(石原)
私たちは戦争の事をどれくらい知っているのでしょうか
(寺島)
平和のために私たちは何ができるのでしょうか
日本人だけでも310万人が命を落としたあの戦争。
70年前終わりました。
戦後その犠牲を礎に平和国家として再出発した日本は戦争を放棄し豊かな社会を築き上げてきました。
一方世界に目を向けると紛争が絶える事はありませんでした。
犠牲者はこの70年で2,000万人以上。
貧困や格差が争いの種となり憎しみが憎しみを生んでいます。
私たちにできる事は何か。
2人の女優が争いの現場を訪れ考えました。
石原さとみさんは激しい内戦で多くの犠牲者を出したアフリカウガンダへ。
そして寺島しのぶさんはイスラム過激派のテロに直面したフランスパリを訪ねその現実を見つめました。
更に国際舞台で活躍してきたリーダーたちが日本に寄せる期待を語りました。
この夏これまでになく平和の在り方を巡って揺れる日本。
終戦から70年。
世界の平和のために私たちに何ができるか考えます。
こんばんは。
こんばんは。
シリーズでお伝えしてきた「戦後70年ニッポンの肖像」。
最終回をお届け致します。
戦後70年を越えて日本人は何ができるのか考えていきます。
平和の中で繁栄を築き上げてきた日本。
今や国民の8割以上が戦後生まれとなりました。
しかしこちら。
世界では戦争や紛争が続いてきました。
戦後武力衝突に関わった国と地域を表したものです。
アフリカヨーロッパ中東東南アジア。
日本以外のほとんどが当事者となっています。
21世紀に入っても争いがとどまる事はありません。
私たち日本人はこのような現実にどう向き合えばよいのでしょうか。
今回戦争を知らない世代の女優石原さとみさんと寺島しのぶさんが争いの現場に足を運びました。
世界の平和のために日本人は何ができるのか。
まずは今世界で起きている現実から見つめてまいります。
世界では今も凄惨な争いが続けられています。
中東ではISイスラミックステートを巡る紛争が激化。
ウクライナ東部では政府軍と親ロシア派との対立が続いています。
紛争による犠牲者は年間10万人。
中でも冷戦終結後最も多くの犠牲者を出しているのがアフリカです。
20年続いた内戦でおよそ10万人が命を落としたウガンダ。
今回この国を女優の石原さとみさんが訪ねました。
ウガンダでは停戦合意がなされた9年前まで政府軍と北部に拠点を置く神の抵抗軍と呼ばれる反政府勢力との内戦が続きました。
反政府勢力は誘拐した子どもを少年兵として利用し国際的な非難を浴びてきました。
石原さんは今年出演したアフリカを舞台にした映画で少年兵の事を知りました。
少年兵とは兵士として訓練され戦闘などに使われる18歳未満の子どもの事です。
自分と同世代の元少年兵たちが暮らす施設がウガンダにあると知り石原さんは訪ねたいと思っていました。
その施設は内戦の主戦場だったウガンダ北部にありました。
反政府勢力は今も国外に逃れゲリラ戦を続けています。
ここでは脱走などによって戦場から帰還したばかりの25人の元少年兵が社会復帰を目指しています。
この施設の元少年兵の平均年齢は28歳。
反政府勢力に拘束されていた期間は平均14年にも及びます。
元少年兵たちは皆ふるさとに逃げ帰るまで過酷な任務を強いられていました。
オガルディンさんは10歳の時誘拐され15年間戦場で過ごしました。
オガルディンさんが初めて銃で人を撃ったのは11歳の時だったといいます。
今全世界で紛争に利用される少年兵は確認されているだけでも25万人以上いるとされています。
ウガンダでは反政府勢力が3万人もの子どもを誘拐し戦闘員の大半を少年兵が占めるほどでした。
停戦合意がなされた今なお子どもが誘拐されゲリラ戦に投入されているといいます。
(歌声)
施設には私と同世代の元少女兵もいました。
少女たちは戦闘に駆り出されるだけでなく兵士の慰安の役割も担わされるといいます
今年3月。
反政府勢力から脱走し保護されたバーバラさん24歳です
バーバラさんが誘拐されたのは13歳の時。
施設に来てから笑顔を見せた事はほとんどないといいます
誘拐された2年後密林の中で女の子を出産しました。
15歳の時でした
拘束された11年の間にバーバラさんは3人の子どもを出産しました。
しかし1人は戦闘に巻き込まれ死亡。
1人は戦闘の際はぐれ行方不明となりました。
一番下の2歳の男の子は脱走する際その場に残さざるをえませんでした
望まない形で子どもを産まされたバーバラさん。
それでも子どもの事を思い続けていました
子どもたちが戦場に駆り出される背景には誘拐以外にも貧困の問題もあります。
特に反政府勢力が活動していた北部では一日1ドル25セント未満で暮らす絶対的貧困層が5割に上ります。
生活の糧を得るために戦闘に参加する子どもたちもいるのです。
子どもを使ってまでなぜ戦いを続けるのか。
私は反政府勢力に対し憤りを感じていました
オティムさんはおよそ7,000人の兵士を指揮した最高幹部の一人でした。
