[民族問題研究所、金武星(キム・ムソン)代表の父親 金龍周(キム・ヨンジュ)氏の親日附逆行跡史料を公開]
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1943年9月8日付朝日新聞4面に徴兵制を称賛し朝鮮人の参加を扇動する広告が金龍周(キム・ヨンジュ)の名前で載せられた =民族問題研究所提供//ハンギョレ新聞社
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真の精神的内鮮一体化を図り忠実な皇国臣民になること」
日本の新聞に「徴兵制称賛・軍用機献納を促す広告」自身の名前で掲載
最大の親日団体「臨戦報国団」発起人として参加
「皇軍将兵に感謝の電報」提案 民族問題研究所が金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表の父親である金龍周(キム・ヨンジュ)氏の親日附逆行跡論議と関連して追加史料を公開した。 民族問題研究所は17日、ソウル東大門区(トンデムング)の民族問題研究所5階で記者懇談会を開き、「親日派か、愛国者かという論争があった金龍周氏に関して、基礎史料で検証した結果、明白な親日反民族行為者であると結論を下した」と明らかにした。 民族問題研究所は「基本的には連座制に反対するが、金武星代表側が父親の親日附逆行跡を愛国と美化する内容で構成された評伝を発刊するなど、歴史を歪曲しているため検証に乗り出した」とその背景を説明した。 ハンギョレを通じて金代表の父親の親日附逆行跡疑惑が提起された後、一部では「親日派ではなく、むしろ民族教育に献身した愛国者だった」と主張するなど、論議が続き、先月15日には光復70周年をむかえて金龍周評伝「川を渡る山」が出版されもした。 この本は「克日本を勝ち抜いた亡国の恨」という副題をつけて、金龍周を愛国的な民族主義者として描写した。 しかし、民族問題研究所がこの日公開した資料には、金龍周の親日附逆行跡が多数出てくる。 研究所が整理した金龍周の代表的な親日附逆行跡としては、植民統治機構である道会議員として日帝の植民統治に協力△親日団体幹部として侵略戦争に協力△徴兵制実施を称賛し、戦争動員を扇動した点だ。特に日帝の侵略戦争のための国防献納運動の一つである愛国機(国防献金で生産した軍用機)献納運動を全国で最も活発に行ったと民族問題研究所は明らかにした。 当時は迎日郡(ヨンイルグン)に所属していた浦項(ポハン)出身の財力家 金龍周は、1937年から日帝が崩壊するまで慶尚北道道会議員として活動した。 民族問題研究所は「道会は今日の地方議会とは異なり、地方自治機構としての機能や権限はなく、日帝の植民支配に協調的な人物で構成された植民統治機構であった」と説明した。 民族問題研究所が公開した当時の『毎日新報』の記事を見れば、金龍周は道会議員として朝鮮人に対する強制労働を正当化した国民皆労運動を促すなど、日帝の植民統治に積極的に協力した情況が出ている。
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1944年7月9日付朝日新聞4面には、愛国機献納運動を促す金龍周の名前による広告が載せられた =民族問題研究所提供//ハンギョレ新聞社
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http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/709316.html 訳J.S(2453字)