ここは世界でも珍しいまさに驚きの大地です。
実りの秋
そして食欲の秋
食べ物のおいしい季節がやって来ました。
食べたいものは何でも手に入る時代。
私たちの周りはたくさんの食べ物であふれています
(取材者)現代の日本の食っていうのは豊かだと思われますか?思います。
すごい思います。
何でも手に入りますよねうん。
焼き肉食べたりすし食べたり。
自分の健康に合ったものをより取り見取りで頂きますけどね。
輸入すればなんぼでも買える時代ですからね。
そういう意味では飽食というのは続いていくでしょう。
しかし日本の食は本当に豊かといえるのでしょうか
今日本は世界有数の食料輸入大国。
実に6割以上を海外に依存しています。
その陰で年間600万トンを超える食べ物が食べられるのにもかかわらず廃棄されています。
一方で農業や漁業など国内の食料生産を担う人の数は減り続け食料自給率も減少の一途をたどっています。
そして押し寄せる更なる自由化の波
日本の食はどこに向かおうとしているのでしょうか
NHKには戦後30年余りたった1977年食をテーマに制作された番組があります
ヤミも買い出しもできない人たちは…
戦中戦後の食糧難。
その後高度経済成長を経てやって来た飽食。
2つの時代を経験した当時の著名人20人に食についての思いをインタビューしています
例えばねもう食べる物に関して私の年代の人たちってみんなそうだと思うんだけれどものすごくやっぱりガッツガツしてるのね。
今食べちゃわないと大変じゃないかとかね。
我々のね味に対する感覚と全然違いますねもう。
食事にね興味がないっていう人多いんですよ割と。
「おそ松くん」のテーマもやはりほとんど食い物なんです。
食べ物に困ったそういう経験がですねまだ残ってる。
ああいうおなかがすいた惨めったらしい思いはしたくないっていう事と一度ぐらい人間おなかすかしてみた方が人間らしいんじゃないかっていう気持ちと両方あります。
「シリーズ日本の食第1回」。
時代とともに変わり続ける食への意識。
本当の豊かさとは何なのか考えます
こんにちは。
実りの秋がやって来ました。
「NHKアーカイブス」では今月「シリーズ日本の食」と題して3回にわたって食をテーマにしたさまざまな番組を見てまいります。
1回目の今日は私たちにとって豊かな食卓とは何なのか。
ふだん何気なくとっている食事についてちょっと立ち止まって考えていきます。
では早速お二人のゲストの方にお入り頂きましょう。
どうぞ。
東京大学名誉教授の養老孟司さん。
昭和12年のお生まれで農業や漁業に関する著作もおありです。
どうぞよろしくお願い致します。
どうぞよろしくお願いします。
そして女優の秋元才加さん。
昭和63年のお生まれという事ですから今20代後半でいらっしゃいますね。
はい。
今日は若者代表という事でよろしくお願い致します。
お願いします。
早速ですが秋元さんやっぱり女優さんというと食にはかなり気を遣っていらっしゃるんじゃないですか?そうですね食べる事もすごく好きなんですけれども食には特に大事に気を遣っていて野菜を多めに素材を生かした薄味で頂くようにしてます。
秋元さんの世代っていいますとまさに飽食の時代…。
そうですね。
ず〜っとね生活していらっしゃいますよね。
日常的にそういう事を感じられる事ありますか?そうですね私の友人がやっぱりコンビニエンスストアなどでバイトをしてたりするんですけどやはりまだ食べられるのに毎日毎日大量の廃棄があるっていうのを聞いていて「もったいないな食べれるのに」って…。
まあ食いしん坊なんですよ。
ちょっと思ってしまうところもありますね。
養老さんはえ〜っと8歳の時に終戦を迎えられ…。
そうですね小学校2年生ですね終戦がはい。
そうすると戦中戦後のいわゆる食糧難の時期に成長期を迎えられていらっしゃったんですよね。
どんな感じ…。
僕らはね食べる物あればいいっていう感じだったんですよね。
だから人によく言われるのは食べるのが速すぎるっていう。
もう最近はさすがに歯が悪くなったんでゆっくり食べてますけど。
でもねやっぱりクラスでも…そうですね昔の事思い出すと1番か2番とか猛烈に速かったですね。
気が付くと「あら飽食の時代だ」というような瞬間って何かご記憶ありますか?自分の子どもがね学校へ行きだして。
帰ってきたらおなかがすいてるものっていう頭がある。
違ったんです。
…といいますと?学校から帰ってきた子どもがおなかがすいてないんですよ。
常に満腹の食事が…。
そうなんです!とれているっていう事ですよね。
そうなんです。
次の食事の時間まで食べ物が要らないんだなっていう。
これはまさに時代が変わったんだと。
その「飽食の時代」という言葉なんですけどもいつごろから使われたのかなと思いますとやっぱり外食文化ファストフードですとかファミリーレストランそれが浸透してきた1970年代ではないかというふうにいわれているんですね。
で今日これからご覧頂きますのもその70年代に制作された番組です。
政財界や芸能界など当時の各界の著名人の方20人に食についてインタビューしています。
皆さんに共通しているのは食糧難の時代と飽食の時代2つの時代を経験されているという事です。
では…。
ご覧下さい。
この番組は飢えを体験した世代から選んだ20人を回答者としたテレビアンケート「日本人の食卓」です。
あなたは食べる事にどのような関心がありますか?例えば食べる物に関して私の年代の人たちってみんなそうだと思うんだけれどものすごくやっぱりガッツガツしてるのね。
ですから例えばね昔「若い季節」ですとかね「夢であいましょう」の番組やってる時に出演者全部で中国料理屋さん行って割り勘で一緒にお金払ってバ〜ッと食べて本番っていう時があったんですけどこういうふうに行くとね大体私なんかパッと見るでしょ。
でこうエビを見るとねもう自然なうちにねこの人数でこのエビだと一人4匹ぐらいずつ食べれるってこう思う訳。
「一人4個ずつ」ってこういうふうに言う訳私が。
そしたら渥美清さんがね「何だか中学生と飯食ってるみたいだな」ってよくおっしゃいましたけど。
そんなふうにやっぱりもうちょっと多いとか少ないとかね今でも時々母がね「いっぱいあるんだからいいじゃない」って言うんですけどやっぱりとっても…食べる事はやはり…今食べちゃわないと大変じゃないかとかね。
あなたは子どもの頃十分に食べていましたか?情けない時代に生まれちゃったんだね。