戦闘で右足を失っていました
戦争に勝者も敗者もないと語ったオティムさん。
10年前に片足を失い戦線を離脱した頃の内戦の構図を話し始めました
そのころ反政府勢力はスーダンから軍事支援を受けていました。
スーダンは国家予算の多くを石油に依存していました。
そのスーダンから世界で最も石油を輸入していたのは中国。
そして第2位が日本でした。
一方アメリカは豊富な鉱物資源の獲得を視野にウガンダ政府に経済支援をしていました
インタビューを終えて帰ろうとすると呼び止められました
私はアフリカで起きている内戦が私と無関係な訳ではなかった事を知りました
何か…う〜ん…。
日本から1万1,500キロ離れたウガンダ。
そこには私には見えていなかった戦争の現実がありました
(爆発音)世界で続けられる紛争。
今深刻な問題となっているのが民族や宗教の違いによる憎悪が先鋭化したテロです。
(銃声)今年1月。
フランスのパリで発生したシャルリ・エブド事件は世界に衝撃を与えました。
武装したイスラム教徒の2人組がパリの新聞社シャルリ・エブドを襲い編集者や警察官など12人を殺害。
シャルリ・エブドはそれまで度々イスラム教の預言者の風刺画を掲載しイスラム教徒たちの反発を招いていました。
その後フランスだけでなくヨーロッパ各地で移民排斥の動きが高まるなど社会の分断が深刻になりました。
先月。
事件から半年がたったフランスを訪ねた女優の寺島しのぶさんです。
事件によって顕在化した社会の対立に心を痛めてきました。
8年前にフランス人の男性と結婚し今は3歳の息子の母親でもある寺島さん。
息子が大人になる頃には世界から対立がなくなっていてほしいと真剣に考えるようになったと言います。
(寺島)
まず私が向かったのはテロで12人が犠牲になった現場でした
シャルリ・エブド社は別の場所へと移っていました
現場には一輪のバラが献花されていました
多くの観光客でにぎわうパリの街には兵士の姿がありました
テロに対する警戒レベルは引き上げられたままだといいます
あの日テロリストの襲撃を目の当たりにした関係者に話を聞く事ができました
2004年からシャルリ・エブドで記事を連載してきた医師でコラムニストのパトリック・プルーさんです
当日テロの襲撃を受けた会議に出席するはずだったプルーさんは直後に現場に駆けつけたと言います
プルーさんにはテロの標的となるおそれがあるとして今も政府から派遣されたボディーガードがつけられていました
テロを起こした兄弟は両親がアルジェリア系移民でした。
幼い頃から貧しく孤児院で育ったといいます
フランスでは旧植民地の北アフリカなどから多くの移民を受け入れ人口の7%およそ500万人をイスラム教徒が占めるようになっています。
移民やその家族の多くが社会から阻害された暮らしを強いられています
私は多くのイスラム系移民が暮らすパリ近郊の地区を訪ねました
ボンジュール。
この地区でイスラム教徒をまとめる代表の一人ムハメッド・ヘニッシュさんです。
ヘニッシュさんは事件のあとテロに抗議するために160万人が参加したデモ行進に迷った末に参加しました
そしてヘニッシュさんは今抱いている強い危機感を語りました
一人一人は平和を当たり前に望みながらなぜ憎しみは生まれるのか。
私はヘニッシュさんの言葉を聞きながら対立を克服する事の難しさを痛感していました
世界の平和のために日本人は何ができるのか。
ここからはゲストの皆さんと共に考えてまいります。
よろしくどうぞお願い致します。
不安定化する世界が見えてきましたね。
皆さんも何となくそういうふうに感じてらっしゃると思うんですけれども国連事務次長でいらっしゃった明石さん。
ひと言で言うと今何が起きてるんですか?冷戦の時代には一応アメリカと旧ソ連という2つの強大な国があって一応うわべの上では安定してたと思います。
しかし今はそのおもしが無くなって民族問題部族の問題宗教の問題その他の問題がどっと噴き出してるんだと思うんですね。
それにお互いに隣同士で住んでいた人たちが一度仲たがいをするととめどもなくそれが悲惨になっていく傾向があるんだと思います。
例えば19世紀で一番流血のひどかった戦争はアメリカにおける南北戦争だといわれていますし第1次大戦と第2次大戦の間ではスペインの内戦が一番犠牲者を生んだというんですね。
つまり隣同士の関係にあった人たちが憎しみだすととめどもなくなるというのが現代の特徴じゃないでしょうか。
紛争とかっていうものが犠牲者が多いっていう…。
長さんも紛争の現場に詳しくいらっしゃいますけども少年兵の厳しい現実ですね。
私たち日本とも無関係という訳ではないという事なんですね。
大変恐ろしい事なんですがそのとおりだと思います。
明石先生がおっしゃったとおり紛争の性質が国家間の紛争から内戦へと変化していく中で使われる武器も大きく変化したと思うんですね。
それまでは訓練を積んだ大人しか使えない高性能の兵器などが中心だったのが内戦になって子どもでも使える兵器。
