千原ジュニア

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千原ジュニア
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本名: 千原浩史
コンビ名: 千原兄弟
立ち位置:
事務所: 吉本興業
国籍: 日本
出身地: 京都府福知山市
生年月日: 1974年3月30日(34歳)
活動時期: 1989年 - 現在
公式サイト: 千原兄弟オフィシャルホームページ
受賞歴
1994年 ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞
1994年 上方漫才大賞 新人賞

千原ジュニア(ちはら - 、本名:千原 浩史(ちはら こうじ)、1974年3月30日 - )は日本のお笑い芸人俳優。コンビ「千原兄弟」のボケを担当。京都府福知山市出身(本籍は父親と同じ京都府舞鶴市である)。京都共栄学園中学校卒業。NSC8期生(卒業はしていない)。2005年、芸名を千原ジュニアに正式に改名。しりとり竜王戦九段。

目次

[編集] 人物

  • 中学時代は登校拒否引きこもりを経験し、高校には進学したが、相変わらず引きこもりを続けていた(このことは著書『14歳』に詳細が書かれている)。
  • お笑いの世界に入ったきっかけは、先にNSCに入学していた兄の千原せいじに「お前、何もせんと家におんのやったら、俺吉本(NSC)にいてるから来いや」と誘われ、NSCへ出向いたジュニアは、せいじに「明後日までにネタ作ってこい」と言われ、「ついこの間まで引きこもってた奴になんちゅう事させんねん」と思いながらも言いつけ通りネタを作り上げ、そのネタで爆笑を取り(本人曰くたまたまウケただけでそれ以降は大してウケなかったらしい)、その時のあまりの快感に「俺にはこれしかない」と決意、高校は中退したという。
  • NSC入学後は、およそお笑いに関係があるとは思えない授業の内容に辟易し何度となく辞めようと思ったが、同期入学であるFUJIWARA原西孝幸が面白く、彼見たさに通い続けたと後に語っている。
  • 「冠番組を持つと死にかける」という不幸な一面を持っており、急性肝炎交通事故オートバイ事故)で2度生死の境をさまよったことがあるが、無事に復帰し現在に至る。急性肝炎を患った際には、同時期にベイブルース河本栄得劇症肝炎で急逝したこともあり、ジュニアも同じ病気なのではと噂された。なお、これが6年周期でやってきており(肝炎は20歳、事故は26歳)、2007年が丁度6年目になるため、「今回は何があんねん」と不安に思っていると番組内で告白したが結局災難には遭わずに済んだ。奇遇にも6年周期である2007年10月からTOKYO MXで「千原ジュニアのシャインになりたい」という冠番組が始まった。
  • 東京進出当初はよく松本人志木村祐一らに連れられて遊んでいた。最近では、山本吉貴、佐田正樹(バッドボーイズ)、タケト(Bコース)、堤太輝(どりあんず)、綾部祐二(ピース)、若月徹(若月)、林克治(カリカ)、等の後輩を連れ、プライベートでよく遊んでいる。(大阪時代はケンドーコバヤシと特に仲が良く、毎日のように遊んでいたという)
  • 板尾創路(いたお いつじ)のことを慕っており、自らの「笑いの師匠」だと語っている。板尾軍団の一員。なお団員はジュニアのみである。
    • オートバイ事故で集中治療室から出た時、「芸人としてはもうやっていけないかもしれない。作家や他の仕事をするしかないのか」と悩んでいた。しかし、板尾創路、東野幸治、今田耕司、松本人志等の芸人仲間が毎日のようにやって来、彼らから芸人流の励ましを受けるうちに芸人への復帰を決めた。ちなみに、一般病棟に移って一番最初に見舞いに来たのは板尾で、コンビニで買ってきたみやげの雑誌を無造作に置いて「何してんねん。はよ帰って来い」とだけ言って帰っていった。その雑誌の1番上は『今度はベスパに乗ろう』と書いてあり、ジュニアはこの時のことを「ありえへん」と言っている。

