拝啓。
田老町の小中学校で一緒に学んだ皆さんへ。
町が津波にのまれてから4年半。
復興も少しずつ進んでいます。
この夏役場のあったあの場所で久しぶりに集まりませんか?覚えていますか?僕らが埋めたタイムカプセル。
10年たったら開ける約束でしたね。
今年がその年です。
10年後こんな町になってほしい。
町の未来を予想してカプセルに収めた作文をいよいよ掘り出します。
あのころ僕らが「日本一」と誇っていた高さ10メートルの防潮堤。
その内側で安心して遊んでいましたね。
でもあの日全てが変わりました。
町も家も失い僕らは未来を描けなくなりました。
カプセルを埋めた10年前僕らはどんな未来を描いていただろう。
再会を楽しみにしています。
会いたかった会いたかった!会いたかった!東京のおねえさんになっちゃって。
震災後ちりぢりになり各地で暮らすかつての仲間。
タイムカプセルを開けると聞き全国から集まってきました。
あの大震災から4年半がたとうとしています。
多くの思い出の品々を失った方も少なくないと思います。
震災後自分の将来が見えにくくなった被災地の若者。
123!10年前未来を予想した作文に前に進むヒントがあるかもしれない。
タイムカプセルを開けて自分と向き合う若者たちの物語です。
震災から4年半。
今も町の明かりが少ない田老の夜。
6月。
役場の支所に10人の若者が呼び出されました。
タイムカプセルを掘り出す実行委員に指名された面々です。
震災後も地元に残っている事が選ばれた理由。
とはいえみんな埋めた記憶も曖昧です。
あの時何を書いたのか。
題名だけは役場に記録がありました。
田中和吉くんの題が…山本祐樹さん…吉水くんのはねすごいね。
やべえ。
かっこいい。
いい題だよね。
作文のテーマは「未来の田老」。
カプセルを埋めた2005年は町にとって特別な年でした。
隣りの宮古市と合併。
町は最後の記念にタイムカプセルを埋める事に。
小中学生400人が未来の田老を思い描き作品にして埋めました。
実行委員の一人田中和吉さん。
当時中学2年生でしたが今は23歳です。
タイムカプセルの時に若い世代結構まだいるなと思って。
俺の同級生もほとんどもう田老にはいないんで。
仕事してたり関東行ったり。
田中さんは老舗の菓子店の4代目。
はいどうも。
名物のかりんとうを作り得意先に配達して回るのが日課です。
震災の前田中さんはこんな毎日を想像していませんでした。
高校卒業後東京に出て菓子作りの専門学校に入学。
そのまま東京の菓子店で働こうと考えていました。
春休み帰省中に起きた東日本大震災が人生の転機となります。
高台に避難した田中さんはそこで自宅が津波にのまれる瞬間を目撃します。
家があったのは今信号機が立ってるあそこですね。
自宅兼店舗があって。
変わり果てた町と自分の店。
田中さんの考えは一変しました。
(田中)自分が残んなきゃなというのはすぐ思いましたほんとに。
ただそれは自分で望んだってわけじゃなくてしょうがないなというほんとに。
諦めみたいな感じですね。
2年前に再建された店の工場。
おはようございます。
(一同)おはようございます。
震災後そのまま田老に残った田中さんは看板商品のかりんとう作りを任されました。
渦巻き状の生地を揚げる90年の伝統の技を継ぎました。
社長は父親の和七さん。
息子には期待しているもののこれから先の事をじっくり話した事はありません。
バイクや音楽ゲームが好きな田中さん。
先の事を考えるより趣味の時間が大切です。
都会暮らしにも未練があり自分には違う道があったのではとついつい考えてしまいます。
・「人生なんてさマジでクソゲーなんだゼ」。
とりあえず地元に帰るのとは別の選択肢がたくさんあったんじゃないかなという。
もし被災してなかったらどんな感じだったんだろうなとかという漠然とした…何て言うんですかね漠然とした感じですね。
そんな息子の気持ちは父親も感じています。
仮設商店街のまとめ役である和七さんは復興計画にも関わってきました。
この先何年もかかる町の復興。
本当は息子たちの世代が先頭に立ってほしいと願っています。
あと何年も時間ってないじゃないですか自分には。
ただその倍以上の時間を持ってる子供たちとか若い人たちはどういうふうに思ってるのかなという。