どういう事かといいますと安価で安くて持ち運びが便利でそれから扱いが簡単。
それが何かと言うと先ほどVTRにも出てきました地雷であったりとか子どもたちが皆抱えていた小型武器自動小銃などですね。
これもその考えでいきますと売る国があって誰が売っているかというと欧米のあるいは安保理のP5といわれる超大国などが中心なのですが幸い今までは日本は武器輸出をしていませんでしたので関係ないかというとそれを買う側のお金がどこから来ているかというと先ほども映像にありましたが石油を買ったりあるいは私たち誰もが使っている携帯電話の心臓部になっている部分のレアメタルというもの。
そういったものを日本でも買ってる訳ですよね。
私たちが買ったものがそういった小型武器を買う資金になっている意味で…。
私たちとつながっているという事ですね。
柳澤さん。
今の状況をどう受け止めますか?つながっているという意味で言うと今人物金が瞬時に世界にあっという間につながってしまう。
いわゆるグローバルの時代といわれています。
経済的なグローバルという事がよくいわれるんですけども今VTRで見たようにフランスの例でいうと例えば北アフリカからフランスに移民した人たちが新しい社会の中であつれきを被って新たな問題を生み出すというふうに。
つまりこれまでの問題も実は国境を越えてあっという間に広まってしまう。
例えば情報もあっという間に世界中に広がる時代になってくると次から次と問題も飛び火していくようなまさにグローバルの意味が問題のグローバル化の時代になってきているようなそんな気がするんです。
日本もそういう意味で言うと全く無縁ではないし日本もいろいろと考えなきゃいけない時代になってきてるのかなと思いますね。
こうした事態に日本は何ができるのか。
アフリカで支援活動を行っている現場を石原さとみさんが訪ねました。
世界各地の紛争の現場では多くの日本人が活躍しています。
石原さんが訪れた元少年兵の社会復帰を支援する施設も運営していたのは日本のNPOでした。
大学を卒業後紛争地で復興支援活動の経験を積み10年前にこの施設を作りました。
施設の運営費は年間1,200万円。
全て日本からの寄付で賄っています。
戦場から帰ったばかりの元少年兵の精神的なケアに加え社会復帰に必要な職業訓練をしています。
これまでに168人が社会復帰を果たしました。
元少年兵たちは誘拐される前から貧しい暮らしを強いられてきました。
そのためここでは木工や洋裁の技術など社会に出てすぐに収入を得る事ができる技能を教えています。
貧困という紛争の芽を摘む事も大きな狙いです。
元少年兵を地域で受け入れる活動をしてきた…特定の宗教に加担せず70年間戦争をしてこなかった日本の支援はほかの国の支援よりも受け入れやすかったといいます。
ハ〜イ。
2年前に小川さんの施設で職業訓練を受けた…施設で身につけた技能を生かし5人の元少年兵と共に木工所を運営しています。
ケネスさんの暮らす集落の人たちはほとんどが一日1ドル25セント未満で暮らしています。
ケネスさんは仕事のない人々に大工の技術を無償で伝えていました。
日本は50年前から農業支援を中心にウガンダに経済協力を行ってきました。
12年前からは人々の生存や生活尊厳を守る人間の安全保障を掲げ教育や医療機関の支援に力を入れています。
長期的な視野で紛争の解決を目指しています。
内戦が最も激しかったウガンダ北部カロンゴの病院です。
外科病棟なんだここ。
人口80万の地域に病院はこの一つしかありません。
この病院には5年前から日本人医師や看護師が派遣され病院の再建にあたってきました。
きめ細かく現地の目線に立って行われる日本型の医療支援が求められたといいます。
派遣された医師たちは日本の医療技術を伝えるだけでなく現地の人と話し合いながらニーズに合った病院を作り上げてきました。
Verybusy.Verybusy.長い間いましたけど…。
今年1月からこの病院に勤める看護師の伊藤万祐子さんです。
紛争や貧困で苦しむ人たちの力になりたいとウガンダに来たといいます。
この病棟では患者50人に対して伊藤さんたち看護師は3人しかいません。
時には患者の家族にも手伝ってもらい看護を行っているといいます。
この病院では紛争で負傷した人々の処置だけでなく深刻な感染症の流行の対応に追われた事もあります。
それでも日本人医師や看護師はこの病院を守り続けてきました。
厳しい現実の中日本のNPOの若者たちが頑張っていました。
若い世代はどのように受け止めたのか。
途上国でビジネスをされている山口さんは?やっぱりあれだけ過酷な状況ですごく自然体に皆さんが活躍されているのを見てやっぱり素直にすごいなと思ったのが一つと個人的にはすごく職業訓練だとか技術指導っていうのが共感しました。
