歴史秘話ヒストリア「信長の楽園へようこそ〜3つの城のサプライズ〜」 2015.09.16


天正10年6月。
京都・本能寺で織田信長が襲われ命を落とします。
混乱の中信長の居城だった安土城も炎に包まれました。
今現地に残るのは礎石の跡だけ。
そこにどんな城が存在していたのか知る由もありません。
しかしその姿は遠くヨーロッパに伝えられていました。
「信長の楽園」と。
織田信長が築いた数々の城。
今各地で発掘調査が進み新しい発見が相次いでいます。
そこで発見されたのは巨大な石垣。
日本初の本格的な石造りの城です。
山のかたちがすっかり変わってしまうぐらいの事を当時やっていたんだろうと思います。
当時の常識では考えられない大工事。
一体何のために?天空にそびえる城岐阜城。
外国人宣教師がその様子を記録に残しています。
信長に招待され城を訪れた一行を待ち受けていたのは…。
よく分からない…信長が計算し尽くした岐阜城の仕掛けに迫ります。
そして…招かれた人々は信長ご自慢の金ぴか御殿を見学しました。
よう来たよう来た!どうじゃ?余の城は。
そこで人々が目にした驚きの光景とは?カ…カケヅクリ?今宵サプライズに満ちた信長の楽園へ皆さんをご案内します。
(信長の笑い声)織田信長がはるかに優勢だった敵今川義元を討ち取りました。
この合戦で信長は一躍その名を天下にとどろかせます。
当時信長が治めていたのは尾張国現在の愛知県西部です。
かつて敵の居城だった城を奪い取ったものです。
当時の城の様子です。
城は平地に築かれ川の水を引き入れた水堀を備えていました。
しかし清洲城には大きな弱点が…。
雨が降ると川が氾濫。
(信長)勝家!勝家は北へ行け!
(勝家)はっ!
(信長)藤吉郎南じゃ!
(藤吉郎)ははっ!治水に苦労した若き日の信長は考えました。
信長が目をつけたのが清洲の北東にある小牧山です。
ここに信長は初めて新築の城を築きます。
私今小牧山城をのぼっております。
麓から頂上までが50メートルと聞いてきたのでまあ大した事はないのではないかと思ったんですがこの階段の幅が広い事。
これがず〜っと上まで続いているんですよ。
大変です。
この小牧山城若き日の信長が思いのままに築いた城なので彼の理想が詰まっているにちがいありません。
それをですね確かめに上までのぼります。
やっと小牧山の頂上までたどりつきました。
いや〜久々の山登り。
ここでですね周りをこう見渡すと…確かにここ周り他に高い山が見えないんですよ。
ぐる〜っと。
つまり信長が治めた尾張というのは平らな国だったんですね。
この小牧山だけが唯一山という事です。
まあこれならばここに城を造れば確かに水害に遭う事はありませんね。
小牧山の山頂で意外な発見がありました。
巨大な石垣が出土したのです。
城に石垣は当たり前と思われるかもしれませんが実はこれ石垣が城に使われた最も古い例なのだそうです。
当時は城と言えば山城。
険しい地形を利用し堀や土塁まで設ければ敵の攻撃を防ぐには十分。
わざわざ石垣を築く必要などありません。
しかし小牧山城ではなぜか巨大な石を3段以上積み重ねて造った石垣が何重にも山頂を取り囲んでいたのです。
こちらに発掘された石垣の跡がそのまま残されています。
ちょっと触ってみましょうね。
ほら何かそのままの石岩を利用したという感じなんですがなんと1個が2トン以上もあるんですって。
この急な山をここまで運び上げてそして一個一個うまく組み合うように3段に組み上げていった事を考えるとどれほど大変な工事だったかと思いますよね。
当時の常識では考えられないような難工事を行ってまでなぜ信長は石垣を築いたのでしょうか?実はこの時信長は大きな課題に直面していました。
それは隣国だった強敵美濃国の攻略。
ここに小牧山城に石垣を築いた秘密が隠されています。
こちらは敵国である美濃側から小牧山を見た眺めです。
非常に平原の中に何もないところにぽつんとそびえる独立の丘陵ですのでとても目立つんですね。
なのでそこに今まで見た事のない石の要塞というお城が出現するというインパクトというのを重視して…遅れましてまことに申しわけござりませぬ!なにとぞ家中にお加え下さいませ!なにとぞ!突然現れた石の要塞に美濃の武将たちはびっくり。
先を争うように信長に味方する事を誓いました。
であるか。
大儀。
(信長)その方どもに先鋒を申しつける。
(3人)ははっ!皆の者出陣じゃ!
