【ソフトB】工藤監督、200勝投手4人目V!パ最速日、福岡に「恩返し」

2015年9月18日6時0分  スポーツ報知
  • パ・リーグ優勝を決め、ナインから胴上げされる工藤監督
  • 祝勝会で樽の酒を浴びせかけられた工藤監督

 ◆ソフトバンク5―3西武(17日・ヤフオクドーム)

 就任1年目の工藤監督が本拠・ヤフオクDで9度宙に舞った。ソフトバンクが西武を下して、2年連続、1リーグ時代を含めて19度目(ソフトバンクとしては4度目)のリーグ優勝を決めた。貯金47、2位・日本ハムと14・5差、リーグ最速日Vを2日更新する圧倒的な強さだった。ソフトバンクは2年連続の日本一を目指し、10月14日からヤフオクDでクライマックスシリーズ(CS)最終ステージに挑む。

 連覇を決めた歓喜の輪の中心に背番号81が立った。本拠地を埋め尽くす3万8500人の前で、工藤監督が宙を舞った。1回、2回…。初の胴上げを9回。「(胴上げは)最高でした。地元のファンの前で優勝できて、本当にうれしいです。プレッシャーはあった。心のどこかでホッとしています」と笑顔で声を震わせた。

 将来のエースとして期待する武田が7回1失点と好投し、4回には今季新設されたホームランテラスへの松田の34号ソロと、長谷川の2号ソロの連弾。2点差の9回は守護神サファテで締めた。今季を象徴する試合で、64年の南海、95年のオリックスの9月19日を上回るリーグ史上最速V。前年日本一チームを新監督が率いて優勝するのは史上初。通算224勝の工藤公康が、監督としても球史に名を刻んだ。200勝以上した投手がV監督になるのは史上4人目の快挙だ。

 「99年に福岡を離れて、いつか福岡で恩返しがしたいと思っていた。恩返しができて、こんな幸せな人間はいません」。16年前に失ってもおかしくなかったホークス愛。心をつなぎ留めたファンと恩人への恩返しになった。当時のダイエー(現ソフトバンク)を日本一に導いた99年オフ、FA残留交渉は球団幹部の不誠実な態度もあって決裂。球団の「決別文」ともとれる文書配布で、悪役に仕立てられた。

 騒動の中、バッシングも受け、自身だけでなく雅子夫人も体調を崩して一時入院した。残留を望んだ約17万人のファンの署名には7年間かけ、感謝の手紙を出した。自筆の宛名と「マウンドで投げる47の後にいつもあなたの声援があったこと この5年間に感謝をこめてありがとうございます」(原文通り)の言葉、サインを記した。

 秋山前監督の突然の退任で舞い込んだオファー。99年の監督だった王会長直々の要請に受諾を決意し、家族に誓った。「根本さん(球団社長在職中の99年4月に死去)、王さん、秋山さん(前監督)、先輩たちに育ててもらった。その先輩たちが大切にしてきたチームを大切に預かる」。就任会見前に秋山氏の激励を受け、会見後は佐賀・唐津市にあるダイエー時代の親友・藤井将雄氏(享年31)の墓前へ。監督就任を報告し、連覇を約束した。

 日本一のチームを引き継いだ監督1年目。試合の流れに一喜一憂し、時に子どものようにはしゃいだ。現役続行を目指して浪人中に起きた11年の東日本大震災。被災地に何度も入り、左肩痛を抱えながら、野球教室では打撃投手で何百球も投げた。翌日に肩が動かないこともあったが、明るく懸命に生きる被災者の姿に「自分の肩なんて、どうでもいい」と痛感。「野球は明るく、楽しく!」をテーマにし、ベンチで自らが体現した。

 現役時代と同様、ナイター後でも、その日のうちに他球団を含めた全試合を確認。主催試合では選手よりも早く球場入りし、スコアラー陣と話し合ってデータを頭に叩き込んだ。これに「ひらめき」も加えた。予期せぬ継投を決めてブルペンを慌てさせ、準備していない打者を突然、代打に送ったこともあった。高田や福田ら若手も積極起用。投手陣では新加入の松坂の1軍登板なしという誤算はあったが、二保、飯田らを1軍に置き、千賀、東浜らに、主力の登板を削ってでも先発の場を与えた。

 勝利と育成を両立させながら、チーム打率、防御率、得点はリーグトップ。連敗も2連敗が4度、3連敗が1度あっただけ。2位・日本ハムに14・5差をつけ、貯金47の独走Vだった。「ウチのチームの戦い方は変わらない。きっと選手はやってくれる」と指揮官。リーグ連覇は通過点。最強のタカ軍団が、2年連続日本一へと突き進む。(福谷 佑介)

 ◆200勝以上投手4人目のV 工藤監督は投手として通算224勝をマーク。200勝以上して監督として優勝に導いたのは1947年、阪神・若林忠志投手兼監督(201勝)が第1号。通算400勝の金田正一が74年ロッテで日本一。251勝の東尾修が97、98年に西武でリーグ優勝したのに次いで4人目。ちなみに2000安打以上の野手出身組V監督は8人。

 ◆工藤 公康(くどう・きみやす)1963年5月5日、愛知県生まれ。52歳。名古屋電気高(現愛工大名電)から81年ドラフト6位で西武入団。94年オフにダイエー(現ソフトバンク)、99年オフに巨人へFA移籍。07~09年は横浜、10年は西武でプレーし、無所属だった11年12月に現役引退を表明。最優秀防御率4度、最高勝率4度、最多奪三振2度。通算635試合に登板し、224勝142敗、防御率3・45。昨季終了後にソフトバンク監督に就任。176センチ、80キロ。左投左打。家族は夫人と2男3女。年俸1億円。

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