それは自分自身が今現在もバングラデシュで年間の半分以上を過ごしていて工場のみんなと一緒に160人でものづくりをしてるからなんですけれどもそのきっかけが現場の人が支援も必要だけれども僕たち働きたいんだって言ってくれたり実際にリアルにお仕事っていうのが頑張れば何か自分でも未来が変えられる大きな手段だと感じるからです。
石川さんは世界を旅されていて国際貢献豊富でいらっしゃいますけどどのような事を?最後に石原さんが対国じゃなくて対人っていうふうにおっしゃっててそれにすごく共感しました。
VTRの2人も国を背負ってというよりは目の前にいる人のために尽力している。
そういうのがすばらしいなと思ってよかったですね。
この民間の支援状況は相当厳しいですよね。
どう評価できるんでしょうか?今の特に職業訓練などですけどもお仕事があれば例えば紛争が再燃しても兵士に戻る事がないとか一見今の支援だけをしているように見えるかもしれませんが将来の紛争を予防するというような役割も果たしていると思います。
それはやっぱり意味が結構ある事って事ですか?そうですね。
紛争を予防するっていうのは極めて困難な事ですけどもそういう貧困の問題とか人々の暮らしをですねより安定したより豊かなものにするという事によって間接的には紛争ができないような新しい環境を作ると。
これこそ国を中心にした安全保障の考え方ではなくて人間中心の人間の安全保障という観点だと思います。
そういうNPOの活動も含めてこの日本の支援っていうのは国際社会の期待に十分応えられているのか考えていこうと思うんですけど有馬さん企業の経営者でいらっしゃいますよね。
日本の企業の支援というのはどう評価できるんですか?よく企業はお金もうけばっかりやってると見られてるとこあるんですが実は随分いい活動をやってましてね日本企業でも3つぐらいに分けて見る事ができると思うんですがNPONGOに対して資金や物資を提供して支援を手伝う。
あるいはODA資金を使って途上国の道路橋港湾等のインフラを造っていく。
あとやはりこれが今言われる企業の社会的責任のメインのとこなんですけれども自分たちの事業の本流の中で例えばメーカーであれば途上国に展開しているサプライヤーさんの経営であるとか労働環境であるとかそういうところをよくするように指導してあげる手伝ってあげる。
そういう事をやってます。
評価はどうですか?そういう事を展開している企業の数ですとか地域の広がりですとかそういう面でこれは私の勘ですけれども感覚ですけれどもまだ山登りで言うと2合目3合目ぐらいじゃないかなと。
まだまだ…。
そういう感じはします。
今お話にもありましたけど支援の形というのはですね大きく分けると3つになります。
こちらです。
国による経済協力。
ODA政府開発援助などですね。
そして国連の枠組みで行われるPKO平和維持活動など。
そしてこれまで見てきましたNPOなどによる民間の人道支援がありこれらが連携して支援を行っています。
このうちODAを見てみますと2000年まで世界最大の援助国でしたが今ではですねこの辺り5位になっているんですね。
これどうでしょう?山口さんはどうお感じになりますか?私はアジア各国の途上国で働いてるんですけれどもやっぱりどこ行ってもこれはODAの皆さんが造ってくれた橋だよとかこれは日本が造ってくれた学校だよ。
だから国旗が飾ってあるんだよとかっていう声をすごく多く聞く。
それが日本に対しての本当に圧倒的な信頼感につながってるんだなというのをひしひしと現場では感じています。
評価高いものある。
しかしあのこの国の財政状況それから少子高齢化いろいろ考えるとなかなか難しいところもあると思いますが有馬さん。
これからのODAそういう状況の中でのODAどう考えていけばいいんですかね?今のグラフで見ても為替の問題もあってますます日本は苦しい状況になってる。
そういった中で量ももちろん増やしてほしいと思うんですがそれ以上に質の問題といいますか例えば最近のAIIBあるいはBRICsの銀行そういうところからの資金援助とのある意味で競争になっていくと。
そういった中ではODA資金の認可のスピードこれをもっと早めなきゃいけない。
そういうふうにも思いますしそれから日本のODAとしてはハードだけの競争ではなくて途上国の全体として必要としているところに日本企業の力をうまく生かしながら関わっていく。
そういう質の転換っていうものが必要になってくるんではないかなとそんな感じはします。
ここでこの方の声を聞いて頂きます。
長年国連難民高等弁務官として世界の安定に貢献してきた緒方貞子さんです。
緒方さんは日本人の海外への関心の低さを危惧しています。
今の全体がうまくいくか全体が破滅するかという指摘。
つまりねそれ運命共同体だっていう事だと思うんですよね。
先ほど私問題のグローバル化というふうにお話ししましたけれども一つ一つの問題がどこかの地域にある個別の問題ではなくて簡単に世界中につながってしまうっていう事を考えると日本あるいはほかの国というふうな国の割り方で物事を考えるのではなくてみんな一緒なんだと。