(家臣一同)はっ!見事な心理作戦で…岐阜県岐阜市の中心。
標高300メートルを超える山の上にそそり立つ城があります。
岐阜城です。
美濃を攻略した信長は…2番目の城はぐっと高くなりました。
麓からの高さ50メートルの小牧山に対してここ岐阜城はその6倍の300メートル。
今日はですね観光客の方もたくさんこのケーブルカーに乗ってらっしゃいます。
窓から外を見れば岐阜城がいかに急峻な山の上に築かれているかが分かります。
ロープウエーもなかった時代。
城に登るのはさぞかし大変だったでしょう。
こちらは山中に残る信長の時代の登山道。
歩いてたどると…大人の足でもたっぷり40分。
信長は行き来も一苦労なこの山の頂に家族と共に住んでいました。
頂上まで登ってまいりました。
私は楽をしてロープウエーを使いました。
歩いて来られた皆さんお疲れさまでございました。
この上レストランになっているんですよ今はね。
え〜それで一休みしたいとこなんですがあっこれ展望台ですって。
やっぱり頂上を極めないといけませんね。
上に上ってみましょう。
はあ〜来ました一番上。
うわ〜すごいですよ。
これはぐる〜っと。
360度になるわけですよねこれ。
絶景ですね。
信長もこの高〜いところからきっと見渡したんでしょうね。
濃尾平野を一望できる岐阜城。
こここそ信長が初めて天下取りを志した場所だとも言われているところです。
このころ信長が使い始めた「天下布武」の印。
「天下を武力で統一する」という信長の決意が表されています。
ここに来れば確かに何か信長ならずとも天下を取れるような気がいたします。
そこでひと言叫んでみようかと私思います。
いきます。
いきます!さて…信長が手を加えたのは山頂にある建物だけではありません。
城の全貌に迫ろうと岐阜市による発掘調査が30年以上にわたって行われています。
許可頂いてこの発掘調査現場に入ってまいりました。
この奥でほら皆さん働いてらっしゃいますよ。
あっこんにちは。
よろしくお願いします渡です。
私ね発掘現場って初めてなんですよ。
そうですか。
暑い中すいません。
いやいやいや。
皆さんこういう感じでほんとに手作業。
やはり機械だと壊してしまうので少しずつ手でこのようなかたちで掘り下げてます。
この場所にはひな壇のように土地が造成されいくつもの建物や庭園が造られていた事が分かってきました。
川をまたいで橋を渡し複数の建物が迷路のような通路でつながっていたのです。
この今目の前にある空間これも発掘されたものなんですか?そうですね。
更にこれから調査するんですが奥の方に崖があるんですが。
落ちちゃいますよね。
(高橋)ここを崖から登ってきて通路になってたんですね。
通路がありましてこちらの手前に石垣が見つかっております。
あっこれが石垣。
(高橋)ちょうど我々が今立ってるところがその建物の1階部分といいますか地面になるんですが…。
ここはどうなってるんです?じゃあ。
この通路は。
(高橋)恐らくはずっとですねこのへこんでる部分を覆ってしまうような建物がここにドンと建っていたんだろうと。
え〜!そうすると通路真っ暗じゃないですか。
(高橋)そうなんですよ。
地下通路みたいなものがあったと考えてまして。
地下通路?
