青年の日に口ずさんだあの歌から、「京都を色に例えるとチョウチョの色。淡い黄色かな」と大林さん。日差しの下では淡く、陰に入るとやや濃く、夜には黒く見える。「変幻自在ですね」
現実と虚構が入り交じる幻想的な映像で、生者と死者の交歓を描く大林さんは、京都を「かくれんぼの街」とも表現する。角を曲がると大事な人がいなくなり、
かと思うと路地の向こうにひょっこりと懐かしい顔が現れる。そんな街にチョウチョがひらひらと舞う。チョウは霊魂を運ぶ、という伝承がふと思い出された。
ふるさとの広島県尾道市を舞台にした作品などで知られる映画作家大林宣彦さん(77)は、大学進学で東京に向かう途中、京都に立ち寄った。 「僕が子どもの頃、東京は異国、未知の世界。一生、広島や岡山までしか知らない人がいっぱいいた時代です。その中で京都はまだ身近な所にあった都市でしたから、そこを確かめた上で異国に向かおうという気持ちでした。
といっても、清水寺の名前くらいしか知りませんから、とりあえずそこへ行ってみようと坂道をトコトコ歩いていました。そしたら『めぞがらし』という広告の看板が目に入ったんですよ。当時『からし』は、都会の人がいただく香り高き食べ物というイメージ。しかも『めぞ』なんてフランス的でしょ。たぶん一味か七味が、細い竹の筒に入ったおしゃれなものだろうと。お土産にしようと思って探しましたが、歩いても歩いても見つからない。人に聞いても知らないという。ある角をひょっと曲がったら、新しい縦書きの看板があって。『しらがぞめ』だったんですね。
横書きだと右から読ませる看板が、当時はまだ残っていたんです。それを左から読んでしまって。それが僕の京都の初体験です。あとね、そのときに何となく口ずさんでいたんですよ、歌を。『京都、京都、菜の葉にとまれ』って。きれいな砂利の上に、緋毛せんを敷いておままごとをする。そんなイメージでした」
「旅の恥…」は許されない
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路地に沿って並ぶ民家。「縦横の格子模様が基本になっている街なので、京都に来ると自然と居住まいが正される」(東山区) |
親友の高林陽一監督(1931~2012年)の実家が西陣にある縁で、その後もたびたび京都を訪れた。 「8ミリフィルムでアートをやろうと個人映画を撮り始めて、最初にできた友達が高林君。『一緒に行く?』って誘われて、何度も京都に来ましたね。彼の実家はいわゆる『うなぎの寝床』で、泊めてもらうと冬は風呂場から部屋に戻るまでに体が冷えちゃう。貴重な体験でした。
京都では『姉妹坂』(85年公開)という作品を撮りました。尾道は、猫の道といわれるように手描きで引いた線ですが、京都は整った碁盤の目。僕の映画って混沌(こんとん)とした話が多いですけれど、この作品は秩序の映画です。ふた組の恋人がお互いの相手を見ているみたいに撮影した。白い碁石と黒い碁石は、盤上で位置を逆転させてもゲームは成立するでしょ。互いの相手に恋する切ない物語は、碁盤の上だから成立する。それが京都の面白さでしたね。
そう京都は秩序の街です。きれいに水が打ってあって、ほうきの掃き跡も美しい。『旅の恥はかき捨て』は京都では許されない。むしろお行儀の良さを楽しむ。外国人に人気があるのも、日本的な狭い鋳型の中にいる感覚が良いのではないでしょうか。細い路地に入って、低いくぐり戸を抜けて、ようやくお茶がいただける。
普段、雑文やメモを取ってる人が、あらたまって俳句に向かうような感覚です。だから、しつけと言うと古いかもしれませんが、子どものうちに京都に連れてくるのは良いことですね。小津(安二郎)さんの映画でね、父親が嫁に行く娘と最後に旅する時、京都に来るっていうのはよく分かりますね。『整い』の中で娘を送り出す、そういう感じでしょうか」
路地を舞台に人間模様を描く作品が多い。 「表通りは絵はがき。デザインにはなるけれど、物語にならない。裏通りだと素顔が見える。京都でも碁盤のひび割れというか、狭い路地裏に物語が潜んでいる。キャメラが入るのはそうした場所です。
さんさんと光が降り注ぐより、トワイライトの方がニュアンスがいい画(え)が撮れるのと同じです。ちょっとモノの形がおぼろげになる時こそ気配がにじむ。人柄や、ささやかな悲しみは気配ですよね。黄昏(たそがれ)は、映画という物語を紡ぐ絶好の時間なんです」
1938年広島県尾道市生まれ。「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道3部作など作品多数。最新作は、自ら「3・11以降の日本人の再生のあり方、志を問う作品」と位置づけた「野のなななのか」(2014年公開)。