歴史秘話ヒストリア「愛と信念は海を越えて〜鑑真と弟子たち〜」 2015.09.16


ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今日は奈良に来ております。
奈良のお寺といえば東大寺法隆寺などが有名なんですが是非訪れて頂きたいのがこちら!唐招提寺です。
参道を進んでいきますとまず目に入ってくるのがこちらの金堂。
屋根の飾り瓦であるこの鴟尾。
そしていらか全体が日本の他のお寺とは違う印象を受けるんですよね。
それもそのはず。
この唐招提寺を開いたのは外国からやって来たお坊さんだったのです。
このお寺を開いたのは中国大陸から渡ってきた僧侶・鑑真です。
当時中国でも屈指の高僧として知られていた鑑真。
そこには日本の仏教が直面していた大きな危機がありました。
日本へ向かう事を決意した鑑真。
しかし次々と苦難が襲いかかります。
嵐で船が大破。
仲間の裏切り。
最愛の弟子との別れ。
それでも鑑真は日本行きを諦めません。
そして訪れた絶体絶命のピンチ。
その時…鑑真と弟子たち。
7,000kmの旅路をたどります。
奈良市の西に位置する唐招提寺。
奈良時代に建立された由緒あるお寺で境内では数多くの国宝や重要文化財を見る事ができます。
その代表的なものが金堂です。
金堂の正面まず目につきますのがこちらの柱列柱です。
これは大変珍しい様式で奈良時代そのままのものなのだそうです。
では中拝見させて頂きます。
あ〜大きな仏さんですねえ。
まず目に飛び込んでくるのが唐招提寺のご本尊…高さおよそ3m。
世界をあまねく照らすという仏様です。
この金堂の中だけでも実に9体もの国宝の仏像が安置されています。
ご本尊の向かって左側には…千本の手が象徴するのはあらゆる人々への救済。
右側には…病の苦しみから人々を救って下さる仏様です。
唐招提寺にはたくさんの建物がありますが先ほどの金堂から北に位置するこちらの建物。
「御影堂」と呼ばれております。
唐招提寺で最も大切な国宝がこちらに納められています。
その国宝は通常は非公開。
1年に1度3日間しか公開されません。
唐招提寺の開祖鑑真の姿をかたどったこの像には実は数々の秘密が隠されている事が近年の調査で明らかになりました。
奈良時代に作られた鑑真和上坐像は日本最古の肖像彫刻と言われています。
「肖像彫刻」とは実在する人物をモデルに作った像の事。
鑑真像が作成される以前の日本には…記録によれば鑑真和上坐像は鑑真の生前弟子たちの手によって作られました。
そのため眉毛やまつげのような細かい部分に至るまで実際の鑑真そっくりであると伝えられています。
像は毎年鑑真の命日である6月6日前後の3日間しか公開されません。
そのため唐招提寺にはいつでも像を拝みたいという声が多く寄せられていました。
そこで平成23年4月。
鑑真の1,250年忌に合わせ…担当したのは国宝はじめ…制作には鑑真像が作られた当時の技法がそのまま用いられる事になりました。
奈良時代の「脱活乾漆」という技法です。
まず木材と粘土で原型を作りその上を覆うように麻布を貼って固めます。
乾いたら原型をかき出し張り子のような状態に。
表面に漆のペーストを塗って形を整え最後に色をつけて完成です。
今回当時の技法を忠実に再現する事で鑑真像に関する新しい事実が次々と明らかになりました。
御身代わり像制作のため最初に行ったのは赤外線での計測です。
表面の数百か所のデコボコをミリ単位で写し取り像作成の資料とします。
しかし数値がうまく測れません。
こちらは…その表面は滑らかです。
しかし鑑真像はというと…。
目や鼻の回り更には耳の部分などかなり凹凸があります。
この違いは表面を覆っている漆のペーストのつけ方によるものです。
阿修羅像では仕上げにへらを使いペーストがきれいに整えられました。
一方鑑真像はへらではなく指でペーストをつけたために凹凸が生じたと考えられています。
実はここにこそ弟子たちの気持ちが表れているというのです。
…というのが全体に見えます。
専門の職人が仕上げた美しい像ではなく弟子たちが懸命にその姿を指で写し取ろうとした。
表面のデコボコはその努力の跡なのかもしれません。