(高橋)はい。
建物の下に設けられた地下通路。
一体何のためのものでしょうか?450年ほど前この通路を実際に歩いた人物がいました。
フロイスがここを訪れたのは信長が岐阜城に入って2年目の事。
その時の様子を記した記録が残されています。
「岐阜の町は人口8,000人から1万人。
塩を背負った多くの馬や豊富な商品を持参した商人たちが諸国から集まりあたかも伝説の都市バビロンのような混雑でした」。
フロイスたちは城下町でなんと信長本人と遭遇し言葉を交わしています。
その方らがわざわざ余に会うためかくも遠きところまで来るとは思わなかった。
大儀である。
その後…麓の館を訪ねた時フロイスが残した記録です。
この記述を発掘成果と照らし合わせて再現してみましょう。
入り口から入るとそこは暗い地下通路。
突き当たりは石段になっていてここから上に上っていきます。
現れたのは建物の1階部分。
20畳以上もある大広間です。
襖はまばゆいばかりの金箔で輝いています。
そして視線を外へ向けるとベランダの向こうに広がっているのは城下町の風景。
Oh!広間そして景色を鮮烈に見せる事をねらってわざわざ建物の入り口を地下に造ったというのです。
暗い空間を地下通路を上がってくる。
その上にはこれを覆うようなってすごく大きな建物ですよね?すごい大きな建物だと思います。
唯一ここだけ「広間」っていう表現がされてますしここには金箔を貼った瓦が見つかってましてここだけなんですよね。
そういうイメージの場所だと思います。
驚かせますよねえ。
そういうびっくりさせるような事が好きだったんですかね?普通の人がやらないような事をどうもいろいろやってるみたいなので。
家臣がやる事を自らやるとかそういうサプライズの天才のようなそういう人だったんじゃないかと思います。
信長公はすごい。
見る者を圧倒する景色とそれを劇的に見せる仕掛け「地下通路」。
岐阜城には訪れる客を驚かせようという信長の周到な計算が隠されていたのです。
滋賀県にやって来ました。
あちらに見えますのが安土山。
ここに信長は生涯最後の城を築きました。
今見ますと田園地帯にあるさして高くもないごく普通の山の一つです。
どうしてこんなところに城を築いたのか不思議に思います。
新しい城で信長が目指したのはもはや高い場所に造る事ではありませんでした。
信長は岐阜城を訪れたフロイスにこんな言葉をつぶやいています。
そなたに余の邸を見せたかったがそなたがヨーロッパやインドで目にした建物に比べ見劣りを感じるかもしれず見せたものかどうか迷っておったのだ。
信長が海外の建築を強く意識しそれに負けない城を築きたがっていた事がうかがえます。
世界に誇れる城を造るという信長の夢はやがて天下統一が目前に迫った頃実現します。
安土城です。
その姿は空前絶後他に類を見ない独創的なものとなりました。
際立って目を引くのは「天主」と呼ばれる高層建築。
記録によれば赤・青・金色と色彩豊かで八角形の望楼を備えていました。
しかし人々を驚かせたのは天主の形だけではありません。
安土城跡の山の麓に来ました。
この辺りを歩いておりますとこうした沼がところどころ残されています。
これは当時の安土山周辺この一帯の様子が今とは全く異なっていた事を教えてくれてるんです。
現在安土城跡の下には広大な田んぼが広がっています。
しかしかつては…。
そしてその上に信長は城を築いていた事になります。
湖に姿を映した完成当時の安土城の姿。
これ何かに似ていると思いませんか?そう。
フランスが誇る…鏡のような水面に映えるその端正な姿は安土城そっくり!安土城が現存していれば世界遺産間違いなしかもしれません。
事実湖にそびえる安土城の威容は遠くヨーロッパまで伝えられこのようにたたえられています。
「安土山の城信長が築いた楽園」と。
そして安土城では楽園の名に恥じない幻想的なイベントも催されました。
それは…城のライトアップ。
もちろん日本史上初の試みです。
多くの明かりがともされたその夜の様子はこう伝えられています。
「信長公は安土城の天主にたくさんの提灯を吊るさせた。
家臣たちは手に手に松明を持って辺りを照らした。