何でもおいしかったね。
好き嫌いなんて言ってる時代じゃなかったんでね。
だから…食べながらまことに申し訳ないけど本当にその当時このウナギがもしあったらね。
ああ…本当に。
こんなうまいウナギがね食えると思うと本当に夢みたいね。
あなたはどうして食べていましたか?う〜んあ…。
田舎が農家だからね割合にいいんですよ。
まあしかし一生懸命ね家内がリュックサックしょって買い出しに行くとかねそういう事はしましたけどね。
まあその空腹でだなどうも飢えを感ずるとかそういうのはなかったね。
その時あなたは何を食べていましたか?労働組合の幹部でこの…あれは…ヒルトンホテルの下に…山王ホテル行ってみたんですよね。
その時にまあ「食いたいものを食え」と言ったんですよね。
アメリカのまあ…占領軍の方から。
食べてみたけどあの〜…こんなまずいものをアメリカの兵隊と将校は食ってるんかなと思ってね。
あなたは何を食べていましたか?飢餓体験があなたにもたらしたものは何ですか?あの〜いい事は何を与えられてもねこうおいしそうに見えるって事とねそれから食べなくてもある程度平気だっていうね腰の据わり方はありますね。
それはあの〜あらゆる事にいい面と悪い面がありますけれどもああいうおなかがすいた惨めったらしい思いはしたくないっていう事と一度ぐらい人間おなかすかしてみた方が人間らしいんじゃないかっていう気持ちと両方あります。
飢餓の時代が来ると思いますか?来年再来年であるか5〜6年先かは別としてね少なくとも10年以内に起こるぐらいの事がごく当たり前であってねならなければ幸いなんです。
それがね「今世紀末になったらどうだろう」なんてそんな悠長な問題ではないですね。
要するに「人口がこんなに増えたら」とかそんな状況とは全く別なんです。
飢餓の時代が再び来ると思いますか?来るでしょうねそれは。
来て少し人口が少なくなるという事情はあるだろうと思いますけどね。
それでもいいんじゃないかっていう気がしますけどね。
あなたはどうしたらよいと思いますか?そりゃしかたないんじゃないかと自然現象ですからね。
もう人間はバカではないから対応策を出すでしょうけどもそれでもやっぱり自然に生きる動物の一種なんだという事をそこで改めて教えられればそれで大変いい教訓なんじゃないかっていう気がしますけどもね。
だから今は今でいいと。
私が最もおなかをすかせてた時期というのは昭和19年の6月からです。
サツマイモを真っ二つに切ったやつにごはん粒がまぶしてあるというそういうごはんを食べさせられたけどそれを食ってる時には下痢がず〜っとこう止まらなかった。
そして空腹感が続いてたっていうふうに思いますね。
この買い出し風景の中に焼け跡の光景を空の米びつをそしてたんすの中から消えていった一枚一枚の着物を思い出す方もいらっしゃる事でしょう。
多くの日本人にとって食べる事が生きる事につながる時代でした。
食べ盛りの時期にこの食糧難と出会ったのが飢餓世代と呼ばれる人々です。
今日風はまだ冷たいですがそぞろ歩きにオーバーを脱がれた姿の多い銀座通り資生堂前。
マイクは相変わらず黒山の人だかりに囲まれております。
早速皆さんのご意見を伺いましょう。
もう31年も前の事でしょうか。
そうですあの終戦の翌年昭和21年の5月30日でした。
所も同じこの銀座7丁目の資生堂の前で第1回の街頭録音が行われた訳です。
まあその時私もちろん司会者でございましたけれども第1回のテーマが「あなたはどうして食べていますか?」という事です。
ちょっと唐突に聞こえますけれども当時はまあ1,000万餓死という事が真剣に心配されていた時代でございましたのでまあ「あなたがどうして食べていらっしゃるか」そのいろいろのお答えを期待して立った訳でございますが。
奥様あなたはどうして食べていらっしゃいますか?「どうして」ってどういう意味ですか?ご隠居様あなたはどうして食べていらっしゃいますか?私は…まだ時々前の会社の仕事を手伝ったりなんかして。
はい。
あなたはどうして食べていらっしゃいますか?「どうして食べてる」?どういう意味かしら?あなたはどうして食べていらっしゃいますか?え?あなたはどうして食べていらっしゃいますか?食べて…食べてるって…食べなきゃ生きていけないから。
あなたはどうして食べていらっしゃいますか?は?あなたはどうして食べていらっしゃいますか?何をですか?ヘヘヘ。
お分かりにならない?そういう質問では。
何しろ配給は少ない事でございますので「あなたは一体どうして食べていますか?」と伺いますとまず「すいとんを食べてる」とか「家庭菜園でいろいろ作ったものを交ぜて食べている」とか「買い出しに月に何回行く」とかそういうまあ本当に厳しい生活がそのままにじみ出ておりました。
まあカボチャを植えてそしてそれをごはんに交ぜて食べるなどという方はまあいい方でございまして大抵は雑草の草をおかゆにして食べているというような答えも戻ってまいりました。
あなたの食糧難時代の体験をお話し下さい。
記憶としての飢餓の体験を人に伝えるっていうのはとても難しいんですよね。
涙が出てくるみたいな感じだし不安感が出てくるし。
本当にその自分の存在が日一日と希薄になってるようなおびえを感じた事ありますけどね。
あなたは何を食べていましたか?子どもがリンゴを食べてたんですね。
でリンゴっていうのは当時あの歌でも言われるように一種の貴重品っていいますかね。
でも子どもがそれ食べてるんで僕はそれをかっ払った訳ですよ。
つまりリンゴっていうのはもうぜいたく品だからそんなものを食ってるやつからかっ払ったって構わないようなまあ僕自身に弁解があった訳なんだけど。
それかっ払って逃げて食べたらねそれがリンゴじゃなくて生芋だったんですね。
お芋の皮をむいてそれを子どもがかじってたんですね。
もちろん芋だって貴重なもんなんだけどねこっちはリンゴだとばっかり思っててリンゴにまつわるつまりかつての記憶などをね一応よみがえらせながらかじったところが芋だった時は子どものものをかっ払ったという事もありますけどね。
その〜何て言うか…口に含んだものの分の吐き出す事もできない飲み込む事もできない。
ある時期から僕はもう盗み始めたからね。
生きるためならこれはしょうがないだろうと思って野荒らしもやったし窃盗もやったしね。
けんかして人のものをとるとかね。