和七さんは息子を新店舗の建設予定地に連れてきました。
ここで腰を据えて店や町の将来を担っていってほしいと伝えました。
自分はこの町で何がしたいのか?田中さんはタイムカプセルに少し期待し始めていました。
今ほんとに全く考えられないというかそういう状況に近いんでヒントになればいいですよねそういう自分の文章が。
10年前の文章が。
タイムカプセルの実行委員は各地で暮らす仲間に案内状を送り始めました。
カプセルを埋めた時小学3年生だった安田要さん。
宮古市の短大に通う学生です。
安田さんは今卒業後の就職先を探しています。
この日訪ねたのは宮古市の海上保安署。
インターンシップで仕事を体験します。
自己紹介簡単に。
はい。
宮古短期大学部1年生の安田要と申します。
今日から3日間こちらの海上保安署さんでしっかり仕事内容とかを学ぶために取り組ませて頂きたいと思いますのでよろしくお願いします。
放水開始。
放水開始。
被災地で安全を守る仕事がしたい安田さん。
自分から働きかけてこの海上保安署初のインターンシップを認めてもらいました。
実習中思いを強くする出会いもありました。
再開したレストハウスを安全指導で訪ねた時です。
津波が来た時中学生だった安田さんはなすすべもなく校庭で海をにらんでいました。
「津波が来たぞ」とか「逃げろ」って聞こえたんでそっちの方を見たらば漁協の建物よりも倍くらいの波は出てたんで。
自分にも何かできる事があるはずだ。
安田さんは震災直後の出来事を懸命にノートに記録しました。
学校の一室に震災資料として展示されています。
(安田)書きました。
かなり分かりにくいんですけども観光ホテルがあって。
矢印で示したのは町の中を突き抜けた津波の動きです。
(安田)1か所堤防が決壊してましてそこから入ってきた水がちょうど漁港の南側から抜けていくという。
避難の経過も時間を追って細かく記録。
次の悲劇を防ぎたいという思いからでした。
(安田)自分が将来会うであろう人とかにあの時どうだったのって聞かれた時にちゃんと伝えて。
結局その人がもし震災というか津波とか地震とかという…嫌な思いをしてほしくないんですよねやっぱり。
安田さんは今就職のため大きな町に出るか田老に残るかで揺れています。
家族は地元に残ってほしい様子です。
でも震災後の田老に職場は僅か。
同世代の若者は次々町を離れていきます。
安田さんも田老を出る結論に傾いていました。
ちょっと迷ってます。
家族とか親戚からすれば残った方が多分いいんでしょうけども。
ちょっとこれはあんまり言っちゃいけない事かもしれないんですけども自分が好きだったのは震災前の田老だったんですね。
だから…。
やっぱり今の田老ってあんまり何だろう活気がないですし。
自分はこれからどうすべきなのか。
安田さんもまたタイムカプセルに手がかりを求めていました。
タイムカプセルの掘り出しは8月15日に決まりました。
実行委員をサポートする役場職員の齊藤清志さんです。
互いを理解し合うには震災の体験を共有すべきだと思っていました。
かなり流されてる。
そんな感じ。
一人だけ話に加われずにいたのが実行委員長の清水徳喜さん。
家が高台にあり家族も住まいも無事でした。
マジですか?うん。
清水さんは自分が津波を経験していない事を時々心苦しく感じてしまいます。
津波から1年後に再開した田老の魚市場。
ここで清水さんは毎朝5時から働いています。
高校時代は野球部のエース。
短大で経営学を学び地元の信用金庫に就職が内定していました。
しかしそこは津波で撤退。
運良く漁協に就職してからは職員2人のこの職場で黙々と働く毎日です。
家や仕事を失った人が大勢いるのに自分が何も無くしていない事を申し訳なく思ってきました。
仲間の心の傷には触れられない。
そんな清水さんが実行委員長としての覚悟を問われました。
サポート役の齊藤さんからの相談です。
津波で亡くなった仲間3人の家族にカプセルを掘り出す事をどう伝えるか。
(齊藤)重いよな。
清水さん考え込んでいました。
亡くなった3人のうち1人は清水さんの中学時代の親友でした。
懐かしいですね。
卒業アルバムにその親友の写真がありました。
佐々木昭彦さんあだ名はアッキ。
2人は互いに何でも話せていつも一緒でした。
震災当日家族を車に乗せて逃げる途中津波にのまれたといいます。