世界は一つなんだって意識で物事に向かっていかないと我々もいずれ悪い方向に行ってしまうんじゃないか。
逆にどっかがいい方向に向かえば全てがいい方向に向かうというふうなそういう考え方をすべき時代に来ているような気がします。
そういう状況の中で緒方さんは繁栄の孤島になってはいけないという言い方をしていますね。
明石さん。
私たちに何を求められているんですかね?そうですね。
柳澤さんがご指摘になったように国境の敷居が極めて低くなっていろんなものがいい意味でも悪い意味でも入ってくるし出ていくし全てがつながっているっていう事ですよね。
日本のODAに関しても確かに量的には90年代に比べて近年は比較の上では少なくなってますけども資質的にはまだまだいい面があると思うんですね。
先ほど日本のODAはきめが細かいと。
それから人間の目線で行われてると。
こういう特徴はまだ日本的な援助のよさとして認められてるんです。
スリランカなんかではまさにそうなんですけどね。
ODAの事も含めて日本の援助自体には今何が求められている?どういう事を私たちは問われてると思いますか?まず何よりも量的につまり増やす事ですね。
先ほど世界で1番だったけども5番になったという指摘がありましたけれども量的にはまあまあなんですけども国連が決めてる国民所得に比べてせめて先進国は0.7%ぐらいODAを出してほしいと言ってるのに対して日本は0.2%にも達してないですね。
アメリカもそういう問題を抱えていますけどもこういう問題を是非とも取り組んでほしいと思います。
しかしこの国の財政の状況とかもありますよね。
そういう中で日本は今後どのようにして役割を果たしていくべきか。
このあと考えていこうと思います。
まずはさまざまな分野で活躍してきた世界のリーダーに日本に何を期待しているのか聞きましたのでご覧頂きます。
サッカー日本代表の元監督イビチャ・オシムさん。
平和の大切さを身をもって痛感してきました。
祖国旧ユーゴスラビアは90年代民族対立の激化で20万人が犠牲になる内戦状態に陥りました。
内戦終結から20年がたった今も町には深い傷跡が残っています。
100年に一人の天才バレエダンサーとして世界に知られるシルヴィ・ギエムさん。
戦争そして度重なる災害を乗り越えてきた日本には大きな可能性があると感じています。
アメリカにおける日本研究の第一人者ハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授。
日本の社会問題を解決する事も世界の安定につながると指摘します。
ヨーロッパ映画界の巨匠アンジェイ・ワイダ監督。
描き続けてきたのはナチスドイツやソ連に翻弄された祖国ポーランドの歴史です。
自らの体験を基に権力に抑圧される民衆の姿を伝えてきました。
日本をモデルとするルックイースト政策を掲げてマレーシアを飛躍的な経済発展に導いたマハティール元首相。
日本の考え方をもっと国際社会に浸透させていくべきだと主張しています。
日本の特性持ち味を生かして世界に貢献してほしいというのが共通していましたよね。
特性を生かして日本人は何ができるのか。
低成長という一つの条件もありますが皆さんと議論していこうと思います。
さあどなたからいきましょうか。
先ほど明石先生からきめの細かさというお話があったのですがまずきめの細かさ。
それに加えて私は日本の強みとして中立なブランドというのがあるんではないかと思います。
世界は既に対立に満ちていて日本はその対立の当事者になるのではなくて中立な調停者というのには荷が重いかもしれませんけれど日本のよさって白黒はっきりさせないとか相手の気持ちが分かるとかやおよろずの神を信じる国こその中立な道というものもそこで貢献するというのもあるのではないかと思ってます。
(柳澤)ヨーロッパの事を考えると宗教的なしがらみっていうのは日本はやっぱりユニークな存在ですよね確かにね。
石川さんそこら辺のとこどうですか?僕日本人に何ができるかってより自分自身に何ができるかをまず考えたいと思っていて日本人っていうふうに言った時に沖縄の人はどう思うかなとかあるいは自分自身そのくくりの中になじめているかなとかいろいろ考えてしまうんですよね。
僕自身はやっぱり写真を撮り文章を書く事が仕事ですから真摯にその世界を見てきちんとその写真を撮って伝えたり記録をしたりする事が自分にできる事かなとは思うんですけれどもね。
その事そのものが貢献になっていく。
世界とつないでいくという事になるかもしれないという事ですね。
明石さんいかがですか?実はマハティールさんが先ほどビデオで出演されましたけどもマハティールさんと私は福岡県で毎年夏に行われている次世代リーダー養成塾というところで講演をしてるんですけどねマハティールさんも日本の元気な高校生と会うのを楽しみに毎夏日本に来る訳ですよね。
結構こういう日本の若者たち高校生も大学生も中学生もそうだと思いますけどもなかなか元気がいいんですね。
