時代の正体〈88〉知らんぷりできない

辺野古新基地建設考(4)

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米軍普天間飛行場に代わる新基地建設反対を訴える山城博治さん=4月17日、沖縄県名護市

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 その人の独白が、ああ、やはりそうなのだ、と胸にどすんと響いた。

 「どれだけの思いでこの場に立っているのか。目の前の景色に重ね合わせているものが私とはまったく違う。助けになりたいなんて思った自分が恥ずかしくなった」

 恵泉女学園大人間社会学部3年の長棟はなみさん(21)は、そこから立ち去りたい衝動に駆られた。

 沖縄県名護市辺野古、新基地の建設予定地に隣接する米軍キャンプ・シュワブのゲート前。午前6時、その日の抗議活動の始まりを告げる第一声、マイクを手にした山城博治さん(62)は言った。

 「ここは沖縄戦の後、収容所だったんだ。おれのおじいとおばあはここで死んだんだ」

 沖縄平和運動センターの議長。反基地運動の先頭に立つその存在を知らぬ者はいない。抗議の輪に加わろうと沖縄へ渡った見ず知らずの長棟さんに「よく来てくれた」と最初に声を掛けてくれたのも山城さんで、テントで寝泊まりする日々、運動の歴史など教わったが、身の上話を聞くのは初めてだった。

 県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦で砲火を免れながら、しかし失われた命。「沖縄戦はまだ新しい記憶なのだ」。反対派住民が口々に叫ぶ「新しい世代に基地を残したくない」という言葉の意味が少しだけ深く理解できた気がした。

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