映画と不良。強制参加型反抗映画『孤高の遠吠』を待ちながら vol.2 ユキヤ(赤池由稀也)インタビュー
富士宮の不良、ユキヤ(22歳)。小林勇貴監督作『NIGHT SAFARI』、『孤高の遠吠』に出演する他、キャスティングやロケ地の選定、単車の手配、バックレた出演者の捜索と確保などに奔走し、映画を支える。2014年1月、『NIGHT SAFARI』の撮影期間中、模擬刀を手に成人式に臨んで現行犯逮捕。全国ニュースで報じられ話題に。今回は、カナザワ映画祭2015での『孤高の遠吠』の上映に合わせ、ユキヤにインタビューをした。場所は富士宮市内の居酒屋の個室。かつて、ここで小林監督はユキヤに取材をし、不良の実話の断片から物語を紡いでいった。監督インタビューと合わせてお読みください。
そもそも小林勇貴監督とは知り合いだったんですか?
同い年の相棒がいるんですけど、そいつの3つ違いの兄貴が監督なんです。小学生のころから知ってました。家に遊びに行くといましたから。でも、全然喋んなかったですね。自分も人見知りなんで。
『孤高の遠吠』(※1)のなかのユキヤにはモトキという相棒がいますけど、実際の相棒もそのモトキ君ですか?
そうです。モトキから「兄貴がへんぽらい」って聞いていて。
へんぽらい? どういう意味ですか?
こっちの方言で、変わり者ってことです。自分が中学行ってからも、監督とはちょっとしか喋らなかったです。監督は高校生で、モトキからは不良嫌いだって聞いていたんです。俺らみたいなのが嫌いみたいって。そんな奴と喋る気にならないでしょ。いまみたいな関係になったのは、映画やるようになってからですね。
ユキヤ君が映画に参加したのは前作の『NIGHT SAFARI』(※2)からですか?
そうです。いまから3年ぐらい前ですけど、「兄貴が映画やってんだけど、出てみない?」ってモトキに言われて。正直、はじめは面倒くさかったです。ギャラが出るわけでもないし、やる価値ねえじゃんつって。でも、よくよく考えたら、もし俺らのツレまわりで撮れたら、一生の思い出になるんじゃねえか──そんな気持ちになってきたんです。高校にも行ってないし、みんなでひとつのものをつくるとか、なかなかできねぇと思って、「じゃあ、やろう」ってなったんです。大人になったときに、みんなで観れば面白いんじゃねえの、酒のつまみにでもなったらいいや、みたいな感覚でした。でも、他の人が監督だったら絶対にやってなかったです。相棒の兄貴だったから。
単なる相棒の兄貴ではない、映画を撮ろうとしている小林勇貴監督に初めて会ったときの印象は?
腰が低かったし、そこは相棒の兄貴ですから、俺もそれなりの対応したっスけど。そのときもここ(富士宮市内の居酒屋の個室)で話したんです。俺らがいままでどういう悪さしてきたか、そんなことを聞かれました。そういう実話をもとに映画をつくったんだと思います。
小林監督が『NIGHT SAFARI』を撮ろうとしたとき、最初に声をかけたのがユキヤ君だったんですね。弟のモトキ君を通じて。
おそらく俺でしょう。出ているのは自分が呼んだツレがほとんどですから。しかし、大変でしたよ。
何が大変でしたか?
ツレらを引き込むには、いいことを言わないといけないじゃないですか。毎週土曜の夜や日曜の夜が撮影でつぶれるわけです。それでも「いいよ」って言う奴は、ふつうなかなかいないですよね。
そのとき監督はもう上京していたから、土日に富士宮に帰って撮影するしかなかった。
そうです。だから、「みんなでやろうぜ!」みたいにもり立てて。
キャストに関して、例えば、どういう人を集めてほしいと監督から言われましたか?
弱そうな顔の奴がほしいとか、スゲェ顔が怖い奴とか。LINEとかでツレに声かけて、それから監督に「こいつはどうですか?」ってLINEで写真を送って、そうやって決めていきました。
ユキヤ君自身はどういう役をやってほしいと言われましたか? 『NIGHT SAFARI』では主演ですが。
そのときは、とくに言われてなかったです。主演とか聞かされてないし、言われてもわかんないし、台本もないし。撮影しながらわかっていった感じです。みんなで集まったら、その日にやりたいことを監督が説明して、そうやって撮っていきました。
クランクインする前に監督とキャストのあいだで、例えば、面接のようなことをやるんですか?