そういう寮のようなとこに缶詰めになって朝から晩まで侃々諤々の議論をマハティールさんとやる時は英語で私も去年からは英語でやるんですけどね…。
結論から言うと日本人は何をやるべきだと?何ができる?先ほど緒方さんが指摘なさったようにやっぱり世界を見る。
また世界に住んでる人たちと同じ目線で同じ事をいろいろ話し合う。
そういう世界を見る目をもっと広げる事。
これがとても大事だと思うんですね。
日本はいろいろいいものを作ってますけどねその技術によって知られるだけではなくてすばらしい人間がいると。
この人たちがまた自分の頭でものを考えていろんな事をやっていると。
人材人がいる…。
それって日本の可能性?日本の可能性は大きいと思いますね。
明治以来この資源のない国がねここまで伸びてきたのはやはり優れた人材志の高い人をたくさん出したからだと思いますし近年ちょっと元気がなかったように思いますけども留学生の数もかつてはアジアからアメリカに対する留学生一番多かったのは日本です。
今は4番目くらいでしょう。
そういう若い人材の一人山口さんは日本は何ができると思ってらっしゃるでしょう?正直言うと私自身日本人としてという意識を持った事はあんまりなくってですね現場で働いている中で自分の経験でしかお話しできないんですけれども何が日本的かなと思った時に私たちすごく家族意識というのが強いなって思います。
工場もやっぱり家みたいに思う。
みんなで一緒に給食食べるとか一年に1回ピクニックに行こうとか本当にミクロすぎる事なんですけれどもやっぱりそれって欧米の人たちのやり方とはちょっと違っているんじゃないかというのは感じますね。
そうすると支援のやり方またそこで求められるものもその事を考えると何か出てくるかもしれないと。
やっぱり対等な目線でというのが大事なんじゃないかなと思います。
今日本人として特に意識しないで働いておられるっていうのはとてもいい事で私もね国連で40年過ごしましたけど日の丸を背負って仕事をしたと思いません。
国連憲章と日本の平和憲法の精神は基本的に一貫してる一致してるという信念が我々を支えてきたんだと思うんですけどね。
さあ企業には何が求められているか何ができるか。
有馬さんいかがですか?私はここに来て紛争とかいろいろある訳ですけれども一方で人類共通の課題が出てきたと。
これは気候変動の問題ですね。
今年の12月にはCOP21で共通の目標が合意されますし今年の9月には持続的開発目標が国連で合意されますね。
そういう事に関して企業が短期的な収益だけを求められてる時代からもっといくつかの錯そうした目標目的を持つような事が期待されてる時代に入ってきたとそういうふうに思います。
そういった意味で日本企業はもともと人に対する手厚い配慮。
これが特徴だったと思うんですね。
それから環境に対する配慮。
これも日本企業はものすごく技術的に高い事をやってきたと。
そういう意味で日本企業が経済だけじゃなくて社会あるいは人こういう事をきちっと統合的に求めていく。
こういう特徴を日本企業は持ってたと思うんです。
これをもっともっと伸ばしていけばいいと。
そういうふうに思います。
その支援の形なんですけどもさまざまに広がっております。
アフリカの子どもたちが楽しみにしているお昼ごはん。
戦後日本の子どもたちの成長を支えた給食がモデルです。
日本のNPOが8年前に始めたこの取り組み。
これまでに3,400万食が提供されました。
その資金は企業の社員食堂から。
こちらのランチを注文すると20円が寄付されそれが給食1食分になります。
TABLEFORTWO。
2人の食卓という取り組みです。
今年4月大震災に見舞われたネパール。
被災者への食料などが日本のある仕組みで届けられました。
スマートサプライシステム。
被災者が必要としている物資をネットで公開。
支援したい市民につなぎミスマッチを防ぐ仕組みです。
東日本大震災の際必要とされる支援を届けようとボランティアが開発しました。
震災の経験も海外で生かされ始めています。
私たちの日々の暮らしには日本にいても世界に役立てるものがたくさんあるという事ですね。
例えば私もNGOの活動もしてますがこういう国際協力するのってNGOとか国連に行かなきゃいけないとかではなくて実は企業にお勤めの方だったり日々の消費者としての生活が一番国際的な事とつながる可能性が支えられる可能性もあるんじゃないかなと思います。
日常の中に我々ができる事はたくさんあるという事に意外と我々気付いてないんだなって気がするんですよね。
先ほど東日本大震災の時もありましたけれども日本もいろいろな災害の起きる国ですからそれと同じような状況が周辺あるいは世界で起きていればそこに日本から手を差し伸べるという事は自然にできる事だっていうそういう日本の持ち味の中に日本人らしさの愚直さみたいなものがたくさんあるような気がするんですけどね。
世界が一体化する時代なので自分たちは自分たちの足元を見て世界の事を考えながら何ができるかという事が問われているのが分かりましたね。