生きてたら…まあ生きてたらと考えると切なくはなるんですけどやっぱ飲みに行きたかったですね。
もしかしたらカプセルの内容を見て2人で笑えたかもしれませんし思い出話もできたかもしれませんしそう考えると生きててほしかったなって思います。
親友を弔いたいと思いながら家にはずっと近づけずにいました。
7月。
清水さんは役場の車で親友の家に向かいました。
覚悟を決めたはずなのに緊張を隠せません。
親友の父親は元いた海辺を離れ高台で暮らしていました。
大丈夫だと思うんですけどね。
カプセルからアッキの作文が出てきたら自分が届けに来ると約束しました。
ありがとうございました。
8月。
震災後5度目のお盆です。
タイムカプセルを心待ちにする…津波で母と姉を亡くしました。
その姉の作文が収められていると知らせがありました。
津波で家を流されたあと石川さんは残されたきょうだいと共に叔母の家で暮らしてきました。
姉の美恵さんは亡くなった時16歳。
元気できょうだい思いで幼い頃からいつも家族の中心でした。
朝起きてすぐに冷蔵庫に納豆を取りに行ってごはん持って納豆かけごはんをいつも食べてた。
家族のムードメーカー的な感じ。
美恵いればみんな集まるみたいな。
きょうだいは姉の死を受け入れられずずっとアルバムも開けずにいました。
大好きだった姉美恵さん。
もうすぐ作文が届きます。
いよいよタイムカプセルを掘り出す日です。
全国から集まった若者は150人。
せいぜい数十人という実行委員の予想をはるかに超えていました。
まず実行委員長の清水さんが挨拶に立ちます。
あの大震災から4年半がたとうとしています。
震災で多くの思い出の品々を失った方も少なくないと思います。
今日掘り起こすタイムカプセルは当時の小中学生が抱いた田老の将来像を記したものです。
自分自身を振り返るよい機会となる事を願い挨拶とさせて頂きます。
ありがとうございました。
(拍手)10年間立っていた看板が外されました。
いいですか?123。
デカい!思ったよりデカいや。
上が見えてもまだ…。
おっいいぞ!いいぞ!カプセルです。
中身は無事なのか?
(拍手)徳喜!徳喜!400人の作品はしっかりと守られていました。
中学校2年生の田中和吉さんのやつです。
作文が次々と返されます。
実行委員長の清水さん。
あのころどんな田老の未来を予想していたのでしょう。
「田老には高層ビルやいろんな店が出来ている。
鮭やアワビワカメや昆布。
漁業で世界的に有名になっている」。
「温暖化対策も進んでいる」。
一方菓子作りの田中さんが描いた町の未来は正反対でした。
「これからも田老は田老らしくあってほしい」。
「人口が減るのを防いで将来も今と変わらない田老町であってほしい」。
321…はい!津波で姉を失った石川さんのお宅です。
10年前小学5年生だった姉美恵さん。
妹や弟も安全に遊べる町を望んでいました。
それ聞いた事ある。
あるでしょ。
かわいいお嫁さんとかかわいいお母さん。
優しいお母さんだっけ?タイムカプセルを掘り出してから2日後。
実行委員長の清水さんが向かったのは親友アッキのお宅。
あっごめんください。
アッキの作文にはデパートや大きな店が立ち並ぶ活気に満ちた田老の未来が描かれていました。
何か最後はこんな事書いてた。
「店が出来たらいいな」みたいな。
俺もそんな事書いてました。
10年の時を超えて届いたアッキの言葉。
(鈴の音)ようやく親友を弔う事ができました。
無事終わってよかったです。
俺も一安心。
まあ実行委員長やっててよかったなみたいな感じです。
最初は嫌々やってましたけどまあやったかいはあったんじゃないですか。
再会した同級生同士のキャッチボール。
就職活動を続ける安田さんです。
相手は同じ野球部だった…北海道の大学で学んでいます。
安田さんの作文に書かれた田老の未来。
あのころから事故や犯罪や災害のない安全な田老を描いていました。
交通事故が少なくなってほしいとか書いてあって最後に津波について書いてあった。
田老に残るか田老を出るか。
まだ決めきれない安田さんは小林さんに進路を尋ねました。
ここら辺で?こっちの方に。
そっちは?ゆうたが戻ってくるんだったら俺もどうしようかなって更に迷いますね。
(小林)影響受けた俺に?
