犬射殺事件に思うこと 

あの紀州犬の事件…
13発も撃たれて、ミリオンくんはどれ程恐ろしかったことでしょう!
誰にも愛されず関心も払われず生きてきて、
最期に痛みや恐怖を味わったのかと思うと
いったい何のために生まれてきたのか!?
胸が詰まると同時に、怒りを覚えます!
なぜ、噛んだ犬は殺され、噛む犬にしてしまった飼い主は罰せられないのでしょう。

でも、虐待は何もあの飼い主に限ったことではありません。
100秒に1匹殺処分されている命!
「どうして?」という動画を何度も何度も見ました。動画の中に、
自分の子供を連れて飼い犬を保健所に捨てに来た飼い主に対する犬の言葉があります。
「私はあの子(飼い主の子供)のことが心配です。
あなたがたった今、私も大好きなあの子に教えてしまったこと・・・」
私たちは、信頼を裏切ってはいけない、いじめはいけない、命を奪ってはいけない、
と言いながら、年老いたから(医療費がかかるから、世話が大変だから)、
飼えない状況になったから、子供がアレルギーだから、
という自分にとって正当だと思われる理由があれば
簡単に一つの命を身勝手に終わらせてもよいのだと
子供たちに毎日毎日教えているのです!
本当に教えなければならないことは
たとえどれほど困難な状況になったとしても預かった命に対して責任を持つという事
たとえどのような姿に変化したとしても預かった命を愛し続ける事
のはずなのに・・・
ペットショップに行って、お気軽に犬を購入し、
古くなったり、いらなくなったら、物のように捨てる!
そこには命に対する何の敬意もありません。

でも実は、残酷な現実に怒りを覚えると同時に
自分の無責任さにも強い憤りと後悔を感じています。
なぜ、もっと幼い頃に必死でソシアライズさせなかったのか、
沢山のワンちゃんと遊ばせて、沢山の人に触っていただいて
できることは沢山あったはずなのに・・・
「初代犬に似ていたから、きっとこの子も大丈夫だと思った」
「同じように育てれば同じような子になると思った」
全て根拠のない思い込みと驕りでした。
もっと早くに個性をよく観察し、対策をすべきでした。
無知や無関心の代価は本当に大きいです!
ただ可愛がるだけではその子の一生を幸せにすることができないかもしれません。
今の日本では、もし、自分が病気になったら、事故や災害で死んだら、
人に歯をむく犬は即座に処分されてしまいます。
それが一時の恐怖や混乱によるものであったとしても
その子の生き延びる可能性と時間を奪ってしまいます。
一つの命迎え入れるという事は、
知識と経験と注意深さと時間とお金と体力が必要です。

最近は自然災害も多いので、いざ避難となったとき、
吠えない、噛まない、は絶対条件となります。
大型犬の場合はさらに、キャリーに入れては運べないので、
基本的な躾はもちろん、靴を履き慣れることや
非常持ち出し袋の運搬方法も考えておかなければなりません。

沢山の事を考えさせられた事件でした。


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