それはないです。その日に必要な奴だけ呼んで、そこで監督と初めて会うんです。「今日はよろしくお願いします」って。
じゃ、いきなり撮っていったんですね?
いきなりです。それでまとまったのが『NIGHT SAFARI』です。
出ているみんなは、完成形がどうなるかわからない?
わからないです。誰が出ているのかさえわかってない奴もいるし。撮影当日に呼んだ奴もいるんですよ。「足んねぇから、いまから来て」みたいな。さすがにそうやって呼ぶのは後輩ですけど。自分で言うのはなんですけど、富士宮と富士じゃ顔がきくんです。だからすぐに人も見つかるし、例えば『孤高の遠吠』だったらバイクがいっぱい出るじゃないですか、あれも用意しました。監督は「明日、原付4台集めて」とか無茶振りすることがあるんです。キツいじゃないですか。そんで下の奴に「お前ら原付4台集めろ」って言って、持ってきてもらって。
初めて映画に参加してどうでした?
正直、ナメてた部分もあったっスよ。たかが10分、20分の映像を撮るのに4時間、5時間かかったりするんで驚きました。
『NIGHT SAFARI』の次、『孤高の遠吠』はどうやって話が来ましたか?
『NIGHT SAFARI』を撮り終えてすぐに、「次はこういうのだからやろうぜ」みたいな流れで。LINEのグループで連絡が入るんです。
『孤高の遠吠』のときは台本があったと小林監督から聞きましたが。
見てる奴はいなかったです。台本なんかあったって、字ばっかりで覚えられないじゃないですか。でも、俺は台本があるほうが、監督がやりたいことを把握できてよかったですね。
台本を読む人と読まない人がいて、どっちかというとユキヤ君は、ちゃんと読んで覚えるタイプだったと監督が言っていましたけど。
ぱーっと見た程度です。台本に書いてある台詞が、現実に言ったことがあるようなことばっかりだったんで、べつに言いにくい部分もなかったし、自分の言葉にして喋っていきました。みんな「これはこうしたほうがいいんじゃないスか?」とかスゲェ言っちゃうんです。でも、それでどんどんまとまっていくんですよね。
現場での小林監督はどんな感じですか?
盛り上げ方が上手いですね。「あっ、それいいね!」「めっちゃ、怖ぇ〜!」「それ、思いつかなかったよ」みたいに言って。カット入れたら、そのたびに集まってモニターでチェックするんです。みんなそれなりにカッコつけたいわけじゃないですか。「いいじゃん、カッケー!」ってなるときもあれば、ときには「これ、俺ちょっと嫌だな。もう1回撮っていいですか」とか反発する奴も出てくる。そうやって何回も撮っていくんですよ。監督はその過程を映像に残して、厳選したものを映画に使う。
撮影中、意見の対立はありましたか?
ありましたけど、そこはやっぱり監督がはっきり言いますね。小競り合いみたいなこともありましたよ。俺が「もっとわかりやすくしたほうがいいんじゃないっスか」と言ったことがあって、そのとき監督は「そこはわかりやすくするんじゃなくて、観てる奴らが考えりゃいい」って答えたんです。それもそうだなと思いました。監督はちゃんと考えてるし、言い方も上手いんです。一緒にいるうちに、変わった映画を撮りたいっていう気持ちが、じわじわわかってきました。ありきたりの不良映画じゃなくて。
クラブで撮影したシーンは、とても緊迫感がありました。
自分がオーガナイズしているイベントでゲリラ撮影したんです。あのシーンで俺がビール瓶で頭殴るじゃないですか。あれ、正直やりたくなかったんですよ、自分のイベントだから。外でたまっていた先輩に「オイ、ユキヤ何してんだよ!」って言われました。クラブはふつうに営業してますから、映画を撮ってるとわからなかったんですね。
『孤高の遠吠』の撮影を振り返って、あれはヤバかったってことはありますか?
俺はその場にいなかったんですけど、みんなが単車で発進するシーンがあるじゃないですか。あそこで事故ってるんです。監督は別の単車のケツに乗ってカメラまわしてましたから映ってます。事故ったせいで、えーかん時間かかったんです。
えーかん?
こっちの言葉で「凄く」って意味です。たしか朝の5時か6時まで撮ってたんじゃないですか。そのぐらいですね、大変だったのは。