100分de名著 太宰治 斜陽 第3回「ぼくたちはみんな“だめんず”だ」 2015.09.16


リラックスできる環境でヨガをしましょう。
一日の疲れがほぐれて心地よい時間を過ごす事ができるはずです。
太宰治晩年の傑作「斜陽」。
生きる力に目覚めていく主人公かず子とは対照的なのが男たちの姿。
麻薬と酒に溺れる弟直治。
家庭を顧みない破滅的な作家上原。
なぜ太宰はだめな男ばかりを描いたのか。
「斜陽」から太宰がさらけ出した心の内を読み解きます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあ太宰治の「斜陽」を読んでおりますが伊集院さん前回まではいかがでしたでしょう?いつもテーマになる作家さんの本全く読んだ事がないみたいな事が多いんですけど太宰治に関しては中学校の終わりぐらいに「人間失格」を読んではしかみたいなものにかかったりしてますから。
ただただ暗い人というイメージだったんですけどそういう面だけじゃ語り尽くせないというかもしかしたらもう一回はしかかかるかもみたいなそういう感じです。
ねえ予感が。
今回も「斜陽」の魅力を教えて下さるのは…
(一同)よろしくお願いします。
またはしかになっちゃう。
今回はなんと…ダメ男がテーマですね。
「だめんず」というタイトルがつく「100分de名著」は初めてですよね。
こちらで見ていきたいと思いますがまずは直治さん。
この方だめんずその1。
かず子の弟ですね。
このかず子の弟は長らく戦争に行っていて南方の激戦地から帰ってくるんですね。
さてこの直治一体どんな男なんでしょうか。
戦争に行っていたかず子の弟直治。
彼は戦争に行く前から無頼の小説家上原に心酔し酒と麻薬に溺れるすさんだ生活を送っていました。
南方の激戦地から奇跡的に復員した直治。
しかしその様子は相変わらず虚無的でした。
ある日かず子は直治のノートを目にします。
そこには彼の心の内が吐露されていました。
15歳で読んでたらぐっとつかまれる感じ。
47歳だとやっぱり何か青いなというか。
ナイーブ。
ナイーブというか今で言うと「痛い」とかね「中二病」という言葉もありますけど。
やっぱりこう悩んでる感じなのかな。
この直治というのはただお金持ちの息子でナイーブだけじゃなくて…まあ結局この直治というのはかず子が上原の所東京に行って結ばれた日の朝に自殺しちゃう。
直治は遺書を残すんですよね。
ここで自分がなぜ死ぬかなぜこうなったかというのを直治自身の言葉で語っているわけです。
まず最初に貴族のままじゃ死ぬなって思うから貴族なんてくそ食らえだという態度をとるんだけれどもやっぱり僕貴族だしもっと言うと貴族この人好きなんだろうなと思うんですよね。
一番憎めないのは「ママ」って言うんだよね。
そう。
ママって言う。
これがいいんだよ。
そこがかわいらしいんだよね。
やっぱりお前かわいいなってちょっとなる。
でも「太陽のように生きる」と強い決意をする主人公のかず子とはもう全く対照的というか悩んで悩んでそして「姉さん僕は貴族です」と言って死んでいくという。
男は全員これですね。
言い切っちゃいますか。
何か分かる。
貴族か不良かみたいな。
不良はなれない。
貴族という事は死ぬんだみたいな事に組み上がっちゃうという。
やっぱり直治とあと上原もそうなんですけど…それは要するに自分を裏切らないとか。
下手すりゃ理屈ですよね。
それすごい分かる。
痛い。
自分の痛い所に。
痛い痛い。
理屈にすごくとらわれて。
それは本当に簡単な事で言うと僕は旅行計画にとらわれて天気が悪いのにそこに行くのよ。
うちのかみさんは別に計画の途中にいい景色があれば「ここで良くない?」って言えるのよ。
俺はいつまでも元に行く予定だった店の事をずっと考えてるの。
かみさんはここおいしかったよねという話になる。
これすごい単純化した話だけどちょっと近いですよね。
近いですよ。
「貴族?いいじゃん気にしないで」って。
いい生き方をすりゃいいじゃないという。
そういかない。
もう「貴族だ」というふうに決めて貴族はどうするか。
これは考えるとやっぱり死ぬしかないでしょという…そこが根本的に不器用なところでね直治は太宰治の分身なんですけども…一種の貴族だったので若い頃の太宰の分身って考えると分かりやすいかなと思いますね。