おっ見つけたで!うわ〜見つかったねえ。
今回の調査では素材に関する発見もありました。
首の後ろにある5mm四方ほどの漆の剥げ落ちた箇所から下地に使われている麻布が見えました。
通常この大きさの脱活乾漆像に使われる麻布は1cm当たり縦横8本の糸で織られています。
しかし鑑真像に使われていた麻布は縦横に20本の糸を使用。
細い糸で編まれた目の詰まった薄い生地です。
生地が薄いと強度が保ちにくくなり崩れやすい像となってしまいます。
なぜわざわざ弱い素材を用いたのでしょうか。
通常こうした麻布はどのような時に使われるのか。
麻の専門店を訪ねました。
麻の着物をこれで作るわけですね。
目の詰まった薄い麻布は身分の高い人の着物として使われる事が分かりました。
専門家チームは像に貼られた麻布は鑑真が実際に身につけていた衣ではないかと推定しました。
御身代わり像の制作では…しかし…たとえ時間はかかっても師匠が着た衣で師匠の像を作りたい。
そんな弟子たちの熱意が伝わってきます。
鑑真像の印象を決める一番重要な要素は色彩です。
像に特殊なライトを当ててみると…。
もうここの肌色なんてしっかりと出てますやん。
鑑真像は全身に油が塗られていました。
これは鑑真像が作られた当時中国で使われていた技法です。
像の表面を保護するとともに色に深みを出す効果があるのだそうです。
彩色を施した上に実際に油を塗ってみると…。
より温かみのある色となり生き生きとした人肌に近づきました。
ここら辺の色とよく似てるかと思うんですけども…制作期間2年に及んだ御身代わり像が完成しました。
初めて人々の前にその姿を現した御身代わり像。
像に魂を入れる開眼法要が営まれおよそ1,000人の参列者が見守りました。
御身代わり像は唐招提寺の開山堂に安置され毎日公開されています。
鑑真の死後も常に共にありたいという弟子たちの願いは1,250年の時を超えいつでも会える身近な像という形で実現したのです。
お師匠様にずっとそばにいてほしい。
弟子たちの強い思いから作られた鑑真和上坐像。
亡くなった人の生前の姿をそのまま像にする事は当時アジアで広く行われていました。
こちらは鑑真のふるさと中国。
祭られているのは唐の時代の慧能という高僧のミイラです。
なきがらそのものを麻布で包み漆で固めました。
古代中国では…亡くなった後も生前の姿を残す事で不滅の精神を伝える。
鑑真像にもそんな意図が込められていたと考えられます。
中国・唐の高僧だった鑑真。
そもそもなぜ日本へやって来る事になったのでしょうか。
太子はこんな予言をしたと言われます。
それからおよそ200年たった時日本は奈良時代。
しかし仏教は逆に衰え僧侶の中には女性を近づける者酒を飲む者勝手に僧侶を名乗る者なども現れました。
心の声僧侶たちの風紀は乱れに乱れておる。
これを正すよい手はないものか。
時の帝聖武天皇は危機感を抱きます。
仏教の盛んな唐の国では戒律というもので僧侶の行動を厳しく律していると聞き及んでおります。
戒律とな…なるほど。
「戒律」とは僧侶が守るべきルールの事。
「生き物を殺してはいけない」。
「盗みをしてはいけない」。
「うそをついてはいけない」。
「みだらな行為をしてはいけない」。
そうした戒律を守ると誓った者だけが唐では僧侶になれたのです。
それが戒律か…。
唐の国に人を送り…白羽の矢が立ったのが二人の若い僧侶でした。
興福寺の僧栄叡と大安寺の僧普照です。
いかなる苦難に遭おうとも必ずや使命を果たします。
我々にお任せ下さい。
日本に来て戒律を伝えてくれる僧侶はいないかと各地を訪ね歩きます。
しかし遠い異国の地である…目的を果たす事ができぬまま9年の歳月が流れました。
二人は唐第2の都市揚州にたどりつきます。
ここに戒律の第一人者がいるという話を聞いたからです。
当時この寺で僧侶たちに戒律を講義していた著名な高僧がいました。
それが鑑真です。
当時55歳。
鑑真が戒律を授けた弟子は唐全土で4万人に上ったと言われています。
鑑真の弟子たちの中で誰か日本に来てくれる者がいないか。
栄叡と普照は説得を始めます。
我らの国日本にはいまだ戒律がありません。