(小林)久しぶりに会ったけどめちゃくちゃ楽しかった。
(安田)久々だからね。
田老で生きる覚悟を父親に問われ答えられなかった田中さん。
10年前の自分は意外にも真面目に町の将来を考えていたと父和七さんに伝えに行きました。
これを読んでほしいんです。
例えば「将来今とほとんど変わらない田老町があってほしい」。
このころの自分はこのころなりに田老が好きだったと思うんです。
この作文じゃないですけど10年後ほとんど変わらないような田老であってほしいなっていう町になっててほしいっていう。
これから先にあと何年かかるか分かんないですけど田老の町が出来ていくうえで大体出来上がってこの町変わんなきゃいいなというか住んでたいなと思えるような所になっていればいい。
10年前の自分が描いた町の未来。
これから前に進もうとする今の自分に少し力をくれました。
10年前に町の記念事業でたまたま作文につづったふるさとへの思い。
それが震災後道に迷った若者たちに勇気を与えているのが印象的でした。
被災地でふんばる若者たちに改めてエールを送りたいですね。
さて東日本大震災から4年半となりました。
しかし大切な人を亡くして心の痛みを癒やす事ができないという方も少なくありません。
その思いをお伝えする「こころフォト〜忘れない〜」。
震災で亡くなった方や行方が分からない方の写真とご家族などからのメッセージが届けられています。
いくつか紹介いたしましょう。
案内役は仙台市出身の鈴木京香さんです。
福島県南相馬市の中島久子さんは家に残っていた孫を心配して戻り津波に巻き込まれたと見られます。
長男の眞一さんからのメッセージです。
自宅から避難する際津波に巻き込まれました。
夫の崇幸さんからのメッセージです。
岩手県大町の金千代子さんは津波に巻き込まれたと見られ今も行方が分かりません。
長女の堀合陽子さんからのメッセージです。
「こころフォト」は放送とホームページで紹介しています。
写真とメッセージの提供を引き続きお願いしています。
詳しくはホームページをご覧下さい。
では被災した地域で暮らす方々の今の思い。
岩手県大町の皆さんです。
私はこの4月東京の大学を卒業して被災地の町づくりに貢献したいと思い大町復興推進隊になりました。
この4か月間仕事の事だったり環境の変化に悩む事もありました。
大のショッピングモールで本屋をやっています。
震災によって前の仕事ができなくなりこの町に残りたいという思いから本屋を始めました。
震災によって親を亡くした子供たちに何かできないかと考え児童書と学習参考書を多く取りそろえています。
経営は非常に厳しいですが…大町で釣り船をやっています。
震災当時横浜にいました。
実家の店と船を流されてしまいましたが仕事を継ぐために帰ってきました。
お客様はまだ少ないですが大には自分たちみたいな若い人がいっぱいいます。
2015/09/15(火) 03:08〜03:56
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−「ぼくらが描いた町の未来〜震災を越えたタイムカプセル〜」[字][再]
今年8月、岩手田老地区に大勢の若者が集まった。10年前に埋めたタイムカプセルを開けるためだ。中には未来を描いた作文が。自分の夢を糧に前に進もうとする若者を描く。
詳細情報
番組内容
今年8月、岩手県宮古市田老地区に大勢の若者が集まった。10年前に埋めたタイムカプセルを掘り出すためだ。その年、田老町は宮古市と合併。小学校の生徒400人が「田老の未来」をテーマに絵や作文を書いてカプセルに入れた。その後、震災で町の姿は大きく変わった。復興も進まず、地元に残った若者の中には進むべき道が見えない人も。「あの時どんな未来を描いたのか」10年前の自分の夢を糧に、前に進もうとする若者を描く。
出演者
【キャスター】畠山智之
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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