共産主義とは、平等な社会の構築を目指す思想ないしは運動を指します。
平等な社会をどうすれば実現できるか? という問いは、カール・マルクスやレーニンなどが登場するずっと以前から、人類が考え続けてきた問題です。たとえば聖書の中に平等な社会について言及されているし、プラトンの『国家』にもこの命題は登場します。
こんにち我々が共産主義と聞いたとき頭に思い浮かべる、「平等な社会を実現するには私有財産の否定は避けて通れない」という主張を最初に提唱した人は、フランソワ・ノエル・バブーフです。
バブーフはフランス革命の真只中で「どうすればフェアな社会を構築することができるか?」ということを必死に考えました。
もちろん、彼だけじゃなく、フランス革命に加担した多くの人々が、同じ思いによって突き動かされていたと思います。だからフェアな社会を構築したいという情熱は、なにもバブーフの専売特許ではありません。ただ私有財産の全否定を最初に打ち出したのはバブーフだったということです。
革命が起きた時、バブーフは、まず同じ志をもつロベスピエールと組みました。
ところが途中からこの二人は意見が合わなくなって袂を別ちます。
その後、バブーフはロベスピエールらによって捕えられ、監獄に入れられます。つまり昔の同志が敵になったわけです。このへんはイメージとしては日本の大学紛争の時の内ゲバみたいなノリですけど、どうも革命思想家や共産主義にはこういう仲間割れというのがつきものという印象があります。
さて、話をフランス革命に戻せば、ロベスピエールがギロチンにかけられた後、バブーフはようやく特赦により出獄します。それも束の間、今度は謀反を企てたとして再び投獄されてしまいます。
このようなことの繰り返しの中から「完全な平等(absolute equality)の実現には、完全な私有財産の否定しかない」というラジカルな思想が醸成されたのです。これが1794年のことです。
当時バブーフと行動を共にした同志、フィリポ・ブオナローティが、それから30年ほど後になって、当時を回顧する革命史を記しました。その中で、はじめてバブーフの「私有財産の否定と富の貧民への分配」の思想を「共産主義(Communism)」として紹介したのです。
その後、ドイツ人のヴィルヘルム・ヴァイトリングという人が登場します。彼は1835年にパリに行き、バブーフやブオナローティの思想に接します。もともとヴァイトリングは博学で、アリストテレスやホーマーなどの思想にも詳しかったので、それらをバブーフの共産主義思想と合体させ、発展させました。
カール・マルクスは、たぶんヴァイトリングの書いたものなどを通じて平等な社会の構築を巡る、過去のいろいろな試みに関する体系的な知識を得たと思われます。
ところで、偶然だとは思うけど、平等な社会の実現という問題を巡って、ちょうど100年毎に、区切りとなる大事件が起きているのは興味深いです。それらは1789年(フランス革命)、1889年(第二インターナショナルの集会)、そして1989年(ベルリンの壁崩壊)です。
もちろんドイツ人のカール・マルクスが考えた平等社会はフランス革命とは直接関係ないわけですが、のちにマルクスが色々な書物に接しながら自分の考えを練ってゆく過程で、たとえばルソーの『社会契約論』で展開された議論をタタキ台として、自分の考えに合う箇所は採用し、自分の考えに反する部分は切り捨てながら、理論を構築して行ったことは重要です。
言い換えれば、マルクスは、何もないところから、突然、ひらめきを得たのではなく、先人たちの功績を踏まえた上で自らの理論を構築したということです。
マルクスはギリシャ神話のゼウスとプロメテウスの話が特に気に入っていました。
ゼウスはもちろん、全知全能の神ですが、いわば父親的な存在と言って良いと思います。
これに対してプロメテウスは「火」をゼウスから盗み、それを人類にプレゼントしてしまうわけです。人類は「火」を与えられたことで知識(knowledge)を得て、そこから人類の進歩がはじまります。
しかしこの行為は頑固親父的な存在であるゼウスの逆鱗に触れます。プロメテウスはコーカサスの岩山に鎖でつながれ、鷹に内蔵を喰われる刑に処せられるわけです。
