探検バクモン「ニッポン労働ブルース 浪花節編」 2015.09.16


「探検バクモン」。
大阪のあいりん地区通称「釜ヶ崎」
外人が多いんだねこの辺。
高架をくぐったその先は日本最大の日雇い労働者の街
爆笑問題がそこで見たものは?
(田中)ここが。
(田中)50年前から!
釜ヶ崎が全国に知られるようになったきっかけは1960年代に相次いだ暴動。
根底には労働者たちが受けてきた不当な差別への怒りがあった
釜ヶ崎の街を歩いてみた
(田中)あっ街頭テレビ!
(サヘル)ホントだ。
あっホントだ。
30円ほら。
そこは義理と人情が生きる街
(サヘル)巨人ファンなんだ。
(田中)うそでしょ!
2回にわたり釜ヶ崎を探検。
ニッポンの経済成長を支えた労働者の街は今?
ハハハハ。
あっパトカーが2台。
何か事件じゃないですか。
大丈夫ですかね。
いやそこの…。
巡回してんの?常に。
なかなかちょっとこういう所っていうのはね。
案内人は釜ヶ崎に住んで45年水野阿修羅さん
鉄筋工やトラックの運転手などをしながら釜ヶ崎の歴史や暮らしをテーマに執筆活動を行っている
訪れたのは街の中心にある公園
そしてこちらが公園でしょうか。
あら!これ不思議な空間だね。
(田中)公園。
ここはどういう場所ですか?
(サヘル)ホントだ。
これみんなでここで?ジャパネットやってる。
NHK的に思いっきり…ハハハハ!あんまり無意味だと思うけど。
ここでジャパネットやっても。
NHKとしては画面は…あダメだ。
(田中)そっか。
50年前から。
いわゆるホントに街頭テレビがまだある時代からずっと…あり続けた。
皆さんちょっと…あそこには立派な。
あれ何でしたっけ?
(サヘル)どんな感じなんでしょうねここからあれを見るって。
そうか。
(田中)そうですよね。
だから大阪中日本中に…
日本一の高層ビルあべのハルカスからわずか1キロほど
面積0.3平方キロメートルの地域におよそ2万人が暮らしている
その多くは建築や土木の現場で働き日当を得てきた人たちだ
高度経済成長期の釜ヶ崎。
ここに来れば仕事があると農村や閉山した炭鉱から多くの人々が流れ込んできた
高層ビルや高速道路の建設。
全国各地に派遣され先進国ニッポンの姿を作っていった。
労働者たちは仕事が終われば釜ヶ崎へと舞い戻りまた次の仕事を探した。
やがて彼らにとって釜ヶ崎は本当のふるさとのようになっていった
しかし一旦不況になれば彼らは切り捨てられ路上生活を強いられた
社会に対する不満や怒りは度々暴動という形で噴出した
我々でも…阿修羅さん…参加したの?まあいろんな…
ここでミッション
一行がやってきたのは釜ヶ崎を象徴する巨大な建造物。
ここには日雇い労働者のためのさまざまな機能が集まっているのだが…
最初に見つけたのは…
ここに車が入ってますけども…あそこで求人。
ここで求人できるんです。
(田中)なるほど。
表に札が貼ってあって。
こういう感じで仕事の職種賃金があそこに貼ってあるのがこれです。
(田中)これは引かれるのね。
だから…
(田中)大体これぐらいが相場。
これが相場ですね。
とび職とか大工さんだと…。
専門職みたいな人は。
1万5,000円2万円。
もうちょっとね。
釜ヶ崎の朝5時。
業者と労働者が一斉に集まってくる
仕事はほとんどが建築や土木。
現場は全国各地に広がっている
労働者と業者は直接話し合い条件面で合意すれば業者の車で現場に向かう
バブルのころには年間で370万人あった求人数。
しかし年々減少し今では50万人ほどになっている
水野さんが案内した掲示板。
そこに掲示されていたのは…
ひょっとしたらこの街に来てるんじゃないかなという事で。
はあそうかそうか。
(田中)減ったの?これで減ったんです。
流れ流れて恐らくこの辺でいるんじゃないかということだろうね。
そうなんですね。
まあ死んじゃってるケースもあるやろうけどね。
まあね。
これがきっかけでね田舎に帰る人も出てくると思うんでね。
ただ帰りたくない人もいっぱい。
不安定な日雇い労働者のためのセーフティーネットもある
「職業安定所」って書いてあるじゃないですか。
ここは仕事紹介しないんです。
(田中)ここは仕事は紹介しない。
公共職業安定所といえば普通は仕事を紹介するがここでは違った役割を担っている
これから…で皆さん待ってる。
(田中)あそれを待ってる。
