【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(1)】「阿比留さんだからと逃げることはない」
朝日新聞の初期の慰安婦報道に関わった植村隆元記者(北星学園大非常勤講師)が、初めて産経新聞のインタビューに応じた。インタビューは7月30日午後に札幌市内のホテルで行われた。インタビューを担当したのは本紙政治部の阿比留瑠比編集委員と外信部の原川貴郎記者。約2時間にわたってやりとりが続いた。
インタビューの詳報を10回にわたり紹介します。
「(インタビューを)産経新聞がやってくれるの想定していなかった」
植村「どうも初めまして植村です。いろいろご質問があるということなので、順次やろうと思うんですが、その前にちょっと、今回わざわざ東京から来られて、ちょっと取材経緯といいますか、意図といいますかですね、その辺のところを教えていただいて…と思うんですけど。いいですか」
阿比留「どうぞ。まず今回は、当初は植村さんに特に焦点をあてる意味ではなくして、朝日新聞による慰安婦検証記事からちょうど1年になりますので、それで1年で何が変わったか、変わっていないのかみたいなことを特集しようということになっておりました。そして、今回改めて植村さんに取材を申し込んだところ、今回はお受けいただけるということですので…。ならばそれは植村さんのインタビューをきっちり載っけたいなということですね」
植村「ああ。そうすると私のインタビューということですか? 原川さんの話だと、特集記事の中にデータとして生かすということだったんですけれども」
原川「まあ、まあ、そうですね、インタビューというか、この取材自体はもう、形式としてはインタビュー取材でしかないと思うんですけど」
植村「ええ、もちろんそれはそうですよね」
原川「形式として植村さんにお伝えしていましたように、いわゆる一般記事の中でご見解とかご発言を引用させてもらうのと、あとおそらくそれでは全て盛り込めないでしょうから、その部分は別途、その一問一答形式とかですね」
植村「そういうのを産経新聞がやってくださるんですか。今まであまり想定していなかったんだけど」
阿比留「いや、でもこれは今までも何度か植村さんには、まあそのたび違う人間かもしれませんが、取材は申し込んで…(きました)」
植村「いや、あのねえ、去年の10月くらいに申し込まれたことは一度あって、その時は書面回答させていただいて、対面取材はなかったですよね。それで1月9日に阿比留さんとお会いして、『どうぞ』ということだったんですけど、その後は申し込みはなかったですよ(注:植村氏は1月9日に文芸春秋と東京基督教大の西岡力教授を相手に損害賠償と謝罪記事の掲載などを求める名誉棄損訴訟を起こし、その後に記者会見した)」
阿比留「その後は植村さんにスポットをあてる理由が特になかったものですから、申し込んではなかったと思いますけれど。そういうわけでですね、せっかく植村さんにお話いただけるならば、今までわれわれが疑問に思っていた点も説明していただければお互いすっきりするかなあということです」
植村「なるほど。すっきりしてくれるのかしら」
阿比留「それは話次第でしょうけど」
植村「でもまあ一つは、もともといただいた質問状に書かれたのも、私が文芸春秋で手記を書いたことにかなり網羅されていると思うのですけれども。だいたい経緯は分かりました」
「取材担当者が変わった理由は?」
植村「今までいろいろなインタビューというのは…当然、僕は今すっごいバッシングを受けているんですよ。その一言、一言で激しく反応する人がいて、基本的にインタビューであればゲラをもらったりしているんですけれども、産経新聞というのはそういうことをやってくださるんですか」
阿比留「それは普段はしませんが、例えば植村さんが話した部分だけをピックアップして、それをお渡しするくらいのことはできるかと思います」
植村「ああ、そうですよね。だいたい今までどこの新聞社もそういうふうにやっていただいている。というのはご存じだと思うんですけど、あの、ひどいんですよ。卑劣な攻撃。娘が脅迫されてましてね。『殺す』というので、パトカーが家を回っているとかですね。そんなような状況なのでね、その辺は非常に配慮していただきたいというのと。分かりました。
それからもう一つお尋ねしたいのは、今日あの、今回ですね、最初の取材の時には原川さんと、もう一人の別の政治部の方が申し込まれて、僕が『(7月)29(日)か30(日)くらいだったら都合がいいですよ』ということになったんですが、突然、その、えーっと、取材担当者が変わったというのはなんか理由があるんですか」
原川「特にないですよ。まあ7月中ということでお願いしていて、どの日になるか分からないので取りあえず取材に行ける可能性が高い別の者を私の名前とともにお伝えしたところ、たまたまいただいた日にちというのがどうしてもその記者の取材が入っていて動かせないということで。そういう経緯です」
植村「ふーん」
原川「それでじゃあもう一人、原川の他に誰を取材に行かせるかということで阿比留記者になったと…」
植村「ということで」
原川「別の日程であればそのまま…」
阿比留「私は29日または31日だったらダメだったんですよ。今日30日ならあいていた」
植村「ということはもう一人の人は29日も30日もダメだった?」
原川「そうです」
植村「なんとなく裏読みする人がいてですね、阿比留記者が最初から申し込んだら植村が断るんじゃないかと」
