自動運転の車両に関しての法律の権威であるUniversity of South Carolina(サウスカロライナ大学)のBryant Walker Smith教授の記事が出ている。自動運転の法律的問題の一端を示すものである。 <2015年8月24日Automotive News Europe>
記事の概要
自動運転車両に関しての法律に関して授業を行っているUniversity of South Carolina(サウスカロライナ大学)のBryant Walker Smith教授との電話インタビューの記事である。
3つのケースに対してBryant Walker Smith教授が意見を述べているので、この意見の概要を記載する。詳細な内容に関しては上記のリンク元を確認してもらいたい。
シナリオ1
自動運転車両が自転車をよけるためにブレーキをかける事象が発生した時に、乗員がシートベルトをしていなかったために、乗員が投げ出されてけがをした。けがをした乗員が自動車メーカーを訴える場合。
このケースでは、米国の各州によって異なる見解となると教授は言っています。
ただし、多くの州では、自動車メーカーがそのような事態を防ぐための対策を行うべきであると考える可能性があるとしています。例えば、シートベルトがされていなければ、乗員を保護するために弱めの減速を行う必要があるなどです。ここにおいて、自転車を保護するという交通弱者を守る原則が通用しない可能性があるとしています。
つまり、乗員がシートベルトをしているかを検知して、シートベルトをしていなければ自動運転にならないなどのインターロックが必要になる可能性があるとしています。
シナリオ2
運転者は差し迫った危険を感じて、車両を操作したがクラッシュした。この件に関して運転者などが自動車メーカーを訴えた場合。
まず、操作したことがクラッシュの原因であるかになるが、運転者が差し迫った危険を感じていることから、自動運転でもクラッシュしたと考えられる。つまり、人間が介入したことは重要でないとされる。
次に、このクラッシュは自動運転システムの欠陥によるものであるか、不可避ものであるかが問題となります。
このとき、自動運転であればクラッシュを避けることができたとしたら、自動車メーカーから補償を得ることはできないといえます。また、逆に言うと、もう少し早く人が対応していれば事故は起きなかったということもできます。
どちらにせよ、運転免許を必要とする自動運転の場合には、この問題で自動車メーカーが訴えられる可能性は低いといえます。
シナリオ3
自動運転車が道路工事現場を通るときに、工事現場でスピードを上げて通過して、作業員を負傷させます。その作業員が自動車メーカーを訴えた場合。
自動運転自動車は、以下の点に留意が必要であるとしている。
「合理的な人間のドライバーが期待するように動作すること」と「合理的な人間のドライバーが期待するよりもはるかに良好に動作するとしても、それは可能性にすぎないこと」です。
工事現場のそばでは人は慎重に運転するのが普通です。この考えによると自動車メーカーは責任を負う必要が出てきます。
考察
以下に各シナリオの考察を記載します。
シナリオ1
哲学でよく言われる「トロッコ問題」と同じです。
「トロッコ問題」とは、「トロッコが暴走しました。暴走したトロッコの先に5人の作業者が作業しており、このまま暴走させた場合に5人は死んでしまうことになります。しかし、A氏はトロッコのポイントにいて、ポイントを切り替えて5人を助けることができます。しかしながら、ポイントを切り替えると、切り替えた先で作業をしているB氏が死んでしまうことになります。A氏はどうすべきであるか?」という問題です。
ここで、A氏が自動運転車両のプログラムとなっており、B氏がその車両の乗員であり、そのままであると死亡する5人が自転車に乗った人と考えると、このシナリオ1に当てはまります。
つまり、自転車を検知してブレーキをかけることが、A氏がポイントを切り替えることになります。その結果、シートベルトをしていなかったためにフロントガラスに激突する乗員がB氏となります。
この「トロッコ問題」には答えがありません。哲学的な理論によっては答えが出てきますが、それは理論によって異なります。つまり、人間が判断して行動しなければならない状況であるといえます。
この部分は、自動運転の倫理的な考察の範疇となります。
シナリオ2
これは、運転の主体がどこにあるかの問題です。
現状で考えられている半自動運転では、運転の主体はドライバーにあります。ドライバーはいつでも自動運転に介入することが可能となります。このシステムの場合には、ドライバーの責任に帰することになります。
もし、運転免許の必要が無い自動運転であった場合には、自動車メーカーの責任となるといえます。
シナリオ3
ここでは、自動運転は最低限度として、人が運転するのと同等に周辺に注意ができるものとならなければならない点と、たとえそのようにできたとしても、それを完全に証明することができないので、可能性としてしか説明できない点について述べています。
特に後者は、安全を完全に証明できない点が問題となります。
技術的に完全であるとは証明できないので、それに対応した方法で考える必要が出てくることになります。
技術的に可能なものであっても、これらに例示されているような問題が立ちはだかってくるといえます。これらの合理的な答えが共有されないと、自動運転を実施することはできないと思われます。