太宰治本名津島修治のふるさとは青森県津軽。
明治42年津島家の六男として生まれました。
家は青森でも有数の大地主。
父は「金木の殿様」と呼ばれた地元の名士でした。
使用人を加えると30人以上という大家族の中太宰は病弱な母ではなく叔母や使用人によって育てられました。
学校にあがって太宰は自分の家が友達とは違う事を意識していきます。
高校に入ると左翼運動に傾倒。
自ら主宰した同人誌に自分の実家を批判する小説を発表しました。
しかしその一方太宰は東京での大学生活を実家からの仕送りに頼りぜいたくな暮らしを送ります。
実家への反発と甘え自己嫌悪。
複雑なジレンマを抱えながら太宰は小説家を目指していったのです。
まさに若き日の太宰治は直治ですよね。
貴族ですね。
お金持ちで仕送りを受けて帝大に入って超の超エリートコース。
モテて…当時はそういう意味では分かりやすくなってて貴族とかお金持ちに対して左翼マルクス主義みたいなのがあってみんなそこへ行ったわけです早い話が。
インテリの子たちはね。
なので打倒されるべき人も。
ブルジョア大金持ち。
そういう人たちは皆悩むわけです。
だからもう家を出るとかね持ってるものは全部渡すとか。
太宰は家も出ないしある意味すごい中途半端。
いつもぐらぐら。
彼は遊んだりするからお金もかかるでしょ。
ますます家からお金もらわなきゃいけないと。
でも自分が言ってる事と全然違うし。
しかもその全部が見えちゃうんでしょうね。
分かっちゃうという。
見えてその事を小説に書くみたいな。
そうか。
罪が深い。
だけど最後の一点で全部許されるぐらい面白い小説書いちゃうじゃないですか。
その才能ですよね。
太宰はですね学生時代から心中未遂。
実際には相手は亡くなった事件もありますから単に政治活動をして家に迷惑をかけただけじゃなくて…その初期の自殺衝動の時に亡くなってた自分って仮定した時にもう直治そのもの。
もうそのものですね。
この直治はいわば…亡くなってたら直治になってたわけですよ。
ここで上原か。
だめんずその2。
直治が東京で弟子入りする小説家。
かず子の恋の相手でもあるのですね上原はね。
これがねいかにだめか。
流行作家上原は出版社に前借りをしては取り巻きと飲み屋に繰り出すすさんだ日々を送っていました。
6年ぶりにかず子が上原を訪ねても上原は自らを痛めつけるように酒を飲むばかり。
家に妻子が待っているのも顧みず上原は破滅的な生活を続けるのでした。
ほんとだだめんず。
だめだ。
上原は小説家で奥さんとの関係それから放蕩生活。
直治は結局貴族である自分を否定して民衆の中に立ちたい太宰なんですね。
この上原は田舎の出身だというふうにいわば民衆の側に立って書いている。
は〜面白いな。
どっちも太宰のある一部分ではあるとこですけどその2人がこれがまた仲がいいかというとなかなか微妙でね直治は直治で上原のだめさが分かってるし上原は上原で貴族的なところが抜けない直治にそういう目で批判的な事も。
僕らは太宰治の結果を知ってるじゃないですか。
結果自殺してしまいますよね。
ここまで分裂してたら。
どっちのテンションの日でも自分を非難する自分が絶対いるわけで。
これでね僕なんか思うんですけど上原が太宰だとしてこの上原が書いてる小説がどんなのかはほとんど描写がないんです。
これは要するに太宰の小説だと思うんですがとすると…人々の普通の市井の人たちがどんなふうに悩むかどんなささいな事で心を動かされるかというのを書いてるのにでもそれを書く自分はそういう権利がないんじゃないかといつも思ってるので。
もしかしたら心の叫びではないんじゃないかみたいな。
そこまで見えちゃう人。
とすると対処のしようがないので酒飲むしかない。
でどんどんだめになっていく。
この直治と上原に共通してるのは自分にはその権利がないって。
自分をじゃあ否定し続けるんですか。
まあまあある意味…なかなか苦しい…。
しかし!しかし?直治が太宰1上原が太宰2。
太宰3がいる。
太宰3がいる?太宰3。
かず子。
かず子は破滅的な上原の生き方に理解を示します。
かず子は上原を肯定する熱烈な手紙を書き送ります。