阿比留「はは」
植村「なぜそんなことを言うかと言ったら、結構そういうのがやっぱり流れているんですよ。産経新聞から逃げ回っているというのがね。ご存じだと思うんですけれども、そういうのがありまして。僕は阿比留記者だから逃げるということはなくてですね、それは1月9日に名刺交換したとき、阿比留さんがね、『取材しますから』と言って、その後もお待ちしていたんですけれども(取材依頼が)なかったということがあったんで。別に阿比留さんが申し込んでくださっても、植村は別に、もともと逃げてなくてね、産経新聞には回答しているんですからね。その辺のところは正確に把握していただきたい」
阿比留「別に逃げられたとは思っていませんけどね。その前段階としてうちの記者が(北星学園)大学に行って(大学側と)交渉したけれど結局無理だったということもありましたからね」
植村「まあ、それは手続きはあると思うんでね。最初にどっか申し込んできたらあれだけど、突然来て大学がびっくりしたみたいで。まあ、あのよかったんです。僕は阿比留さんと実はお会いしたいと思っておりまして。というのは今日取材受けますけれども、せっかく阿比留さんが来たんで、これは私にとっても、とっても大事なチャンス。なぜなら産経新聞の方々とこうやってお話できる。で、まあ、僕は今、名誉毀損訴訟もやっていたりするんで、本来ならなかなかね、その、慎重なことにならざるを得ないんだけど、阿比留さんがいらしているということもあったんで。ちょっとまあ、インタビューに入る前に一つだけ阿比留さんに聞かせていただきたいことがあって」
「『歴史戦』でいきなり植村の話が出てくる」
植村「あのー、私は、『歴史戦』(産経新聞出版)という本を読ませていただいて。ここに阿比留さんの序文がありまして、ここを見るともういきなり植村の話が出てくるんですよね」
阿比留「ああ、(平成26年9月11日の朝日新聞社の木村伊量前社長の記者会見時の)質問のところですね」
植村「質問のところね。これ、阿比留さんの文章だと思うんですけど、『記事では(元慰安婦の)金(学順氏)は匿名となっていたが、親から売られたという事実への言及はなく、強制連行の被害者と読める書きぶりだった』というのが書かれていた。これについてちょっと最初に教えておいてほしいの。まあ今日の質問とも関連してくると思うんですが、やっぱりこれだけの部数の本にこういうふうに書かれているということでね。これ、一体どういうことですか。『親から売られたという事実への言及がなく』というのはどういう意味ですか」
阿比留「金さんが『母親に40円でキーセンに売られた』というふうに述べていることに関して、その時点で植村さんがですね、どの程度知っていたのか知らなかったのか分からない段階で、当然持つ疑問だと思うんですね。あと連行ということ、強制連行ということも…」
植村「ちょっと待って。要するにキーセンに売られたことが問題なんですか」
阿比留「私は重要なことだと思っているんです。それは後での質問…」
植村「もちろん出てくるんだけど。それもまあ、今ねえ、これテーマ設定ということで。キーセンに売られたということと慰安婦になったことがどういうふうに関わっていると…」
阿比留「慰安婦とは限りません。例えば売春婦という場合もありますけども、いわゆる軍関係じゃなくてですね。すでにキーセンに40円で売られた段階で、そういうふうになる可能性がですね、当時の朝鮮、日本でも似たようなものだったといいますが、あったわけですから。そういったことを個人の来歴の中ですね、どういう育ち方をしたかということについて重要だと私は考えました」
植村「可能性があるということで、個人の、まあ売春婦みたいな、可能性があるということでそういうのを書く必要があるんでしょうか」
阿比留「あのー、その人のですね、どういう立場でどういうふうな暮らしをしていたかということはやはり必要だと思いますね」
植村「ああそうですか。(言いたいことは)分かりました。じゃあ産経新聞は、親から売られたというのを当時、書かれていたんでしたっけ」
原川「キーセンについては、当時の訴訟、1991(平成3)年12月6日の訴訟を受けての記事などでは、当時は特に金学順さんだけにスポットをあてた記事ではなくて、訴訟全体を書いているものですから、そういうくだりはありませんね」
植村「個人の来歴を、もし仮に阿比留さんが必要だと思えば、当時、産経新聞は書くべきだったんですかね」
阿比留「それは、しかしその例えば、植村さんがご自身が書かれた記事は匿名ではあるけども、個人にスポットをあてた記事ですよね? 個人にスポットをあてた記事であれば、私は産経が、過去の記事全部をチェックできているわけじゃないので分かりませんけれども、書いた方が正確であろうと思います」
植村「なるほどね。書いた方が正確だったと。分かりました。それはまあ、あの、意見ですね。それからもう一つ。強制連行の被害者という書きぶりだったと。これもたぶん後で上がってくると思うんですけど、やっぱりアジェンダ設定で聞いておいた方がいいと思うんですけど。これはどういうふうに」
阿比留「女子挺身隊の名で戦場に連行されたという、『戦場に連行』というふうにされると、連行にはそもそも強いるという意味がありますから、強制連行を意味するんじゃないかなあと普通は読めるわけですね」
植村「うーん、なるほどね。普通は読めると…。(言いたいことは)分かりました」