さあその事を踏まえた上で考えなくてはならない大事な事があるように思います。
一体化の一方で国の中では対立っていうのが生まれていてそれが加熱してやや懸念されるような状況もあるように思います。
寺島しのぶさんがテロに揺れるフランスで考えました。
シャルリ・エブド事件を通して社会の分断の根深さを目の当たりにした女優の寺島しのぶさんです。
寺島さんは事件以来ある違和感を抱えていました。
(拍手と歓声)事件のあと政府はテロに抗議するため市民にデモ行進への参加を呼びかけました。
パリで160万人フランス全土で370万を超える人が参加しました。
参加者たちは「私はシャルリ」と叫び連帯を確認しながら3キロの道のりを歩きました。
フランスメディアは一斉にナチスドイツからパリが解放された時以来の歴史的デモだとたたえました。
デモに参加した大学生に出会いました
私はテロに立ち向かうために団結した人々の姿をテレビで見て大きな感動を覚えました。
一方で別の感情も抱きました
人類学の世界的権威エマニュエル・トッドさんはデモに参加しませんでした
事件のあと風刺画を描いた新聞社を非難できないなど異論を許さない社会の空気を感じたからです
社会を覆う空気をこの国のリーダーはどのように感じているのか
2001年の同時多発テロのあと世界がテロとの戦いに傾斜していった時同盟すれど同調せずの方針を掲げた政治家でした
テロに屈しない事を示すためにこの広場で団結した大勢の人々
私が感じていたのは多様な意見が封じられ社会が一つの方向に向かう事の怖さでした
そうですよね。
まあ団結するって言うと言葉は非常にいい響き持ってますけど今のVTR見ててもそう思うんですけれどもみんなが一つの方向に向かわないで誰かそれと違うつまり異なった価値観とか異論があった時にそれを認めない排除するっていう方向にいってしまったらまさにこれは我々が願ってる方向じゃないなって気がするんですよ。
これ一つ考えてみるとかつて日本が太平洋戦争に突っ込んでいった時も異論を排除する事によって抜き差しならない戦争の道に歩んでいった。
それ今の時代を考えてみても例えばヘイトスピーチの話もありますし自分たちと違うものを受け入れる寛容さっていうものが我々今一番必要になってんじゃないかなって気がしますけどね。
石川さん。
9.11の時アメリカにおられたそうですね。
どう感じますか?9.11の直後にニューヨークにいたんですけどそこら中でWeare何とかとか私たちは何とかっていうメッセージが強く出されていて僕はその中に入れてもらえてないなっていう気持ちがすごく強かったんですよね。
だからWeじゃなくて私たちじゃなくてI私はとして声を上げていきたいっていうのをその時強く思ったんです。
だからそこから外れた人の事への想像力を失いたくないなってずっと思ってます。
明石さん。
どこをどうしていけばいいでしょうか?さっきのVTRの寺島さんの違和感というのを私も分かるんですけどもね欧米の人にはともするとね…ともすると自分を絶対化してしまうという傾向があると思うんですけど実は民主主義っていうのは多数決に従うという事と少数意見を尊重するという2つの面がある訳ですね。
どちらも大事なんですね。
日本人はちょっと我田引水かもしれませんけどもとかく国際的にはシャイすぎるという事をいわれますけどね相手に対する気持ち思いやりそれにおいては日本人は優れてるんで。
私は東日本大震災の時にシンガポールにいましたけど日本人は静かなる威厳を持っているという実にすばらしい表現で日本人の事をたたえてましたね。
そういう意味で日本人は持っているシャイさというものをこの非常に多面的な多極的な世界の中でうまく使えるんじゃないかと。
対話の精神。
やたらに叫ぶのではなくて絶叫するのではなくて相手の言う事に耳を傾けながら相手との心と心を伝え合うというそういうむしろ私は発言力とよくいわれますけど受信力を日本人は持ち前の受信力をうまく使って世界と調和する世界を時によってはリードする事ができるんじゃないかと。
受ける聞く方も。
(明石)聞く方が大事だと思います。
どうお聞きになりました?私は対立についてちょっとお話したいのですが対立があるのは人間が生きている証拠だと言った人がいます。
対立や紛争がないのは死人だけと。
その意味で私たち親兄弟とか夫婦とか恋人同士の間でだって対立がある訳ですからだとすると私たちにできるのは紛争とか対立のない世界をつくる事ではなくてそれがある時にそれを暴力とか武力紛争に発展させないような仕組みであったりとか信頼づくりとかモラルとかそういったものをつくる事だと思います。
対立があるっていう事は…。
常にもう前提にして。
(柳澤)対立というか異なったものがあるという必ずしもみんな価値観が一つではないという前提に立った上で相手を敬う尊重してその声に耳を傾けるっていうそこから始まるって事ですかね。
そのとおりだと思うんですね。