日本に渡り戒律を授けて下さる方はいらっしゃいませんでしょうか?しかし誰一人手を挙げようとはしません。
聞けば船で日本へ行こうにも百に一つもたどりつけぬとか…。
日本への航路にあたる東シナ海は当時「地獄之門」と呼ばれていました。
航海の途中強風や高波によって船が遭難し命を落とす事も少なくなかったのです。
重苦しい空気に包まれる一同。
ところがある話題で状況が一変します。
今がまさにその時なのです。
この者たちの話まさか…。
ばかなそんな事が…。
驚きを隠せない僧侶たち。
というのも…その昔中国でみんなに敬われていた高僧が亡くなった。
高僧はその後日本の王子に生まれ変わり日本でまた仏教を盛んにした。
そんな伝説です。
あれは伝説ではなく実際にあった事だったのか…。
信じられん…。
仏法のためなら命など惜しくはない。
(栄叡普照)ええ!?いえ私もお供いたします。
私もお連れ下さい。
私も。
是非私も日本へのお供をお許し下さい。
しかしもう一つ問題がありました。
そこで弟子たちは一計を案じます。
霊山として名高い台山へ参詣するという名目で船を用意。
日本へ渡る計画です。
半年がかりで準備しいよいよ出航というその時…事件が起こります。
日本行きを快く思わない…普照よ。
我々は何のために遠い唐の国まで来たのだ。
この国の戒律を日本に伝えるためだろう。
違うか?いや違わん。
我々はどんな事をしてでもその使命を果たさねばならぬ。
(2人)うん!
(小声で)
(栄叡)鑑真様。
(普照)鑑真様。
その声はもしや…。
おお栄叡に普照か!もう日本に戻ってしまったと思っておったが…。
鑑真様と一緒でなければ帰れませぬ。
なにとぞ戒律を我が国に…。
心配は無用じゃ。
私の気持ちも揺らぐ事はない。
何か手だてを見つけて必ずや二人の願いをかなえよう。
(栄叡普照)ありがとうございます。
2度目の日本行きへの挑戦。
今度は鑑真自らお金を出して船を調達。
秘密裏に渡航の準備を進めます。
その年の12月。
船は無事港を出ました。
しかしうまくいったと思ったのもつかの間。
船は嵐に遭遇し座礁。
大破してしまいます。
一行は冬の海に投げ出されました。
遭難し飢えと渇きに苦しんだ一行は海上警備の役人に救われ一命を取り留めます。
こうして2度目の挑戦も失敗に終わりました。
普照はからくも難を逃れますが栄叡は鑑真に密出国をそそのかしたとして逮捕されます。
4度目の挑戦は陸路から。
寺の巡礼を装って船が待つ港へ向かいました。
しかし…。
事は全て露見しましたぞ。
一体我らが何をしたと申すのじゃ?国外に出るは大罪である事よもやお忘れではありますまい!またもや…こうして4度にわたる日本行きへの挑戦は全て失敗に終わりました。
唐招提寺の宝物が納められた建物新宝蔵の中に来ました。
こちらにずらりと並んでいる木彫りの仏像たち。
これらは鑑真が唐の国から連れてきた職人たちが作ったものとも言われています。
一本のかやの木から彫り出された「一木造り」という技法で作られました。
この方法は当時の中国の最先端のもの。
これより後…鑑真は日本の仏教美術にも大きな影響を与えたんですね。
鑑真は日本への渡航を諦めませんでした。
監視の目が緩むのを待つ事4年。
5度目の日本行きに挑みます。
順調に船出した鑑真一行。
ところが嵐に遭遇し大きく航路を外れて漂流。
半月もの間南に流されます。
台湾のはるか南…鑑真一行はやむなく出発地の揚州まで陸路引き返します。
しかしこれまでの旅の疲れからか栄叡が病に倒れてしまいます。
まだだ…。
まだ諦めるわけにはいかん。
当たり前だ栄叡!しっかりしろ!普照鑑真様を必ず日本にお連れし戒律を広めてくれ…。
栄叡そなたの願いはまだかなってはおらぬ。
共に生きて日本に参ろう。
う…。
(普照)栄叡…栄叡!栄叡!唐に来て16年。
栄叡は遠い異国で志を果たせぬまま亡くなりました。
共に日本からやって来た同志栄叡を失ってしまった普照。
心の声何度試みてもうまくいかない。
密告が相次ぐのも日本人である自分がいるからかもしれん…。
このままでは鑑真様が日本に行けないのではないか…。
普照は決意します。
鑑真様日本人の私がおそばにいるとまた役人のとがめを受けましょう。