あなたの食糧難時代の体験をお話し下さい。
私は戦争中はほかの方たちとちょっと違って女優をしておりましたからね戦争中は陸軍海軍の慰問なんかが多かったんです。
でまあ慰問に行くとそのお礼に大変ごちそうして下すって。
で今度戦争が終わってからは進駐軍が来ましたね。
そしてすぐにアーニー・パイル今の東宝劇場で歌歌ってたもんですから今度は進駐軍からの差し入れでなかなか潤っていたんです。
だもんですからまあほかの人たちは大変困ってらしたのに私はね時々おいしいものを頂いてちょっとこういまだに後ろめたいような気がするんですよ。
あなたはどうして食べていましたか?どこのご家庭でもみんなおなか減らした事は間違いありませんが。
僕なんか毎日裁判所へですねお弁当を持って出かけた訳ですよね。
で平気でお弁当食べてたんですが。
ひょっと気が付いてみますとね家内はあるものをみんな僕のお弁当にしちゃってそしてスルメかなんか毎日毎日かじってたなんていう状況で。
そのために結局栄養失調で肺病になっちゃったなんていうね事がありましたぐらいで。
それからもう一つは子どもなんかが困りましたねえ。
これは終戦直後ですが米軍がやって来てねご近所でのいわゆるパンパンの女の人がね僕の娘にチョコレートくれたの。
初めて口に入れたら途端にほき出しちゃってね。
味を知らないでしょ。
その後すっかり覚えたと見えて「お父ちゃんがGIでお母ちゃんがパンパンだといいね」って言われたのを今でも覚えてますよ。
今の食生活をどう思いますか?そう…我々のね味に対する感覚と全然違いますねもう。
いやねむしろ恵まれてないんじゃないでしょうか。
あのね幅が非常に狭いような気がしますね。
むしろねぜいたくじゃないと思いますね。
僕は気の毒だと思いますよ。
だってそれほどのもの食べてないでしょう。
「飽食乱食」って言ってもね結局ねあの〜…。
お味の方をお願い致します。
はい。
ん!おいしい!見てるとね食事に興味がないっていう人多いんですよ割と。
それで…小食になりましてねしかも非常にカロリーが高いもん食べてますでしょう。
食べないのにね太ってきて腹いっぱいね食べる楽しみみたいなものを知りませんしね。
僕は気の毒だと思いますね。
今の食生活をどう思いますか?何だかんだでね一日1回はラーメン食べますね。
これ食べる人少ないんじゃないかな。
大体の人これ残すみたい。
鳴門巻きっていうんですか?でこれが入ってないとラーメンじゃないね。
おかしなもんだな。
あなたの食糧難時代の体験をお話し下さい。
まあ僕たちだけじゃなくてみんな飢えてましたからねそれの後遺症っていうのはず〜っと続く訳ですけども。
僕が漫画家になろうと思いまして漫画の勉強してる時にですね僕がすごく影響を受けた人で手治虫先生と杉浦茂っていう人がいた訳ですね。
杉浦茂っていう人はもう当時昭和20年代の前半辺りからねもうすごいナンセンス漫画を描いてた人なんですけども。
そのテーマっていうのがね大体食い物の事なんですよ。
それで主人公の名前もねえ〜っとその…コロッケ五えんのすけとかねちくわあなのすけとかねおでんくしのすけだとかねがんもだとかねいろんなそういう食べ物の名前が人物の名前になってる訳ですね。
それで漫画の中で「おこわ食べたい」とかね「ギョーザ食べたい」とかねちゃんと絵で吹き出しがありましてねその中にちゃんときれ〜いにねその食べ物の絵が描いてある訳ですよ。
そういうの見てね僕「あ〜うまそうだな」っていうね読者がそう思った訳ですけども。
そのころっていうのはもうとにかくまだまだみんな食い物っていう食べ物に対して非常に意地が汚いというかね執着がありまして。
僕がそれで漫画家になって「おそ松くん」という作品を描く訳ですけどもその「おそ松くん」のテーマもやはりほとんど食い物なんです。
6つ子がおやつ奪い合ったり。
チビ太っていう子どもが出てくるんですけども。
これがいつも手におでん持ってたりですね。
そういうとにかく当時の読者ですね小学生なんかもまだ昔ちっちゃ〜い頃生まれたばっかりの頃の食べ物に困ったそういう経験がまだ残ってる。
食糧難時代にあなたは何を食べていましたか?やっぱり朝は大体もうサツマイモが主食でそれであとまあ岩塩付きですね。
で雑炊が出たり出なかったりですね。
従ってそれ食べて学校に出かける訳です。
もうその前に大体4,000〜5,000メートルから5,000〜6,000メートル泳ぎますかね。
朝大体4時半ごろに起きまして。
それで朝の食事が7時ごろですか。
その間にもう泳いでそれで今言ったサツマイモあるいは時折雑炊ですねこれ食べて学校に行く訳ですね。
で学校への弁当は大体サツマイモ2本か3本ですね。
これに岩塩付きで。
まあ雑炊持っていく訳にいきませんので。
それから今度は帰ってくると練習がある訳ですね。
で練習やって夕食が6時半か7時ごろですね。
でこれは大体雑炊が多かったですね。
雑炊じゃない…トウモロコシの焼いたものだとかすいとんですね。
(実況と歓声)古橋選手が世界記録を出したこの日お米は初めて1か月分まるまる配給になりました。
(実況と声援)あなたにとって忘れられない食べ物は何ですか?プールの中にいるガマガエルですね。
当時はまあ水がもうクリーナーも何もありませんから相当汚れてるしまあガマガエルの巣だったんですね。
でそのガマガエルをバケツで捕ってきてそれで皮をむいてしちりんで肉を焼いて食べまた臓物はみんなしちりんであぶって食べたんです。
これが唯一の当時の動物性たんぱく質と称してみんな喜んで食べてた訳ですね。
やっぱり長い距離を頑張って泳いでますとやっぱり力抜けはしますね。
だからできるだけその当時は自分でよく節制をしてなるべく力が泳ぎの方に充実できるように外では力を…要するにロスしないようにですねそういう節制は自分でやっぱりやってましたね。
あなたは近い将来飢餓の時代が来ると思いますか?飢餓の時代をね恐れる事ないと思うんです。
多分最悪の飢餓状態ってまあこれだけ世界が仲よくしていけばねありえないと思いますがね。
もし来るとすればあなたはどうしますか?多少来てもね乗り切れますよその覚悟があれば。
慌てる事ないと思いますね。
あなたはどうして食べていましたか?僕は戦争中もねヤミやってませんよ。
もうとにかくあるものを食べりゃいいんだから。
カボチャを食べたりいろんなもんを食べてちっとも…。
そりゃ栄養分が十分であったかどうか知らんけども死ななかったもんね。