この「反逆児」的なプロメテウスにカール・マルクスは大きなインスピレーションを得ます。プロメテウスは、全能の神と全く無力で畜生同然の人間という関係はフェアじゃないと憤り、「火」を人間に渡すことで、それまでの「親と子」のような上下関係、若しくは服従関係ではなく、兄弟の契りのような水平的な平等関係を押し進めます。これはとてもモダンな価値観と言えるでしょう。
マルクスは「プロメテウスこそ最も称賛に値する聖人的存在であり、かつ哲学上重要な殉教者だ」とべた褒めしています。
いまフランス革命直前のフランスの社会をみると、アンシャン・レジーム(旧体制)と呼ばれる上下関係を軸とした社会体制がありました。つまり聖職者、貴族、そして市民や農民らの第三身分という垂直的な秩序です。
これは帝政時代のロシアにも共通する社会秩序だと言えるでしょう。
さて、ルソーの考えた理想社会は自分を犠牲にしてまで同胞との連帯を重んずる、ある種のフラタニティーのような社会でした。ルソーはまた「自然に帰れ」という考えを持っており、複雑で現代的な政治機構や産業を嫌いました。
フランス革命の最中に、そのようなルソーの牧歌的な理想社会の概念を、きちんとした国家機構に作り替えようとしたのが、ジャコバン党ならびにロベスピエールだったわけです。
しかし革命の勢いを維持し、しかも党紀から逸脱しようとする「はみだし者」を律するためロベスピエールらはだんだんギロチンという正義を行使するための道具を多用しはじめます。言い換えれば平等な社会の構築という崇高な目標を実際に行動に移し始めると、民心の統一(unity)を維持するのは並大抵の努力ではないことが次第に明らかになったということです。
体制を覆すには人々の熱い情熱が必要だけれど、新体制に移行しようとすると、とたんに行政的必要から安定が必要となるし、総意に従おうとしない反対意見に対しては、それを抑える必要が出てきたというわけです。
カール・マルクスは、このジャコバン党の変遷についても詳しく研究し、その結果(革命の際、必要となれば暴力も辞さない)という結論に到達します。
ところでカール・マルクスの奥さんはジェニー・フォン・ウエストファーレンという綺麗な女性で、彼女のお父上であるバロン・フォン・ウエストファーレンは浪漫的な考えを持ち、ホーマーやシェイクスピアを愛読する夢想家でした。マルクスがコチコチに凝り固まった革命思想をこねまわしていると、愛妻のジェニーが「そんな理屈ばかりでは大衆は動きません。彼らの浪漫的な想像力に訴えるべきよ」とアドバイスしたそうです。
平等な社会をどうすれば実現できるか? という問いは、カール・マルクスやレーニンなどが登場するずっと以前から、人類が考え続けてきた問題です。たとえば聖書の中に平等な社会について言及されているし、プラトンの『国家』にもこの命題は登場します。
こんにち我々が共産主義と聞いたとき頭に思い浮かべる、「平等な社会を実現するには私有財産の否定は避けて通れない」という主張を最初に提唱した人は、フランソワ・ノエル・バブーフです。
バブーフはフランス革命の真只中で「どうすればフェアな社会を構築することができるか?」ということを必死に考えました。
もちろん、彼だけじゃなく、フランス革命に加担した多くの人々が、同じ思いによって突き動かされていたと思います。だからフェアな社会を構築したいという情熱は、なにもバブーフの専売特許ではありません。ただ私有財産の全否定を最初に打ち出したのはバブーフだったということです。
革命が起きた時、バブーフは、まず同じ志をもつロベスピエールと組みました。
ところが途中からこの二人は意見が合わなくなって袂を別ちます。
その後、バブーフはロベスピエールらによって捕えられ、監獄に入れられます。つまり昔の同志が敵になったわけです。このへんはイメージとしては日本の大学紛争の時の内ゲバみたいなノリですけど、どうも革命思想家や共産主義にはこういう仲間割れというのがつきものという印象があります。
さて、話をフランス革命に戻せば、ロベスピエールがギロチンにかけられた後、バブーフはようやく特赦により出獄します。それも束の間、今度は謀反を企てたとして再び投獄されてしまいます。
