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観字紀行

「つまごい」を訪ねて(4)

町田 和洋

拡大1975年の「吉田拓郎&かぐや姫コンサート」に集まった観衆=田村仁氏撮影
 前回の群馬県嬬恋村から一気に200キロ南下し、静岡県掛川市を訪ねた。目的地はヤマハリゾート「つま恋」。総面積約1.8平方キロ(東京ドームの約36倍)の丘陵地にホテル、スポーツ施設などを備えたリゾート施設の名称だ。

今回訪ねた場所拡大今回訪ねた場所
 「つま恋」の名を一気に高めたのが、ここの多目的広場で開かれた「吉田拓郎&かぐや姫コンサート」だ。オープン翌年の1975年8月2日夕から3日朝にかけて、12時間にわたって行われたオールナイト野外ライブ。直径約200メートル、芝生を敷き詰めた3万3千平方メートルの円形広場に約7万人の若者が詰めかけた伝説のコンサートだ。

伝説の舞台となった多目的広場拡大伝説の舞台となった多目的広場

 今と違って、最寄りのJR掛川駅にはまだ新幹線が止まらない時代。ライブの観客は在来線を乗り継いできた掛川駅で降り、バスでも15分かかる畑の多い道を延々と歩くなどして集まってきた。当時を知るヤマハリゾートの音楽企画ディレクター木下晃さん(66)は「どんどん人が来て、最後はもうチケットがなくても来る者は拒まずで入れていた」という。前例のない大規模なオールナイトコンサートだけに、混乱や騒音への苦情も心配されていたが、予想と違って「若者たちはみな紳士的で、周辺からの苦情もなかった」という。この地でのライブは85年の「吉田拓郎コンサート」に4万人、2006年の「拓郎&かぐや姫」に3万5千人が集まるなど、この種の野外コンサートの元祖となっている。

ポプコンの本選が行われたエキジビションホール拡大ポプコンの本選が行われたエキジビションホール
 また、多目的広場から北東へ700メートルほど離れたエキジビションホールからは多くのシンガー・ソングライターが世に出た。新人アーティストの登竜門だったヤマハ・ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)で、74年から86年まで本選会場として使われており、中島みゆき、世良公則&ツイスト、長渕剛、あみん(岡村孝子)ら、そうそうたる「新人」たちがここから巣立っていった。

ヤマハリゾートつま恋の園内図拡大ヤマハリゾートつま恋の園内図

 この音楽の聖地がなぜ「つま恋」なのか。所在地は静岡県掛川市満水(たまり)で、地名からは出てこない。オープン当時の事情に詳しいヤマハリゾートのゲストマネージャー宮田正照さん(63)によると、名付け親は、ヤマハ中興の祖とされる当時の日本楽器製造(現・ヤマハ)社長、川上源一氏(故人)だという。里山の地形を生かした新しいリゾート施設を造ることになり、名称を社内公募したが意にかなうものがなく、自ら決めたそうだ。室町時代の勅選和歌集「風雅和歌集」にある「たびねする 小夜(さよ)の中山さよ中に 鹿ぞ鳴くなる 妻や恋しき」の歌にちなんで「つま恋」と名付けたという。読み方は「つまごい」だ。

小夜の中山から続く急坂拡大小夜の中山から続く急坂

 この歌は陸奥守(むつのかみ=東北地方の長官)などの地方官を歴任した公家で歌人の橘為仲(1014ごろ~85)が掛川から近い、小夜の中山で旅寝の床についている時、山中に響く鹿の鳴き声に 都に残した妻を思い、詠んだものとされる。

 目の前にはいない妻を思い、旅先で「妻恋し」と詠んだ心情は、妻恋神社(東京)、嬬恋村などこれまで訪ねてきた地に伝わる日本武尊の伝説に通じるものがある。嵐の海にのまれそうな夫を救うために身を投げた尊の妻、弟橘媛(おとたちばなひめ)のような劇的な物語は伝わっていないが、愛する者を思う気持ちは変わりない。

周囲には茶畑が広がっていた拡大周囲には茶畑が広がっていた
 歌が詠まれたとされる、小夜の中山を訪ねてみた。「つま恋」から北東へ約6キロ、旧東海道の難所として知られる峠だ。日坂(にっさか)宿と金谷宿の間にあり、急な坂を上った頂上近くで標高は252メートル。掛川市佐夜鹿(さよしか)という住所表示にその名が残る。道の両側の斜面に茶畑が広がっている。

西行の歌碑拡大西行の歌碑
 徒歩で上り下りするのは大変な急坂が続く。平安末から鎌倉初期を生きた漂泊の歌人、西行(1118~90)もここを通ったという歌碑がある。西行より100年前の橘為仲も陸奥へ向かう時、この道を通ったのだろうか。近くにはその昔盗賊に襲われた妊婦にちなんだ「夜泣石(よなきいし)」の伝説も残る。平安、江戸期にここを越えるのは命懸けの旅だったのだろう。

悲しい言い伝えが残る夜泣石拡大悲しい言い伝えが残る夜泣石
 「つま」は古語としては夫婦や恋人が互いに相手を呼ぶときの呼称にもなる。日本国語大辞典(小学館)は「つま」の語源説として「ツレミ(連身)、ツレマツハル、ムツマジの略」などを挙げている。「つま恋」は男女が互いに相手を恋しく親しく思う気持ちに通じる。「欧米風のリゾートを考えていた川上社長は、夫婦や家族で楽しめ、ブライダルにも利用してもらえる施設にふさわしい名前として考えたのじゃないか」と宮田さんは語る。

つま恋神社の入り口にある鳥居拡大つま恋神社の入り口にある鳥居
 管理棟西側の小道に立つ鳥居から道のり135メートルの石段を上った頂上、樹木の中にこぢんまりした祠(ほこら)がある。「つま恋」の敷地内で最も高いところに立つ「つま恋神社」だ。75年5月に掛川市八坂にある事任(ことのまま)八幡宮より分霊を受けた、つま恋の守り神だという。「ことのまま」は祈るがままにその願いが成就するという「言霊(ことだま)」の神様だ。

事任八幡宮拡大事任八幡宮
 連載を通じて訪れた三つの「つまごい」は、それぞれに人を引き付ける何かを持っていた。それぞれ大切な人を素直に恋しく思う気持ちでつながっていた。「言霊」というのだろうか、善い言葉は吉事を招く力がある、という言い伝えを思い出した。

(終わり)

(町田和洋)

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