ヤミはやってませんよ。
あなたは何を食べていましたか?野戦砲兵学校野砲校の小便汁っていいますけどねおしっこ色してる訳ですよ。
それからこうその中に大根をこうブツ切りにしたのが…。
ブツ切りいうたって薄切りですね。
それをこう見ると透き通って向こうが見えるようなそういうものが…「貴様は3切れ入ってる。
俺は2切れしか入ってない」というようなまあ取り合いですからね。
そういう事でみんな目方が減って痩せてくる。
まあ痩せて目方が減ってくる訳です。
ですからむしろ区隊長なんかから「高田候補生たるんどる」てな事言われたけどもうたるんでる訳やないんでね。
ず〜っと当たり前なんで。
あなたにとって忘れられない食べ物は何ですか?進駐軍がね私の住んでた田舎のとこ国道1号線っていうのがあってそこを進駐軍がず〜っと進駐していく訳ですが。
チョコレートとかチューインガムを子どもたちに投げていく。
でそれを拾った子どもたちからほんのまた数ミリのかけらをね分けてもらってなめた時のチョコレートの味っていうのが今でも忘れられない。
つまり味覚っていうものがね…食欲は満たされてもそれが非常にまずいものであって飢餓体験とは言えないけれどもいわゆる味覚音痴っていいますかね。
本当においしいものは食べた事がなかったっていうふうな意味でのね飢餓体験らしいものを非常に強く思い出しますね。
あなたは飢餓の体験をどのように伝えていますか?まあそういうのは難しいなあ。
今ねあの〜まあ当時をしのんでね戦後を。
まあよく皆さん知ってるようなこのすいとんね。
これほどまあいい材料を使わなくてもいいんだけどね。
まあ有り合わせっていうかいろんな野菜をねこう入れていく訳よまずね。
これ専門じゃないからね俺はね。
こうね。
それでちょっと味見てね。
うまいねこれは。
こりゃいい味出てる。
まあ大体すいとんっていうのはまああれだね。
メリケン粉の練ったやつをこの野菜の汁の中へ入れて煮るという一番経済的なもんだねこれはね。
バターも使わなきゃ何にも使わない。
で水だけ飲んだという事はないけれどね。
やっぱり人間っていうのは何か食べなくちゃいけないし栄養もつけなくちゃいけないだろ。
でねやっぱりラバウル時代にねやっぱりあの〜一番やっぱり感じたのはねもう楽しみも何にもない訳だね。
それであれだよね。
やっぱり食べるのが楽しみ。
大体浮いてきたね。
分かる?こう。
こういうふうに浮いてきたらばもう大体火が通ってる。
こうね。
大体このぐらいの丼食わなけりゃやっぱり満腹感がない訳だね。
うまいね。
う〜んそれはねやっぱりあんまり物を大事にしないとね必ずやって来るね。
日本の穀物自給率はこの15年間でほぼ半分になりました。
この数字はヨーロッパで一番穀物自給率の悪いイギリスの65%をはるかに下回っています。
あなたは再び飢餓の時代が来ると思いますか?私はもう目の先まで来とると思います。
私やっぱり来ると思う。
来ると思いますね世界的に。
僕の考えでね日本のこの国で自給自足っていうのが果たして本当にできるのかどうか。
まあ私はね戦時中のような意味での飢餓の時代は来ないと。
「来ない」とは誰も責任持ってくれない訳ですよ。
これは当然ね世界的な観点から見ても来るでしょうしね。
いや来るでしょうね。
すぐには来ないと思いますけれどもね。
私はそういう実感はあまりないんです。
食糧の欠配遅配は今や全国の大都市を襲いヤミも買い出しもできない人たちは毎日雑草を食べてその日を暮らしている始末です。
一方各地には隠匿された食糧がまだたくさんあると見なされ「配給の組織を正して早く公平に食わせろ」と各地の民衆は一斉に立ち上がりました
ようやく戦争が終わりほっと一息ついた人々の食卓は極度に貧しいものでした。
当時の日本人の体重はそれまでより1割も減りました。
更に17日には京橋区でサラリーマンや商店員までも立ち上がりました
当時の人々にとって現在の豊かな食卓は考えも及ばない時代だったのです。
質問を続けます。
残飯を出す事はあんまり平気で生きてますわな残飯を。
もう食堂なんか行って若いお父さんやお母さん方が自分で頂くからごはん取ってはる訳ですよ。
それ2/3ぐらいねその〜残してますわね。
ですからもうああいうの見たらもう怖うて怖うてかなんです。
怖うて怖うて…。
「怖うて怖うて」て分かりますかいな?「恐ろしくって恐ろしくって」っていう事。
怖いです。
私なんか小ちゃい時にごはん畳の上落としても必ず拾って食べさせられた。
そして生のばい菌ついてある足の裏にくっついたような…。
「病気になって死んだらどうするんだ!」ってな事で子ども心に理屈言うたら親の方が「死んでもよろしい。
頂きなさい」って食べさせられたですね。
そして今なら畳の上じゃないお膳の上に落としたごはんを子どもが拾って食べているその姿見て親の方が「食べたらいかん!そんなん食べたらばい菌ついてます。
衛生的に悪いです。
およしなさいったらおよしなさい」ちゅうて怒ってはんねやからね。
何が「およしなさい」やと。
かえってばい菌ついてあるもん食べさせといた方が体に抵抗力と免疫性が出来てなおいいじゃないかと。
ですからねこれ本当にね飯は食うもんじゃない。
飯は食うもんじゃない。
ごはんを頂くもんだという事を。
そして私はねこういうものをね必ずこれ持って歩いてるんです。
これお茶の方では残滓入っていうんですけども。
こういうようなものですね。
でこれをこういうようにしてでここへこう入れて。
私はね決してお茶人ではないけれどもね。
でこれこうして。
でこれちょっと汁物であればこれ硫酸紙という…。
これで包んでそしてまあ持って帰ってくるんです。
こういうように日本では昔から残ったものはね残飯にしないで頂いて帰りましょうと。
私は息子に…ってもう息子は22にもなりましたので今更教育できる年じゃないんですけどやっぱり人間の根本からね押さえるべきだと思うんです。
といってもまあ自分で着るものから食べるものから作るっていってもそうはいきませんけども私はよく笑って言うんですけども穴をね人間が掘れなきゃいけない。
穴を掘るっていうのは作物を作る時も穴掘りますしそれから家に類似したものね防空ごうでもいいですしそれから仮の何かでもいいです。
とにかく穴が掘れなきゃいけない。
これは人間が死んでもね埋葬のために穴を掘る。
いろんな形でそういう穴を掘るって根本的な技術…。