これ以上鑑真様にご迷惑をおかけする事はできません。
ここでお別れし私は身を隠します。
普照よ。
我らは日本に戒律を伝えるべくこれまで何度も海を渡ろうと苦心を重ねてきた。
共に日本へ赴き本望を遂げようではないか。
ありがたい仰せです。
しかしながらもはや決めた事。
ここでお別れいたします。
鑑真様必ずや必ずや日本に渡り戒律をお伝え下さい。
お願いいたします。
そこまでの決心とあらばもう何も申すまい。
無事を祈る。
鑑真様…。
その後鑑真の身にも異変が起きます。
(鑑真)このような身となってはわしは日本に行けぬかもしれぬ。
それから3年。
思いも寄らない出来事が起こりました。
鑑真様私どもの船で是非日本へお越し下さい。
この年日本は20年ぶりに遣唐使船を派遣。
その帰国便で鑑真たちをひそかに出国させようというのです。
心の声ようやく…ようやくこれで日本へ行く事ができる。
ところがいざ乗船という時になって…。
お乗せするわけにはまいりませぬ。
なんと遣唐使の総責任者大使がまさかの乗船拒否。
船に乗らないかと言ってきたのはそちらではないのか?いざ出航となったこの時…もはや万事休す。
一行が引き返そうとしたまさにその時。
しばしお待ちを。
大使に次ぐ責任者です。
鑑真様のこれまでのご苦労はさる者から全て聞いております。
私どもの船にお乗り下さい。
ま…まことか。
かたじけない。
心の声それにしても一体誰から話を?鑑真様!その声は…普照か?遣唐使に鑑真の事を伝えていたのは普照でした。
お会いしとうございました!こうして無事遣唐使船に乗り込んだ鑑真と普照そして24人の弟子たち。
およそ1か月の航海を経てようやく日本にたどりつきました。
奈良・平城京に到着した鑑真一行は都の人々の盛大な歓迎を受けます。
そしてその後の日本の仏教を担う多くの僧侶を育てていったのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は命懸けの旅を乗り越え鑑真が伝えたもう一つのもの。
そんなお話でお別れです。
唐招提寺では毎月6日鑑真の月命日に全ての僧侶が鑑真像の前に集まります。
(読経)そこで経を読み鑑真が苦難の末中国から伝えた戒律を自分は守る事ができているか自らの胸に問うのです。
1980年。
鑑真は1,200年ぶりに中国に里帰りを果たします。
中国から海を渡り日本に仏の教えを伝えた鑑真に一目会いたいと沿道には30万もの人が詰めかけ中国は鑑真ブームに沸きました。
1960年代中国で文化大革命が推し進められた頃仏教は受難の時代でした。
中国仏教復活の機運が高まります。
鑑真が戒律を教えた大明寺。
2006年には鑑真にちなんだ学校が開設されました。
その名も鑑真学院。
ここでは多くの学生が鑑真のように海外で活躍する僧侶を目指して学んでいます。
7,000kmの旅路の果てにようやく日本にたどりついた鑑真と弟子たち。
困難に負けず信念を貫き通したその志は今も人々の心の中で生き続けています。
2015/09/16(水) 14:05〜14:50
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「愛と信念は海を越えて〜鑑真と弟子たち〜」[解][字][再]

奈良・唐招提寺の国宝「鑑真和上坐像」。近年の調査で、これまで知られてこなかった“感動物語”が像に秘められていることが明らかに!鑑真と弟子たち苦難の旅路を追う。

詳細情報
番組内容
奈良を代表する古刹・唐招提寺。この寺に伝わる国宝「鑑真和上坐像」は、日本最古の肖像彫刻だ。近年、像の細部にわたる調査が行われ、これまで知られていなかった“感動物語”が像に秘められていることが明らかになった。唐から日本へ、数々の苦難を乗り越えてたどり着いた鑑真に、弟子たちが寄せた深い尊敬と親愛の念が、像のあちこちに隠されていたのだ。鑑真と弟子たちがたどった波乱万丈の旅物語を最新研究とともに紹介する。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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