これを第3の太宰って考える事のすごい面白さに僕はちょっと。
メッセージを持って希望を持って伝えていこうとしている太宰がいるわけでそれは誰かというとこの小説の中ではかず子なんですよね。
いやもうかず子さんはこの不良大肯定ですね。
「私は不良になりたい」。
これはねでも本当にある意味…そうですね。
直治もそうですけど上原も世間的には最低最悪の人たちでずっと飲んでね意味もなくお金を使って。
でもかず子から見たら何でこんなに苦しんでるかというと上原という作家実は直治がなろうとしてた作家も…でも「ほんとうのこと」を世間に向かって言うと大体嫌な目で見られる。
戸惑われる。
拒否される。
「ほんとうのこと」というのは?例えば具体的にこの中で言うとかず子はシングルマザーになります。
それは当時の世間的な道徳の中では女性がやってはいけない事だった。
つまり社会はいろんな秩序があって女性はこうしなさい男は強くありなさいとかね道徳があるモラルがあるでしょ。
女の子は我慢して夫に仕えなさい。
でも少しずつ秩序は変わっていくにしても秩序が変わるのはゆっくりじゃないですか。
でもかず子にしても上原にしても直治にしても…「ほんとうのこと」を言う人は。
僕はこの小説…まあ小説を読むと分かるんですけどすごく肯定的なエンディングになってます。
もう世界を肯定して生きていくという。
これはもちろん書いてるのは太宰治なんですけどもずっと言ってるの語ってるのはかず子なんですよね。
それはさっき言ったモラルが縛られてて。
だから要するに女性の言葉を使ってる時の太宰ってすごい喜んでたんじゃないかと。
もちろん太宰の作品には魅力的なキャラクターたくさん出てますけどやっぱりかず子が持ってる徹底的なポジティブなところと太陽な感じね。
これはやっぱりね僕も作品を書いててね…でもテーマ「だめんず」で言うとだめんずが大化けする瞬間は多分かず子的な人が現れる。
現れた時というのは何かちょっと思い当たる人もケースも自分の中にも例えばある程度思い当たる事もあるので。
今何なんでしょうねもう女性は割ともちろんこのころに比べてはって話ですけど当たり前のように活躍しててという中で逆に言うと女性もシステムの中で理屈で生きなきゃならなくなる。
そこの性の差が無くなってきてる中でまた新しいものは何だろうという。
完全に男化してますもん私も。
だから要するにこの太宰の時代には女性が社会のシステムからある意味外されていたんですけどまあ70年たって社会の中に組み込まれていったというふうに考えると。
だから今でもかず子みたいなのがいたらやっぱり空気読まない感じだよね。
もしかするとかず子的なものっていうのは今でも必要なのかもしれない。
人か物か考え方かは分からないけどそうですね。
高橋源一郎さん本当にありがとうございました。
2015/09/16(水) 22:00〜22:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 太宰治 斜陽 第3回「ぼくたちはみんな“だめんず”だ」[解][字]

庶民に同化したいとあえて麻薬や酒に溺れようとする直治。社会に反抗するように札つきの不良として振る舞う作家の上原。二人の生き方には太宰自身の生き方が反映している

詳細情報
番組内容
かず子の弟・直治は貴族という生まれを呪い庶民に同化したいと願いあえて麻薬や酒に溺れようとする。一方、作家の上原は社会に反抗するかのように退廃的な生活にひたり、札つきの不良として振る舞う。二人の生き方には、太宰自身の必死の叫びがある。自らの悪を白日の下にさらけ出す二人は、そうすることで、大きな罪や矛盾をごまかし見ないふりを続ける世間の欺まんに対して「ほんとうのこと」を突きつけようとしているというのだ
出演者
【講師】作家…高橋源一郎,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】伊勢佳世,【語り】加藤有生子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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