それからあとは走れたりですね泳げたりですね非常に原始的でいいんですけどそういう事ができないとねやっぱり人間じゃないような気がするんですね。
私は出たものは全部食べる。
刺身のつままで食べるってこういう主義です。
だからそれはおのおの嗜好があるだろうけども。
イワシなんていうのは取れ過ぎてトラックでどんどん運ぶ時にこぼれても拾えてかないって…。
そしたらどこへ持ってくかいうとハマチだとかウナギの養殖に食わすんだ。
イワシは食わないのね。
僕はイワシの方がおいしいねハマチよりも。
ハマチを1キロハマチを養成するためには8キロも10キロもやらないとハマチは育たないんだね。
イワシを頭から尻尾まで骨ぐるみ食べた方がはるかに栄養がある訳。
おいしいで。
例えば日本料理にしてもね例えば日本人がえ〜日本で食べているフランス料理にしてもおいしいものとおいしいものじゃないものの区別が日本人につくんだろうかっていう…。
肉を食べてるんであってね料理を食べてないっていう気がするんですね。
で料理っていうのは肉を素材にしておいしい味覚を作り出す事でしょ。
フランス料理っていうのはもちろんそれに生命を懸けてるし日本料理にしてもね微妙なやはりそういう味覚あるいは日本料理の場合には器からねマナーまで含めた一つの味覚の美意識がある訳でしょ。
そういうものをね日本人が僕は果たして今持ち続けてるだろうか。
今日は何グラム食べたとかね。
あるいは昼は野菜を食べたから今度は何にするっていういかにもねカロリーとか量とかね。
それは僕はね文化としての食事じゃないって気がするんですね。
主人に料理をしてもらうとカエルが入ったり…。
何が入れるか入るか分からないって言うんですよ。
それでもう一切お断りしてるのね。
ダシになる。
デンデンムシやらね。
(取材者)日本に帰ってきてからですか?そういう時代が来た時に誰がどういう人たちが生き残れるか。
それ僕もこの間ね野坂昭如さんと話したんだけどお前と俺は絶対生き残れるなって。
なぜかっていうとそういうね何でも食えるねそれをどういうふうにして食おうかっていう工夫ができるっていうね。
やっぱりそういう体験してきてますからねもう本当のまずいものでもね…。
今はおいしいもの食べたいですよ。
だけどそういうまずいものでも何でも食えるっていうね自信がありますからね。
完全に生き残れるとは僕は思いますね。
情けないかな本当に食いたいもの食えないから絵に描いて楽しんでるっていうだけで。
だからほら小さい時分そうだと思うけど自分の履きたいもの着たいものってのを絵に描いて…。
そういう夢はないのね。
着るものとか履くものとかそんなもんじゃないのもう。
夢は絶えず食い物へいっちゃう訳。
だから白米のお握りを粒々を1つずつ描いてねのりを巻いてみたりね。
お友達と立ち話してたんですよ。
そしたらそこへねちっちゃい女の子が手にサツマイモのふかしたの持ってね私とお友達の話してるそばのこういうね木の上置いたの。
私あの子ここへ置いてったけど戻ってくんのかしらそれとも戻ってこないなら私食べちゃおうと思ったの。
その子そこ遊んでるんですよね。
もしこれ私戻ってきたらば泥棒になっちゃうし食べちゃおうかと思ったんだけどあの子が戻ってきたのも困るしと随分思ってね本当にね手がねここまで行ったんだけどやめたらその子ぱっと戻ってきて食べたのねそのちっちゃい子が。
だから食べないでよかったと思いましたけどやっぱりそのぐらいねやっぱり食べ物については…。
ですからね何て言うんでしょう朝起きた時今日何食べようかななんて思うのは日常ですしね今はやっとそういう気なくなりましたけどもう先ね私死んだら何が一番残念かなと思った時にね私は死んだのにみんなどんどん何か食べてるんだと思うと悔しいなってすごく思った事があるのね。
だからそんなにまで影響…。
もう三十何年もたつのにと思いますけれども。
人間の命なんてのはしたたかなもんですからそう簡単には餓死しないと思いますけども餓死するとするならばそれは年寄りよりは子どもたちの方が早くさっさと死んでしまうでしょうね。
年寄りは割としなしなと生きてるんじゃないかとこう思いますけどね。
これはナスのゆでたもんでしょ。
これは大根のねゆでたものですよ。
刻んで。
そういう…。
野菜をいろんなものをこうやってこのおつゆの中へ入れるんです。
百姓だからね。
(取材者)おいしそうですね。
そうですか。
(取材者)はい。
そら飢餓時代っていう事はないでしょ。
工夫すればですねおなかいっぱいは食べられますよ。
う〜んとにかくお米余れば…。
有り余るほど食べられるでしょ。
今は空き地がいくらでもそこら中あるんですから。
というよりもね僕は今現代における飢餓の問題…。
例えば今飛行機がねハイジャックされましたけどあのダッカ。
あの〜ダッカの研究所の教授がこの前見えたんですよ。
で一緒にお食事したんですがねもうふた言目には羨ましい羨ましい。
私なんか自分のうちを出て研究所行くまでの間にね飢え死にして道に倒れてる人に何べんか蹴つまずきますよっていう話してるんですよね。
そうすると将来の飢餓だけじゃなくて今も地球のどっかでね罪なくしてものすごい飢餓に襲われてる人たちがあるんじゃないだろうか。
私たちがもし食べ残すものがあったらなんとかそういうものを回してやるぐらいな気持ちになれないだろうかっていう気が致しますがね。
現代の今の飢餓…アフリカでもぼろぼろ倒れてるでしょ。
「栄養失調による死亡者いわゆる飢餓衰弱死が最近ようやく各大都市に目立ってきました。
そして当面の重大な問題の一つとなりつつあります。
東京・世田谷の新生活集団では6月下旬から厚生省公衆衛生員の手でこの栄養失調病の医学的な調査が始められました。
皮膚の下の脂肪状態体重握る力肺活量ここの児童は主として戦災者。
そのほか生活に苦しむ人たちの子弟だけに特に栄養不足は著しく現れているといわれます」。
「吹いて吹いてうんと吹いて。
よろしい。
1,410」。
「兄さんもみんな痩せてる?みんな痩せてる。
それで兄さん進駐軍へ行ってつらいって言ってる?食べたものは全部吸収されるよ。
よくかんで食べなくちゃ駄目ですよ。
58.9。
59.9。
はい」。
「人間が生きていくに必要な栄養量を食べ物からとる事ができなくなるとこうして極端に痩せます。
自分の体の一部を栄養に代えて食いつぶすからです。