こういうね日雇い失業保険の制度があってこれ国の手帳なんですけども。
水野さんが見せたのは通称「白手帳」。
あいりん職安では白手帳の発行や手当の支給などを行っている。
仕事をした日数だけ印紙を貼ってもらう。
2か月26日以上で次の月仕事がない日に手当が支給される
失業保険?はい。
雇用保険という…なるほどねぇ。
手帳の番号がねあそこへ出てで順番に。
持ってないのね。
のほうが多いということね。
これは今…炊き出ししてるの。
(田中)炊き出し。
食べてはる。
(田中)食べてますね。
(サヘル)すごい並んで。
これは?結核?これで検診に来てる。
今最新式なんですぐ分かるんで結核がかかってるってことになったらすぐ病院が車で来て。
そうしないと…
(サヘル)そうなんですね。
ありがとうございます。
(男性)この人べっぴんさんやな。
こんにちは。
(男性)太田。
いい調子だね。
なんやこら。
あ仕事がないのか。
ないねん。
わい島根。
あ島根。
ああそう。
頑張って。
ありがとう。
健康気を付けて。
ありがとう。
どうも。
ありがとう。
また!
長年釜ヶ崎で暮らしてきた男性を訪ね日雇い労働の話を聞くことにした
ああこんにちは。
(サヘル)こんにちは。
どうもどうも。
でちょっと中を。
(田中)あどうもこんにちは。
吉田良一さん79歳。
釜ヶ崎で暮らして55年になる
でも若いですね。
80歳に見えない。
若いね。
血色いいよね。
えっ!?1万歩?
(笑い声)ここ1万歩歩くか!ずっとこの街からね他の区をずっと回って。
子供はおらへん。
大きな青函連絡船の船なんかだいぶあん中仕事したで。
あそうなんですか。
へえ。
泊まりの仕事では現場近くに建てられた「飯場」と呼ばれる宿舎に入ることが多い。
その中には悪質な業者今で言うブラック企業もあったという
でご飯もまともにない。
そんなとこあったんや。
ひどいね。
途中で小屋が掘っ立て小屋みたいな小さい小屋誰か番人がおるようなところそれが何か所もあんのや。
で夜中真っ暗けやからわざわざ海のとこまで崖ダーッと下りて逃げてずうっとほんで水際をダーッて逃げてほんで大阪まで逃げて帰ってきて。
見張りとかって別に悪いこと罪人じゃないのに聞くとすごい世界。
昔はそんなとこがあった。
吉田さんは40年近く釜ヶ崎を拠点に各地の現場で働いてきた。
老後を迎えた今ついの住みかは釜ヶ崎だと考えている
10月で80やで。
80でどこも使うてくれへんわ金は残ってないわいうたらどうしたかてもうこの街しかない。
行ったら仕事あるいうことで半世紀以上おるねん。
(田中)半世紀以上。
「今まで何しとった」とかね。
へえ〜。
・「身の上話にオチがつき」・「ここまで落ちたというけれど」・「根性まる出しまる裸」・「義理も人情もドヤもある」・「ここは天国」・「ここは天国釜ヶ崎」
「探検バクモン」
見ないうちに今言ってなかった?どこ行くの?そこまで。
みんな知り合いみたい。
知り合いみたいだ。
ホントこれすごいよね。
ありがとう。
ありがとう。
ちょっとてれるって。
ハハハハハ。
大阪来るといっつもそう思うね。
ここはね。
話しかけてきますよね皆さんね。
フレンドリーな人が。
太田には気になることがあった
あ住んでるんです。
だから…そういうことですか。
まあいろんな事情があって生活保護をとるためには…そういう人もいるんだ。
自分でアルミ缶集めてね働いてるっていう人も。
だからアルミ缶を集めてね働いてる人が分かるのはこの自転車なんです。
えっ?こんなふうに…アルミ缶っていうのはどっかに売れるんですか?寄せ屋さんというところが買ってくれるので。
それで生活してる人はすごく多いんです。
これもそうですよね。
あっそんなになるんだ。
なるんでね何とか生活できる。
結構ですよねそれはね。
でここは日雇いの人たちが多かったので日払いのホテルがいっぱいあるというね。
で「ドヤ街」っていう。
「宿」をひっくり返して「ドヤ街」って言うんですけども。
ここでミッション
ここは少しでも労働者をいっぱい入れようっていうので…1畳!だから古いんですね。
こちらもこちらもね。
釜ヶ崎に立ち並ぶ日払いの簡易宿泊所。
その数はバブルのころ200を超えた
現在では3畳一間が中心。
ここをねぐらに労働者たちは仕事を探しに行く
もう一つの釜ヶ崎の特徴が貸しロッカーの多さ。