[編集] 趣味・嗜好

  • 裁判(特に刑事裁判)の傍聴マニアで、大阪時代には大阪地方裁判所の公判をよく傍聴に来ていた。ある公判を傍聴中、入廷したある被告人がジュニアを指差して「あっ!ジュニアや!」とはしゃいだ為、退廷を命じられる一幕もあった。
  • 自他共に認めるかなりのM。夢は女子少年院に放り込まれ溜まったものを自分で発散してもらうことと番組で語っている。この妄想ぶりに、共演している東野幸治には「(こんな過激な事を敢えて言うとは)お前、東京(全国ネット)でテレビ出る気ないやろ!」と呆れられていた。
  • 小さくてぽっちゃりした女の子がタイプ。例えば加護亜依相原勇
  • ヘビースモーカーで、ホープを喫煙。禁煙する気はないらしい。一度吸い出したらずっと吸い続けるべき、という精神を持っている。着火の際も、「味がウマい」と、長年頑なにマッチを使用していたが、2006年半ばからライターに切り替えた(ただ単に、マッチでの着火が面倒臭くなったようである)。

[編集] エピソード

  • APEC首脳会議が大阪で開かれた際、会場の大阪国際会議場を臨むマンションに当時住んでいたジュニアの元に、過激派警戒の大阪府警機動隊がやってきたことがある(そのマンションが狙撃に最適の位置にあったため)。ドアを開くのと同時に機動隊員から「お前過激派か?!」と問いただされ、ムッとしたジュニアは「どちらかと言うと過激派!」と即答し、「いちびるな!」と一喝された。その直後、取り繕うかのように「ウソ、ウソ、本当は保守派」と答えたそうだが、後日、「過激派の反対語に保守派と挙げる俺はありえへんな」と語っている。
  • クールな芸風に反し、天然ボケの一面を持つ。様々な逸話があり、後輩芸人にネタにされることもある。
    • 小泉首相(当時)を「小泉大統領!」と言ってしまったことがある。
    • 車を運転している際に「車のキー、どっか落とした……どうしよう……」と言い出したことがある。当然、キーは車に付いている。
    • 後輩と食事に行った時、喋りながら塩を振っていたつもりが、爪楊枝を振っていた。
    • 後輩と靴を見に行った時、『こんなブーツ出たんか、かっこええなぁ。』と言ったが、その時自分が履いていたのと全く一緒のブーツだった。
  • 映画監督の豊田利晃とは親友同士。初めて出会ったその日に意気投合した豊田は「俺はお前で映画を撮る」と宣言。そして数年後に、その約束通りジュニアの主演映画「ポルノスター」が完成した。
  • 改名の理由は、占いを得意とする小笠原まさやに占ってもらったところ、「『浩史』では尖りすぎて周りに敵をつくり、『Jr.』では女性的過ぎて結婚できない、だが『ジュニア』にすれば巨万の富を手に入れます!」と言われたからである。
  • ジュニアが東京に進出する頃、東京の芸人の間で「とんでもないヤツが来る」、「いつもポケットにナイフを忍ばせており、すべると刺される」という噂が流れていた。その時に危機を感じた芸人が集まってできたのが竜兵会だと言われている(「やりすぎコージー」にて今田耕司が発言)。

[編集] 出演

[編集] TV

[編集] バラエティ

[編集] ドラマ

[編集] CM

[編集] 映画

  • 日が暮れても彼女と歩いてた(2006年)
  • 難波金融伝 ミナミの帝王スペシャル Ver.50 金貸しの掟(2004年)
  • カミナリ走ル夏(2003年)
  • ナイン・ソウルズ(2003年)
  • 岸和田少年愚連隊 EPISODE FINAL スタンド・バイ・ミー(2002年)
  • ICHI(2002年)
  • セクシードリンク大作戦~神様のくれた酒(2002年)
  • MOON CHILD(2003年)
  • RUSH!(2001年)
  • UNCHAIN(2001年)※ナレーション
  • HYSTERIC(2000年)
  • ポルノスター(1998年)
  • 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇(1997年)

[編集] ラジオ

  • 千原ジュニアのオールナイトニッポンR(2008年3月22日、ニッポン放送

[編集] 舞台

  • 尋常人間ZERO(2008年)
  • CROWN~眠らない、夜の果てに…/劇団EXILES(2008年5月)

[編集] 映像作品

  • 囚(2003年5月28日、R and C
  • 囚 040229(2004年5月26日、R and C)
  • -詩- 05 TOUR(2005年6月29日、R and C)
  • 6人の放送作家と1人の千原ジュニア(2006年7月19日、R and C)

[編集] 書籍

  • 答え(2004年)
  • 少年(2005年)
  • 千原ジュニアの題と解(2006年)
  • 14歳(2007年)
  • 3月30日(2008年)

[編集] 外部リンク