一方顔はむくみまぶたは腫れ同時に手や足が水膨れのように腫れ上がる人もいます。
これがいわゆる戦争むくみです」。
「子どものうちには同じようにおなかが異常に膨れ上がるのもよく見られます。
この戦争むくみの原因は血液が変化するためといわれ…」。
(取材者)奥さんいかがでした?はい。
自分の子どもには絶対にさせたくないっていうように思いました。
悲惨ですね。
餓死っていうのは本当にもう耐えられません。
私は終戦っ子でございまして私自身も物心付いた時にはあのような事は覚えがございませんし食べ物の苦労というのも全く知らないで育ちましたしとっても想像がつかない事でやはりテレビとか映画で見るだけでございましてあんなのが日本にもあったんだなという事ぐらいしか感じません。
今でもバングラデシュとかビアフラとか写真見ますね。
同じようなおなかの膨れた子ども。
何かあんまりふだん全くそういう事を考えずにね食生活してましてね今のフィルム見ましてもとにかくすごく自分たちもったいない事してる部分が多いなっていう事を思いました。
一番感じましたのは私の子どもがああいう時代に生まれてなくて本当によかったと思います。
私自身はやはり母によく聞いておりましたけれどもおやつも何もなくていつもおやつ代わりにおたくあんをいつも口にくわえさせられてたっていうような事で…。
子どもにはそういう思いをさせたくないと思います。
焼けてしまって保護者がいなくなると14歳と1年4か月の妹だけでしょ。
であっという間につまり飢えちゃった。
で妹は8月の22日にね戦争が負けて1週間のうちに飢え死にした…。
直接の病名は急性腸炎っていう名前だったけどこれは完全栄養失調だと。
だからその時の事とやっぱり絡み合っちゃってるもんだからね。
僕は自分の子どもとかあるいは自分の子どもに限らないけどもどうもまともな大人としてのね見方ができない訳。
だから2か月とちょっとぐらいでさそれまで本当にふくよかなね女の子だったのが骨と皮になっちゃった訳でしょ。
だからちょっと目を離してると自分のうちの娘もほかのうちの子どももそうだけどあ〜っとああいうふうになっちゃうっていう…。
子どもってのは確かに「またしばし」がないですからね。
だからそういう恐怖感があるわ。
これは下手すると過保護の状態になってみたりさ。
だから子どもの正常な発育のためにはそういう変な記憶持ってる親っていうのはよくないんじゃないかと俺は思うけどね。
戦後生まれが国民の半数を超えました。
配給や買い出しを知らない新しい家族やその子どもたちが育っています。
再び食糧難時代がやって来たら彼らはどのようにして飢えに立ち向かっていくのでしょうか。
本当にきれいなんです。
ここなんかでもこのまんまこうここね。
このまんま食べる。
(取材者)先生そのまま召し上がるんですか?ええおいしいですよ。
(取材者)洗わないと。
まさか…。
そりゃう〜んそりゃちょっと洗えばいいじゃない。
洗うくらいは。
やっぱりいろんなものをそりゃ今のような時代ですから召し上がって結構と思いますがね。
それだけのちまたに売られている加工食品なりビフテキだラーメンだうんぬんだその〜栄養食だっていうこの一とおり食わなきゃね体がばてるんだという錯覚から抜ける事ですね。
日本は日本の気候風土があってそこに自然の植物…お野菜類果物果実そういうものはいろいろ出来ますね。
ゴマでも梅干しでもね。
そういう最も平凡で基礎になるようなものをねもっと生かさなきゃ。
こういう本当の麦とか手漬けのラッキョウとかこういう基礎になるものをしっかり押さえておきますとね自信になるんですね。
まあね食糧危機というけどあれじゃないですかね。
あの〜まだ東南アジアがねまだ治安がね十分でないけど東南アジアに肥料をどんどんやってね米作ったらもうそんな問題じゃないんじゃないですかね。
言いかえれば世界中が平和になってでまあ東南アジアなんかねまず工業国になる前にね農業国になった方がいいんだなと思うんですよね。
そういうようにちゃんとやっていけばですよあの〜困りゃしないんじゃないですか。
周りにね食べられるものがたくさんあるんですよ。
例えば都会地だってねその辺に一年中って訳じゃないけども野草も生えてるしぺんぺん草だとかねタンポポだとかその気になりゃみんな食える訳ですよ。
少しぐらい毒があったってね少量食べてりゃ…致死量までいかなきゃ…。
青酸カリだって致死量になんなきゃ死にやしないんだから。
と思えばね毒草だって食えるんですよ。
それから毒の抜き方もある訳です。
それからたまたまねここにアケビなんてあるでしょ。
これつい何日か前に山で採ってきたんですがねこのアケビなんていうのは中ちょっと甘いですよ。
だから砂糖が無くなったら足しにもなるけどもこれ皮をね天ぷらにすればね大してね栄養的にはねどうって事はないけどもね足しにはなります。
それからこれ南米のアンデスから持ってきたまだねペルーの連中しか食べてない表へ出なくて導入されなかったキヌアという雑穀類ですがね。
これは非常にね栄養が豊富でこれをね3割入れたキヌア飯なんていうですねこれあの〜試食をしてみると非常にうまいんですよ。
横井さんの28年間のジャングル生活は毎日が飢餓との闘いでした。
元気で帰ってまいりました。
元気でよかったね。
グアム島敗戦の状況をつぶさに皆さんに知って頂きたいと思って恥ずかしいけれども帰ってまいりました。
主食はヤシソテツパンの実でした。
たんぱく質はデンデンムシネズミトカゲウナギガマなどで補いました。
ジャングルから一挙に繁栄する日本に帰ってきた横井さんは日本人で一番長い飢餓を体験した人です。
里芋山芋。
これ違う。
これは漬物の大根にするやつ。
横井さんはこの5年間に体重が11キロ増え身長も4センチ伸びました。
今横井さんは自分で畑を作り自給自足を第一としています。
横井さんもし再び食糧難の時代が来たら私たちは生き残れると思いますか。
駄目。
それはあんたそういうふうに考えるのは甘いの。
それはね。
名古屋からねポリさんが先頭になって来ますよ。
生きんがためには。
わしはそう言うんだ。
ポリさんが先頭なって来ますよって。
飢餓になったら。
ポリさんだって生きんがためでしょ。
だから来ますよ。
今のドラマと一緒ですよ。
私は。
だからそういう人には全部提供してあげましょうと。
お互いが生きるためなら。
ところがその後をどうやって生きられますかっていうの。