宿を出る時にここに荷物を預ける。
ロッカーは大きさによって値段が異なる
これが一番人気のタイプでひとつき2,000円だ
でも水野さんなぜこういういろんな…今上ホテルだったんですけど上消しちゃったんです。
大阪はホテルのままだと生活保護駄目なんですよ。
それで。
あ〜ホテル住まいじゃ生活保護が受けられない。
バブル崩壊後長引く不況の中多くの労働者が職も蓄えも失った
簡易宿泊所に住めなくなった労働者の多くは路上生活を余儀なくされた。
その数大阪市で1万人近くとも言われた。
こうした中野宿者が生活保護を受給できるよう簡易宿泊所の多くが次々アパートに転換していった
ここもね昔はホテルだったんですけどねアパートにしてね高齢者がいっぱい。
ケアが付いてるから「ウェルフェアマンション」とかね。
釜ヶ崎では住民の4割が65歳以上の高齢者
(サヘル)西口さんこんにちは。
どうもどうも。
このアパートでは高齢者が利用しやすいようさまざまな工夫を始めた
(田中)あっ大きい大きい。
ホントだ。
(田中)あはいはい。
スロープになってるね。
更に受付では…
もうね今日ね朝の分渡したんで今あんまり残ってない。
薬ね。
でこうやって持って帰ってこられるんですけど中がよう分かってはらへんのでほんで1人ずつ分けて。
親切だなこれは!ここに水と紙コップ用意してて目の前で。
目の前でのんでもらう!だからここね…24時間ずっといるんだここに人が。
正月も盆も。
というのは…で夜勤の人に「とめてね」と。
で結構素直にみんな聞いてくれるんですよ。
「出たらあかんよ」って言ったら。
次に案内されたのは談話室。
もともとは部屋が並んでいた場所だという
ここ窓3つあるんでこれ3室分と廊下でここを作ってるんです。
あ〜そっか。
もともとこう仕切られてたんだ。
3つの部屋に。
あ〜そういうことか。
それ潰して交流のために。
始めた時はねもう…多い時はね日に20人入居されたとか。
日に20人!「まあまあまあ」と入って。
そりゃ大変ですね。
で1人ずつ話を聞いて。
そういう声かけとか。
(田中)「来てない風呂に」とかね。
そうそうそう。
西口さんは不況の中で労働者たちが使い捨てられるようにホームレス化していく姿に心を痛めていた。
それにはある理由が
もともと簡宿業旅館の息子として生まれてずっと育ててくれた人たちなんです。
その人らのおかげで大学も行かしてもうてるしどないかでけへんのかというのが一番にあったんです。
今まで…実はやっぱり元いてた…生きづらくなってここに来て。
(田中)そうかそうか。
ニッポンの経済成長を支えてきた釜ヶ崎の労働者たち。
高齢化した今彼らの多くがここ釜ヶ崎をついの住みかに選んでいる
ここもう…いや…Dialogue:0,0:23:34.83,0:23:37.83,De2015/09/16(水) 22:55〜23:20
NHK総合1・神戸
探検バクモン「ニッポン労働ブルース 浪花節編」[解][字]

大阪あいりん地区、通称“釜ヶ崎”と呼ばれる日本最大の日雇い労働者の街を探検。全国の建設現場で働き、日本の高度経済成長を支えてきた人たちの労働と生活の現場を目撃。

詳細情報
番組内容
大阪あいりん地区、通称“釜ヶ崎”。ここで暮らす2万人の労働者は全国の建設現場で働き、日本の高度経済成長を支えてきた。しかし長びく不況の時代、ホームレスとなる人も増え路上死も相次いだ。いまは多くの人が生活保護を受給しているが、日雇いで働き続ける人もいる。爆笑問題は日雇い雇用の現場や簡易宿泊所から転換したアパートなどを探検。いま、釜ヶ崎で何が。労働者たちの暮らしに触れ、生々しい経験を知る。
出演者
【ゲスト】文筆業…水野阿修羅,ラッパー…SHINGO西成,サヘル・ローズ,【司会】爆笑問題(太田光・田中裕二),【語り】木村昴

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
バラエティ – 旅バラエティ

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日本語
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日本語(解説)
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