城も城下町も水に映った姿が言いようもなく…」。
見る人を驚かせる巨大な舞台装置安土城。
しかしこの城には信長のさらなるサプライズが隠されていた事が近年の調査で明らかになってきました。
(信長の笑い声)安土城の本丸にのぼろうとしております。
こちらは発掘で出土した本丸へのメインルート大手道です。
両側にこうした石垣が築かれておりましてもうこの立派な大階段が上までず〜っと続いています。
頑張ってのぼりきります。
大手道の左右にはひな壇のように敷地が造成されています。
そこに信長は重臣たちの屋敷を造らせました。
そして小牧山城や岐阜城と同じようにここでも信長は山頂に建てた屋敷に暮らしました。
この石段ね一つ一つ高さもありますし幅あるんですよね。
それでまあ昔の人って今より多分背も低いから一体どういう歩幅で歩いてたんでしょう。
何かだんだん怒ってきました私。
信長は馬に乗ってここ行ったかもしれませんよお殿様ですから。
それから高貴なお方がお客人として来る時は輿か何かで行ったんでしょうね。
でも普通の家臣は上から呼びつけられたらたまったもんじゃありませんよね。
かつてはこの部分に門があったのだそうです。
門ですからこういう感じでしょうか。
立派な門だったでしょう。
そしてその門を入りますとこれ天主台があるんです。
残ってるんですよ。
そしてこの天主台の上に例のあの人目を引く誰も見た事のないような色とりどりの天主があった。
そういう場所なんですねここ。
実はこの場所で近年極めて奇妙な遺跡が見つかりました。
それは天主台のすぐ下石垣の脇。
平成15年に行われた発掘調査の時の事です。
2列に並んだ礎石と思われる石が少なくとも20個確認されました。
ちょうどこの辺りですね。
奈良大学学長の千田嘉博さん。
城郭考古学の専門家です。
礎石があるという事はそこに何らかの建物が建っていたはずです。
天主台を見えなくしてしまうような建物が天主台のこの前面に建っていたというのはかなりこう異例な事のようには思われます。
天主台のすぐ前にあった建物。
何のためのものなのでしょう?
(鐘の音)謎を解くカギは日本からはるか遠い国に残されていました。
天正13年九州のキリシタン大名が派遣した遣欧少年使節がローマ教皇に謁見しました。
その時使節は信長が絵師の狩野永徳に描かせた屏風絵…今ではその行方は失われどのような絵だったか不明です。
しかし断片的に知る手がかりは残されています。
千田さんは文献を調べるうち1つの史料に出会いました。
安土城の天主は謎が多いんですけれども狩野永徳が描いた安土の屏風をウィンゲという方が写した絵がこれなんです。
17世紀のベルギー人画家ウィンゲのスケッチです。
「安土城のタワー」として紹介されています。
安土城天主を写し取ったと考えられる唯一の絵です。
高層の建物の前に何か別の建築物が描かれています。
これこそが謎の建物ではないかというのです。
(千田)まさにこの部分というのは…これは何なのか?千田さんは17世紀初頭にポルトガル人宣教師が編纂した辞書のある言葉に注目しました。
「Caqezzucuri」。
意味は…実はこの「懸造」日本の伝統的な建築様式の一つです。
最も有名な懸造は京都の清水寺に。
本堂前の有名な清水の舞台がそれです。
切り立った崖に沿うように材木を組み舞台の大きな重量を支えています。
このように懸造は敷地の限られた山の中のお寺によく用いられました。
千田さんはベルギー人画家の絵に描かれているのは懸造の建物だと考えました。
張り出した懸造というのはあたかも舞台のように開け放つ事ができるそういった構造になっていたという事が読み取れますので…しかし軍事施設である城に懸造を設ける事は極めて危険と考えられます。
下から火を放たれれば火の手を城本体にまで及ぼす導火線となってしまうからです。
城に懸造などありえるのか?千田さんは史料を見直す中で興味深い事に気付きました。
(千田)小牧山城です。
石垣の調査の中で非常に面白いものが見つかっています。
石垣の直下の部分に非常に大きな柱の穴というのが見つかっています。
信長が築いた小牧山城でも懸造の痕跡と見られる礎石の跡がありました。