私はこれ取られたあと生きますっていうんですよ。
この葉っぱ食やいいじゃないの。
キュウリは持ってかれるでしょみんな。
キュウリは食べれるで。
ところがこの葉っぱは誰も持ってかないよ。
そうでしょ。
じゃあ葉っぱ食えばいいっちゅう話。
(取材者)横井さんはですか。
「NHK特集日本人の食卓飢餓世代からのメッセージ」。
1977年の番組でしたので秋元さんはもちろん生まれる前の…。
まだ生まれてないですね。
やっぱり飢餓ははるかに想像を超えてましたね。
VTRの中でも雑草であったりガマガエルであったりっていうのは今の時代には食べないですし…。
私たちは今食を楽しむってなるとおいしいものを食べる事が前提になる。
皆さんは生きるために食べる。
そうですね。
食べる事が生きる事だったと…。
はい。
…っていうのがすごく印象に残っててこう…「あ〜そういえば私おなかがグーグー鳴るまで最近空腹になってないな」っていう事を思って…。
おなかがすいたっていうのをそういう経験がある人はやっぱり腰の据わり方が違いますねって言ってたのがちょっと私たち世代からするとドキッとしましたね。
養老さんはいろいろ重なるところは…。
そりゃもうたくさんありますよ。
最初のね黒柳さんから始まっていちいちみんな思い当たるって言った方がいいんで。
例えば速く食べなきゃ無くなるってこれ当然なんです。
だから食べるのが速いんですよ僕らは。
賞味期限ってあるでしょ今は。
僕らの賞味期限ってのは食べ物なんか目に入った時なんです。
ある時に食べないと無くなっちゃう訳ですよね。
見えたら食べるってそういう世代ですからね。
ここでね一番出なかったのが僕らの世代に特徴的って言っていいと思うんですけどカボチャとサツマイモは食べないっていう…。
これはかなりいるんですよそういう人今でも。
それはねもう食べたくないの。
そういう事ですね。
それしかなかった…。
そうなんです。
しかもああいう飢餓ですからそれをなんとかするために食べ物を供給したのがカボチャとサツマイモなんです。
それでほとんどの人気が付かないんですけどさっき調味料がないって…。
横井さんのお話でしたね。
だからすいとんもそうなんですけど僕らの頃はあれほどまずいものはないって言うとおかしいんだけどしばらくの間その代名詞みたいになってました。
この番組終戦の年から32年後に作られたものなんですけれどもそれから38年たちましたが飢餓の時代が来ると思いますか?思わないですね今のところ。
でもほぼほぼ輸入に頼ってる部分があったり何かほかの国との外交問題などがあって輸入を打ち切られた時日本はどうするんだろうという不安はありますし…。
うん…そういう時に私たち世代は耐えられるのかな。
今の若い人全然平気なんじゃないでしょうか。
案外適応するんですよ人そういう事は。
生き物の適応力非常に高いんで。
養老さんご自身もこれは生きのびる。
僕はもう全然そんな事は気にしてませんもん。
そもそも。
要するに食べ物あろうがなかろうが大体生きてけるだろって思ってます。
という事ですが…。
はい。
さて今ご覧頂きました番組は70年代のものだったんですけれどもその70年代から現在に至るまでも日本の食卓食糧事情っていうの大きく変わっていますよね。
私ども番組で食に関する出来事時代ごとにいくつかこのようにピックアップをしてみたんですが養老さんいかがですか?何かこう印象的なものは。
僕は一つは「核家族化の進行」とかですね最後の方に来ると「孤食」「欠食」になってますけどつまり黒川さんが言っておられてましたけどね文化としての食が非常に変わってきたっていう事がありますね。
社会的な背景。
もう一つが嗜好の変化っていいますかね。
インスタントラーメンの方が便利だっていう方向で…。
要するにこれはやっぱり核家族とかそういう事で関係がありますよねある程度。
家で食べないっていうか…。
それでもう一つ農産物の輸入が大きくなったっていうのはそういう事に手間ひまかけないという事がやっぱり輸入につながってんじゃないでしょうか。
1次産業が徹底的に減っていった事を表してますね。
で今も出てきましたけども農産物の輸入額から輸出額を引いたもの。
これが80年代の半ばからおよそ30年日本が世界で一番なんですよね。
つまり私たちの周りには外から入ってきたものがほとんどだっていう事ですよね。
何かちょっと不安になるんですけど…。
でもまあ物心付いた頃からそうだったという…。
はい。
1988年に生まれたのでこのころから食品が自由化していてスーパーに行ったらオーストラリア産の牛肉だったりフルーツも海外のものが多かったですしそれほどたくさんのもの輸入してるんだなって思いますね。
そうですね。
この「コンビニエンスストアの流行」。
気が付いた時にはもうコンビニが普通にあったっていう世代でいらっしゃいますよね。
ありました。
なのでいつでも何か飲みたいと思ったらコンビニエンスストアに行く。
お握り食べたいと思ったら買いに行く。
なのでちょっと歩いたらもう全部手に入る。
当時この流行した90年代から2000年代の半ばぐらいまででしょうかね圧倒的に20代の人たちが多かったんですよね。
3割を超えていたんですよね。
それがつい最近の調査では50代の人たちで3割近くになっていてむしろその20代の人たちよりも多くなってるっていうんですね。
そのくらいの年代の人は家庭があって当たり前で本来ならば家庭で座ってるのが僕らのイメージだったんですけどそうでなくなってきた訳ですよね。
今横浜市がね全体で単身所帯が4割っていう数字が出てて気になってるんですけどね。
ほとんど400万都市の4割が一人なんですよ。
そういう変化っていうのは要するに日本の私たちの食それからいろんなものにどんな影響を与えてるんでしょうか。
それはむしろ結果の方じゃないでしょうかね。
考え方変わってきたためにっていうかあるいは生き方が変わってきた感じ方が変わってきたので食の方が影響受けてるっていうふうに私は思ってんですけどね。
昔のように家族で食卓囲んで同じものをっていうのをあまりやりませんでしょ。
だからそれは今度は別な形で外食とかみんなで集まっておんなじもの食べるっていう…。
養老さんがおっしゃったように家族でも…。
私は実家出てるんですけど家族で一緒に食卓を囲むのは外食のレストラン…。
食べに行く時しかなくなってるなと思って。
