が潔白な存在になりたがっていたということと、もはや自分が潔白な存在になることは無理だということがわかってしまいました。自分の欲望の中には、昔からどうしようもなく加害的な側面が存在してしまっているのです。

 

 このことを自覚したことは僕にとって本当に辛いことでした。いつかは潔白な存在になれると、根拠のない希望を持つことももうできなくなってしまいました。自分の加害的な側面を認めるか、嘘をつきながら茶番な人生を送ってゆくしかないかのどちらかしかないと思い、とても辛くなりました。

 しばらく鬱々と日々を過ごしていましたが、いっそのこと誰かに全てを話してしまいたいと思うようになりました。しかし話の内容が内容なので、受け止めてくれそうな人にしか言いたくありませんでした。しかし僕にはそんな友達はいないのでした。むしろ下手に仲が良い人には言いたくない類の話であります。そんな中で一人だけ話せそうな人が頭に浮かびました。派遣のバイトで知り合った某音大の3つ下の女性です。変わった人です。1、2時間くらいしか話したことが無い仲だったのですが、なぜか「僕の話を受け止めてくれるだろう」という確信がありました(自意識過剰な人間の「確信」ほど恐ろしいものはありません。現実と遊離している可能性が大だからです。皆さん気をつけましょう)。

 「誰にも言ったことがないコンプレックスを話したいので、僕が通っている大学の屋上で夜中に話をしましょう!」とメールを送りました。明るい場所では話せる気がしませんでした。彼女はOKしてくれました。こんな誘いにOKを出してくれるので、やっぱり変な人なのだと思いました。

 

 僕が通っている大学の最寄駅まで彼女が来てくれたので迎えに行きました。2週間くらい前の話です。一緒に歩いて大学へ向かいました。彼女は道中、不審者やUFOの話をたくさんしてくれました。やはり変な人なのだと思いました。コンビニでご飯とお菓子を買って、小雨が降っていて寒かったので家から毛布を持ってきて、大学の屋上に着いた頃には夜中の0時頃になっていました。ご飯とお菓子を食べて、ビールを飲みました。全然お酒が好きではないし、理性が強すぎて全く酔えないタイプなのですが、「お酒を飲んで酔っている」という大義名分があれば、自分の話を恥ずかしがらずに話せるのではないかと思ったので飲みました。とても緊張していました。

 

 最初は他愛のない話をしていましたが、途中から彼女が「で、何が話したいの?」と聞いてくれるようになりました。頭の中では「お酒を飲んで酔っている」という大義名分があれば話せる予定だったのですが、自分でもビックリするくらい話す気になれませんでした。変な顔をして話に踏み切れないことをごまかしたりしているうちに、3時間ほど時間が経過してしまいました。その間ずっと彼女は「何が言いたいの?」「はやく話な?」と何度も何度も催促してくれました。僕だったら途中で呆れてると思うので、なんて優しい人なんだと思いました。しかし、僕があまりにグズグズしているので、4時近くになってきたら彼女は座りながら寝てしまいました。自分から呼んでおいてさすがに申し訳ないと思ったので、何とかして話さなきゃと思いました。寝ている彼女を揺さぶって起こして、「膝枕をしてくれたら話せるんだー!」とお願いをしました。こんなこと人に初めてお願いしました。物理的に距離が遠い状態では安心感がないので、全く自分のコンプレックスを話す気が起きなかったのでお願いをしました。彼女はすぐさまOKをしてくれました。「こんなことお願いする人だとは思わなかったよ―!」と言われました。これもまた性的なことを感じさせない力の一つでしょうか。

 膝枕をしてもらったら、とても安心しました。人が呼吸しているのを感じられるというのは、とても安心感をもたらすものだと思いました。ついでに「手も貸してくれ」とお願いをしました。彼女はすぐに手を貸してくれました。人間の最も能動的な部位である手を繋げていられるというのは、とても安心感をもたらすものです。それに加えて僕は家から持ってきた毛布で、自分の顔を隠しました。自分のコンプレックスを話した時の自分の表情を見られたくないし、相手の表情を見るのが怖かったからです。

 膝枕をしてもらって、手を貸してもらって、毛布で顔を覆って、時間に追われて、やっと僕は話始めることができました。自分でも驚くくらい声が小さかったです。それでも話を続けました。自分が中学の頃に体操着や下着を盗んでしまったことや、アダルトビデオでレイプモノや盗撮モノを今でも見てしまうこと、その反面、性犯罪の被害に遭った人と友達になったり、そういう話を聞いたり勉強していることなど。そしてその状態がただただ辛いことを。話している途中に、泣いて声が出なくなってしまいました。自分でも泣いたのはビックリしました。本当に自分でも認めたくないことなんだなぁ、と思いました。彼女は僕が言い淀んでいる話の先を予想して、話を誘導してくれました。とても落ち着いているなぁ、と思いました。そうやって時間をかけてようやく最後まで話すことができました。とても不思議な感覚でした。今まで人に怒ったことがない人が初めて人に怒ってしまった時のように、それまでずっと自分を覆っていた膜の向こう側に、剥き出しのまま突然飛び出してしまったような感覚でした。その後自分がどういう表情をすれば良いのか、相手がどんな反応をするのか、全く予想のつかない世界でした。

