【山口組分裂】東映「仁義なき戦い」シリーズなどを手がけた大物プロデューサーが激白 「ドンパチがないと映画にはならん!」
国内最大の指定暴力団山口組に分裂の動きが出てきた。直系組織が複数離脱し、抗争に発展する恐れもあるという。山口組を題材にした実名映画には2部作の「山口組三代目」(1973年)と「三代目襲名」(74年)、それに「山口組外伝 九州進攻作戦」(同)があるが、これらを手掛けたのが「仁義なき戦い」や「極道の妻たち」といったドル箱シリーズをはじめ、「鬼龍院花子の生涯」などを世に送った東映の大物プロデューサー、日下部五朗氏(80)だ。
東映が任侠(にんきょう)路線から暴力団の抗争を描く実録路線に移行した70年代だったら、今ごろ「山口組分裂」なんてタイトルで映画化を画策していたのではないか…。そんな想像を膨らませながら、京都府内の自宅にいる日下部氏に電話インタビューを行った。
「どの組でもそうでしょうけども、組織が大きくなると不満分子が出てくるもの」。今回の分裂騒動についてこう分析する日下部氏は、映画化にはいくつかの問題があると指摘する。
「映画にするっていうのはね、ドンパチがないと映画にならん。アクションにならんから。アクションにならんと、僕の撮ってきた映画は成立しませんからね。最近はドンパチやるような人はいないですよね。警察が強いから、すぐにつかまっちゃうし。それから内部的な地位争いなんかが分からないとなかなか映画にはできませんね。今は新聞報道とかしか分からんから」
「山口組三代目」のころは「かなり取材をしました」という。「3代目の田岡一雄という大親分が存命中でしたから、僕なんか直接面談して話を聞きました。あの人が命令すると九州の組もどこの組も結構協力してくれたからね。ま、“昔は”ですよ。(今は)そんなカリスマもいないわけだし。だから新聞報道を見るしかないなあ」
当時はこれが山口組と癒着しているのでは、との疑惑を生んだ。「三代目襲名」のときのこと。「岡田(茂・元東映社長)さんなんかは兵庫県警に引っ張られてお金が向こう(山口組)に行ってないかいうてやられた。岡田さんは田岡3代目と親しかったからな。当時から金のこと(事実)はなかったけれどね」
1975年に公開した「県警対組織暴力」にはこんなエピソードがある。「岡田さんが引っ張られた兵庫県警にさ、かなりとっちめられたから『コノヤロウ』という腹いせもあってああいうタイトルになったんだ」。同じ深作欣二監督の「仁義なき戦い」で組員役だった菅原文太や梅宮辰夫らに刑事を演じさせるという発想の転換が光る一作で、地元ヤクザと癒着している菅原演じる管轄署刑事が暴力団壊滅に躍起な県警と対立する構図も皮肉で面白い。
「映画の企画っちゅうのはタブーに挑戦することで大衆が好奇心を持つという考えやった」と日下部氏。「今はどこの映画会社にもそんな癒着と言われるような関係はないじゃない。今の東映ではヤクザ映画やお色気路線が全然タブーになっちゃったから誰もやる奴おらんやろ。今の経営者はみんな紳士になっちゃったからそんなことやらんで。独立プロならどっかやるかもしれんけども」
自身も危ない目に遭っている。「山口組外伝 九州進攻作戦」の主人公は菅原演じるアウトローの夜桜銀次。映画化にあたり銀次が組員だった九州・別府の山口組系石井組に挨拶に行ったとき、「つかまって幽閉されてさ。別にどうのこうのってことなかったけど」と述懐する。「うちの親分もおるのに何であんなチンピラを主役にするんや」とホテルに2日間、監禁されたが、田岡組長の「すぐに日下部を釈放せんかい」という一声で解放された。「あの映画はね、京都・祇園の京町でさ、殺人事件を起こして九州の方へ逃亡してきた男の話。菅原文ちゃんと渡瀬(恒彦)がやった(演じた)んかな、あれはいい映画だったよ、すごく。うん」と満足そうだ。
ところで、あのころはどうして実録路線が受けたのか。「やっぱりリアリティーですよ。ホンマの話やとみんなが受け取ってくれることがよかったんだ」。岡田氏の回想録によると、実録路線は長続きせず3年ほどでブームは去った。現代において実録もの復活の可能性はあるのか。「きちんとやれば興行的に成功すると思うけど、かなりヤバイです。いくら警察が強くなっても暴力団の連中は自分の沽券(こけん)にかかわるような、名誉を傷付けられるようなことがあったら黙っておらん人が多いです」。さらに「(映画製作は)要するに金よ。金を集めるのが難しいんですよ。金集めてこないとポシャるんですよ。プロデューサーにそれだけの力がないと。何百万だったら多少は考えられるけど、何億っていう金を集めてくるだけのプロデューサー、誰かいるかな?」
高倉健演じる田岡組長の生きざまを描いた「山口組三代目」は「仁義なき戦い」よりヒットしたが、暴力団の宣伝映画として批判もされた。このため3作目の「山口組三代目 激突篇」は実現しなかった。日本映画とテレビ局との関係が密になっている昨今、ますます実録映画が作りにくくなっていると指摘する。「テレビコードがあって、なかなか放映してくれんしな。映画館以上にテレビ局ってのは規制が厳しいから『ヤクザ』なんて言葉も使っちゃならんでしょ」
昨年11月に高倉が亡くなったとき、テレビ東京は追悼特別番組として主演作の「網走番外地 北海篇」(65年)と「網走番外地 南国の対決」(66年)をいち早く放送した。ヤクザ映画が地上波で放映されたことに、ネット上には「よくやった」と歓迎する声が殺到したものだ。
「平和になってきたから、日本も。安保(法制)騒動もあるけども、もうちょっとね世の中、もめんと面白うないなあ。安定しちゃったから、世の中ってのはさ、面白くない」
それは冒険をしなくなった今の日本映画にも言えるのではないか。
「そうです。日本映画もね、もうちょっと努力すれば素材というのはいっぱいあると思うけどね。探せばね」(WEB編集チーム 伊藤徳裕)