今までだったら家で食卓を囲むんですけど私の家庭でもやはりそれぞれ父母弟ばらばらにごはんを食べてるって聞いて最近驚いたんですけど。
むしろ外食に行く時がみんなで食卓を囲む時。
はい。
だから時代が移り変わってきて逆になってきてるのかなと思うのと食が豊かになっているのにこの「孤食」とか「欠食」が進んでるっていうのは何かおなかを満たす事以外に大事なものを失ってるんじゃないかなという印象を受けますね。
今度は現在今の私たちの食への考え方また食の内容などを見ていきたいと思います。
いくつかのデータから考えていきたいんですがまずはですねこちらをご覧下さい。
これは1人一日当たりの摂取カロリーの変遷なんですね。
これピークは1970年代の頭です。
いわゆる飽食の時代といわれた時代ですね。
でこの戦後すぐこの46年と2013年比べて頂きますと食糧難だったこの時代よりも今の方が1人当たりの摂取カロリーが少なくなってんですね。
何でだ?どうしてでしょう?食べるものはたくさんあるのに。
ええ。
何か思い当たります?やはり女性はダイエット…。
食に気を付け始めてるとは思うんですけど摂取カロリーだけを減らす減らすっていう事だけに皆さん何か集中させてる。
そんな風潮な気がします。
これはね一番大きいのは動かないんです今の人。
運動か!はい。
便利にもなりましたし。
車もあるし交通機関も充実してるし…。
そういう事なんですね。
そういう運動量が減ったという事とまた高齢者の方が増えてきているという事もやっぱりその理由として挙げられるのではないかという事なんですね。
びっくりしました。
今度はもう一つNHKが2006年に3,600人の方を対象に行った食生活に関する意識の調査なんですね。
世論調査なんです。
毎日の食事で何を重視しているのかこの5つの項目で聞いているんですけれども…。
実はこの結果ですけれども一番多かったのはこの一番上「おいしいものを食べること」というのが38%だったんですね。
2番目が「栄養がとれること」「楽しく食べること」。
そしてこちらこちらという順番がこのアンケートの結果だったんですけれども実はこの中でちょっと注目して頂きたいものがあるんです。
今アンケートの中で4番目になりました「空腹が満たされること」を食べる食の中で重視してるという人が全体では18%なんですがこの若い世代ですね女性で24%男性で41%。
えっ私たち世代って事ですよね。
食に対する何て言いますかね愛着っていうかがあれがないんでしょうね。
まさにそれなんです。
つまり食に関する関心を聞いたところですね食べる事以外にお金を使いたいという人がこの若年の世代では5人に1人だったんですね。
そのほかの世代では全部1桁でした。
ですからある意味食べれればいい。
口に入ればいい。
どっちかというと無頓着の人が増えてきてるという事なんですね。
周りでそうですか?そうですね。
本当に身だしなみファッションが好きな子は食べなくても平気っていう人は周りにいますね。
最近本当に雑誌とかいろんなテレビとかを見てても食べなくても大丈夫っていう人が多くなってきた気がします。
何でそういう事が起きてるんだろうって…。
恵まれ過ぎて飽きちゃってるのかなという感じもするんですけど…。
若い人が今自分の体に関心がないんじゃないでしょうか。
本質的な関心っていうかね。
そういうものがウエイトが下がってる事ははっきりしてんじゃないでしょうか。
僕それを前から脳化社会つまり脳みそが先に行ってる社会って言ってんですけど。
だから体っていうものを頭の考える方で思うようにしようとしてる。
だからジョギングでありサプリメントなんでしょ。
体の都合でやってんじゃなくて頭がいいんじゃないのと思うからやる。
私はもう本当に体にいいものを…。
やっぱり食が体を作ると思っているので大切な人とおしゃべりをしながらゆっくり食べる時間…。
食はだんだんだんだん年齢重ねていく度に自分の中ですごく比重が生活の中で大きくなってはいるんですけどね。
そうですか。
はい。
次は誰とどこに食べに行きたいなとかいろいろ考えてる時間がすごく私は幸せだなと思ってます。
今日戦後から70年代そして現在の食いろいろ見てきましたけれどもこういろいろ考えてきて今豊かな食卓だなっていうふうに感じられました?正直複雑な気持ちになりました。
食べ物はおなかいっぱい食べれてるけど一緒に過ごす人一家団らんの時間は減ってる。
心はすごく…飢餓じゃないですけどちょっと痩せていってるのかなっていう…。
養老さんにとっての究極の豊かな食卓というのは…。
考えてみると忘年会とか新年会とかいってですね親しい人と集まって食べてます。
毎年。
食事ってそういう効用ありますでしょ。
気の合った人たちと集まってそりゃ家族ももちろん入ってていいのでそれでみんなでおいしいもの食べるっていうね。
そうすると個々のものがおいしくなるだけじゃなくてまあいろいろありますからね。
楽しいじゃないですか。
そこは時代を経ても変わらないんだなって今すごくうれしく思いました。
今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
2015/09/13(日) 13:50〜15:00
NHK総合1・神戸
NHKアーカイブス「シリーズ日本の食(1)“豊かな食卓”ってなに?」[字]
“飽食の国”日本の食は豊かなのか?いまから38年前、終戦直後の食糧難を経験した当時の著名人20人に食をテーマに聞いた番組から、豊かな食卓とは何か、改めて考える。
詳細情報
番組内容
“飽食の国”日本。世界有数の食料輸入大国でありながら、年間600万トン以上の食料を廃棄している。果たして日本の食は豊かなのか?NHKには最初に「飽食」と言われた70年代、食をテーマに当時の政、財、芸能界など著名人20人へインタビューした番組がある。いずれも終戦直後の食糧難を経験した人たち。シリーズ「日本の食」第一回目は、飢餓と飽食の両方を経験した彼らの言葉から、いま改めて豊かな食卓について考える。
出演者
【出演】東京大学名誉教授…養老孟司,秋元才加,【キャスター】森田美由紀
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
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