 僕のどうしようもない告白を聞いて、彼女も自分のことを話してくれました。彼女は小学6年生の頃から高校2年生の頃まで、兄弟に性暴力を受けていたという話でした。彼女は自分が我慢をしなきゃ家族が壊れてしまうと思ったので、「仕方がない、仕方がない」と思って、ずっと一人で我慢をしてきたようです。彼女の両親は今でも、そんなことがあったことなど知らないようです。

 そんな話を聞いてどうしようと思った僕は、「えー、じゃあ俺が膝枕とか突然頼んだのとかどーなんだー?膝痺れてない?」と突然、彼女の身体の心配をし始めるという短絡的なことを考え、そのまま口に出してしまいました。「何今更心配しちゃってんの(笑)」と一笑に付されました。最高に情けないと思いました。

 彼女は家庭内における性暴力の被害を受けた経験から、どうやら、「男はそういう生き物でしょ」という考えと、自分が我慢をすれば事が丸く収まるという考えが自分の中に形成されてしまったようでした。電車の中で痴漢をされても、「仕方がない、男の人はそういう生き物だから」と、今でも我慢をするのが当たり前になっているという話もしてくれました。

 「我慢せずに自分の身体を大切にするために痴漢を撃退しなよー!」と言いたい気持ちもありましたが、彼女の過去の苦しみは僕には想像することすらもできないので、そんな無責任なことは言えず、黙って聞いているしかないのでした。それに、彼女がいろんなことを「仕方がない、仕方がない」と我慢してきたその力で、僕は自分の欲望の中に加害的な側面があるというコンプレックスを赦されたのでした。性暴力や性犯罪をも「仕方がない」と我慢してきた彼女にとって、僕のしょうもないコンプレックスの告白を、「それは仕方がないことだよ」と受け止めることは、とても簡単なことだったのではないでしょうか。僕にとっては、それが救いになったのでした。

 

 彼女は、自分で自分のことがわからなくなってしまっているようです。いろんなことを我慢しすぎたからでしょうか。彼女は自分の中の複雑な思いは、芸術の方面で表現しているようです。今でも一人で泣きながら自分と向き合うことも多いそうです。僕は何も協力することはできなさそうですが、頑張ってほしいなぁと思います。そんな姿を見ていると、僕も自分と向き合って頑張って生きなきゃなぁと思います。

 話が終わった後に彼女は、「誰にも言わないようにしてたけど、やっぱり誰かには言いたくなるよね」と言ってくれました。その言葉を聞けて良かったー、と思いました。僕も人に話せてとても気が楽になりました。

 

 家族以外の人の前で泣いて気が楽になった経験は、過去を思い返しても滅多にありません。あれは呼吸としての涙だったのではないかと思います。自分が考えていることや思っていることが言えない雰囲気や状況の時、私たちはそんな状態を「息が詰まる」と表現します。誰にも言えないことを自分の中だけに抱えている人間は、常に息が詰まっている状態だと言えます。それは精神的に不健康なことかもしれません。僕も自分のコンプレックスが誰にも話せない時は、精神的に死んでいてとても辛くなりました。それを誰かに伝えるという行為は、「息が詰まる」状態からの脱却であり、それは端的に呼吸をし始めるということです。呼吸をし始める時に泣くというのは、赤ちゃんがこの世に生まれ落ちる時にすることです。人間は身体とは別に精神としても生きています。身体的には確かに生まれ落ちているけれども、精神的には死んでしまうということが起こります(そんな時に私たちはどれほど、この身体が平然と生きていることを憎むことでしょう!)。しかし、もう一度呼吸をし始めることができれば、精神的に再び人と人との間の中に生まれ落ちることができます(そんな時に私たちはどれほど、生きていて良かったとこの身体の感触を確かめることでしょう!)。自分が一人で抱えていることを人前で言う時に泣くということは、息が詰まる状況から脱却して呼吸をし始めることであり、それを受け止めてくれる人がいることで、再び精神的に人と人の間の中に生まれ落ちることができるということなのでしょう。人間は精神のレベルで一生の内に何度でも死に得るし、何度でも生まれ落ちることができるのだと思いました。今回はそんなことを身をもって感じることができたので、とても嬉しかったです。

 

 別に潔白な人間を目指す必要はないのかもしれません。自分の中の加害者性は目を瞑りたくなるものです。しかし、自分の中に存在しているものに目を瞑って潔白な存在を装うことは、自己否定的な振る舞いであります。気づかぬ内に、自分のことをひどく傷つけてしまうことになるかもしれません。今回、自分の汚い部分を初めて人に打ち明けて、とても気分が楽になりました。打ち明けたところで、自分の中の加害者性が消失するわけではありませんが、誰かと共に考えていけることで余裕をもって、汚い部分も含めた自分と向き合っていくことができるのではないかと思いました。しっかり自分と向き合って、尚且つ誰かと共に生きていくということを、これからも考えていきたいなぁ、と思いました。