それでそういう能力をもっと若い時期から鍛えるっていうか勉強する。
例えば最近高校生を教えたりしているんですがそれ見ているとディベートの訓練なんかを結構一生懸命やってて上手に議論するんですよね。
彼らはやっぱり異論があるっていう事を前提に聞きながらまた反論をしていく。
そういう訓練なんかはもっともっとやるべきじゃないのかなと。
そんな気がします。
若い方の声を聞きましょうか。
このフランスのイスラム教の事件についてはすごく身近な事件だなって私自身は思っています。
その理由は一緒にバングラデシュで働いている人たちほとんどがイスラム教だからなんですね。
でも実際現場で働いてると彼らは絶対暴力反対だしすごく真面目で信頼できる人たちばっかりなんですね。
でもやっぱそういう事って現場にいないと分からない事であるっていうのは事実です。
だから私は今日すごく伝えたいのはやっぱり特に若い人たちには是非現場見に来てほしいなというふうに思うし私自身も最初は行くのはすごく怖かったですけれどもやっぱり行く事で自分の世界観がすごく広がって生きる事自体がすごく楽しくなったので日本だけが選択肢じゃないよというのはすごく伝えたいです。
ナカガワさんも外国の方…。
石川さん。
ごめんなさい。
石川さんも外国の方と一緒に山登られたりしてますよね。
どういう事をお感じになってますか?今山口さんがおっしゃったように実際にその場所に行ってその人たちと触れ合わないと対等な関係というのは築けないと。
だから敬意を持って接するというのはやっぱりねきちんと接しないといけないと思ってますから世界に飛び出ていって自分の目で見て自分の耳で聞いて自分の体で感じてきちんと自分の体を通して発言できる若い人たちが出てきたらいいなと思いますね。
石川さんありがとうございます。
聞く事受信する事が大事であるっていう指摘は大事な事だって思いましたけれど。
まさにそのとおりだと思いますね。
それと同時にやはり受信するっていう時に相手が国や宗教じゃなくて一人の人間だという事を意識してその人の声に耳を傾ける姿勢が一番大切じゃないかなって私は思いますね。
シリーズ「戦後70年ニッポンの肖像」。
番組の締めくくりは若い世代の皆さんにメッセージを用意しています。
そのメッセージを是非ご覧頂きたいと思います。
皆さん今日はどうもありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
今月アジアの若者たちが集いました。
日本や中国韓国など6か国の高校生によるアジア・ハイスクール・サミットです。
平和を実現するためにはどうすればいいか。
2週間にわたる合宿で真剣に議論します。
日本と中国の高校生たちも本音の対話を続けていました。
合宿の最後。
マレーシアのマハティール元首相が若い世代に託す希望のメッセージを語りました。
私たち若い世代にできる事は何なのか
私は元少年兵を支援するNPOの小川さんにあるお願いをされていました
社会復帰を目指す同世代の元少年兵たちのためにメッセージを送ってほしいというものでした
子どもを残して脱走して以来笑顔を失ったままのバーバラさんも来てくれました
私はウガンダ北部の言葉で思いを伝えました
合ってる?
施設のみんなが伝統のダンスを披露してくれました
バーバラさんが輪に入れず一人様子を眺めていました
バーバラさんが初めて笑顔を見せました
この70年私たちは多くの犠牲を礎に平和な道を歩いてきました
しかし世界では今も多くの人が紛争に苦しんでいます
傷ついたこの世界のために何ができるのか
今私たちは未来に向けて新しい一歩を踏み出していきます
(テーマ音楽)2015/09/13(日) 01:45〜03:15
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像 −戦後70年を越えて−[字][再]
「戦後70年ニッポンの肖像」今回は、女優の石原さとみさんや寺島しのぶさんが激動の世界を訪ね、未来の平和のために何が出来るのか見つめます。
詳細情報
番組内容
シリーズ「戦後70年ニッポンの肖像」。今回は、ポスト戦後70年に日本人は世界のために何ができるのか考えていきます。世界中で紛争がたえなかったこの70年、女優の石原さとみさんは、内戦が続くアフリカを訪ね戦争の現実を見つめます。寺島しのぶさんは、テロ事件の余波が続くフランスで、どうすれば対立を乗り越えられるか考えました。さらに各界で活躍するゲストを招き、未来を展望します。
出演者
【リポーター】石原さとみ,寺島しのぶ,【出演】元国連事務次長…明石康,富士ゼロックス元社長…有馬利男,立教大学教授…長有紀枝,冒険家・写真家…石川直樹,マザーハウス代表…山口絵里子ほか
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番
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