これまで見過ごされていたものです。
(千田)こういう大きな御殿の建物が本丸に建っていて南側に対しては懸造でこう張り出していたというこういう御殿の姿を想定していいと思います。
岐阜城もまた同じ。
小牧山岐阜安土次々と出てきた懸造。
これは一体何を意味するのでしょうか?その謎を解き明かす手がかりは懸造の場所にあるのではないかと千田さんは考えました。
この懸造の建物と家臣たちが歩いた大手道との動線人の動きというのの関わりを考えてみますと実は面白い事が見えてきます。
例えば小牧山城。
家臣たちは大手道をのぼって本丸に入ってきます。
懸造の建物はその正面に置かれていました。
岐阜城でも懸造があるのは城の表玄関に当たる場所でした。
そして安土城でも。
大手道がいよいよ本丸中心部に入っていくあるいは山麓の御殿の大事な場所に入っていくという…懸造を設ける目的。
それは古文書からうかがい知る事ができます。
安土城の懸造を目撃した人々の記録が残されているのです。
「お城に新年のご挨拶に伺った。
おびただしい数の人だった」。
「三の御門を入るとそこは天主の下でお白州になっていた」。
人々の目の前にそびえる壮大な安土城天主。
すると…。
おおっ信長様じゃ!信長様じゃ!そこに現れたのは信長でした。
(信長)よう来たよう来た。
どうじゃ?余の城は。
信長が立っていたのは天主の前に設けられた…天主を背景に人々を見下ろし声をかける。
信長にとって最高のステージです。
そういった一つの…
(信長)その白州では冷えるゆえまず南の館へ上って見物でもするがよい。
(信長の笑い声)今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
後にも先にも例がないと言われている安土城天主の独特な姿。
今城の記録や同時代の美術品などを参考に天主内部を再現する作業が専門家によって進められています。
失われた安土城天主が400年以上の時を超えよみがえりました。
天主の1階。
そこは12畳の座敷。
襖にはガチョウが描かれています。
ここは…一段高くなっている4畳のスペースが信長が座った場所「御座」と考えられています。
そこを取り巻く絵はキジやハトが我が子をかわいがる姿。
親子のような絆で結ばれた主君と家臣の関係をたたえています。
2階に上がると更に広い20畳敷きの部屋。
馬が戯れる牧場を描いた水墨画の世界。
信長の身の回りを世話する家臣たちの控えの間だったようです。
そして5階は展望台です。
八角形で部屋全体が金箔で飾られています。
6階床は一面漆塗り。
ここも金箔があしらわれた贅沢な空間です。
「三皇五帝」「竹林の七賢」など中国の伝説的聖人の絵画に囲まれます。
「上も輝き下も輝くといったありさまでそのすばらしさはなんとも言い表しようがない」。
しかし信長が用意していた最高のサプライズ。
それは…。
天主最上階から見た湖の絶景です。
信長のこんな言葉が伝えられています。
2015/09/16(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「信長の楽園へようこそ〜3つの城のサプライズ〜」[解][字]

今、各地で織田信長が築いた城の発掘調査が進み、新事実が次々と明らかになっている。小牧山城、岐阜城、安土城を訪ね、サプライズに満ちた「信長の楽園」の実像に迫る。

詳細情報
番組内容
今、織田信長の城がアツい!各地で信長の城の発掘調査がすすみ、新たな事実が次々と明らかになっている。なかでも天下取りに乗り出してから暮らした3つの城〜小牧山城、岐阜城、安土城は、信長独自のアイデアや理想が強く込められた「信長の楽園」だった。覇者への階段を駆けのぼる信長の野望や人生を刻む巨大な記録碑でもあった3つの城を訪ね、最新研究や再現CGを織り交ぜながらサプライズに満ちた信長の城の魅力に迫る。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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