このようなことの繰り返しの中から「完全な平等(absolute equality)の実現には、完全な私有財産の否定しかない」というラジカルな思想が醸成されたのです。これが1794年のことです。
当時バブーフと行動を共にした同志、フィリポ・ブオナローティが、それから30年ほど後になって、当時を回顧する革命史を記しました。その中で、はじめてバブーフの「私有財産の否定と富の貧民への分配」の思想を「共産主義(Communism)」として紹介したのです。
その後、ドイツ人のヴィルヘルム・ヴァイトリングという人が登場します。彼は1835年にパリに行き、バブーフやブオナローティの思想に接します。もともとヴァイトリングは博学で、アリストテレスやホーマーなどの思想にも詳しかったので、それらをバブーフの共産主義思想と合体させ、発展させました。
カール・マルクスは、たぶんヴァイトリングの書いたものなどを通じて平等な社会の構築を巡る、過去のいろいろな試みに関する体系的な知識を得たと思われます。
ところで、偶然だとは思うけど、平等な社会の実現という問題を巡って、ちょうど100年毎に、区切りとなる大事件が起きているのは興味深いです。それらは1789年(フランス革命)、1889年(第二インターナショナルの集会)、そして1989年(ベルリンの壁崩壊)です。
もちろんドイツ人のカール・マルクスが考えた平等社会はフランス革命とは直接関係ないわけですが、のちにマルクスが色々な書物に接しながら自分の考えを練ってゆく過程で、たとえばルソーの『社会契約論』で展開された議論をタタキ台として、自分の考えに合う箇所は採用し、自分の考えに反する部分は切り捨てながら、理論を構築して行ったことは重要です。
言い換えれば、マルクスは、何もないところから、突然、ひらめきを得たのではなく、先人たちの功績を踏まえた上で自らの理論を構築したということです。
マルクスはギリシャ神話のゼウスとプロメテウスの話が特に気に入っていました。
ゼウスはもちろん、全知全能の神ですが、いわば父親的な存在と言って良いと思います。
これに対してプロメテウスは「火」をゼウスから盗み、それを人類にプレゼントしてしまうわけです。人類は「火」を与えられたことで知識(knowledge)を得て、そこから人類の進歩がはじまります。
しかしこの行為は頑固親父的な存在であるゼウスの逆鱗に触れます。プロメテウスはコーカサスの岩山に鎖でつながれ、鷹に内蔵を喰われる刑に処せられるわけです。
この「反逆児」的なプロメテウスにカール・マルクスは大きなインスピレーションを得ます。プロメテウスは、全能の神と全く無力で畜生同然の人間という関係はフェアじゃないと憤り、「火」を人間に渡すことで、それまでの「親と子」のような上下関係、若しくは服従関係ではなく、兄弟の契りのような水平的な平等関係を押し進めます。これはとてもモダンな価値観と言えるでしょう。
マルクスは「プロメテウスこそ最も称賛に値する聖人的存在であり、かつ哲学上重要な殉教者だ」とべた褒めしています。
いまフランス革命直前のフランスの社会をみると、アンシャン・レジーム(旧体制)と呼ばれる上下関係を軸とした社会体制がありました。つまり聖職者、貴族、そして市民や農民らの第三身分という垂直的な秩序です。
これは帝政時代のロシアにも共通する社会秩序だと言えるでしょう。
さて、ルソーの考えた理想社会は自分を犠牲にしてまで同胞との連帯を重んずる、ある種のフラタニティーのような社会でした。ルソーはまた「自然に帰れ」という考えを持っており、複雑で現代的な政治機構や産業を嫌いました。
フランス革命の最中に、そのようなルソーの牧歌的な理想社会の概念を、きちんとした国家機構に作り替えようとしたのが、ジャコバン党ならびにロベスピエールだったわけです。
しかし革命の勢いを維持し、しかも党紀から逸脱しようとする「はみだし者」を律するためロベスピエールらはだんだんギロチンという正義を行使するための道具を多用しはじめます。言い換えれば平等な社会の構築という崇高な目標を実際に行動に移し始めると、民心の統一(unity)を維持するのは並大抵の努力ではないことが次第に明らかになったということです。
体制を覆すには人々の熱い情熱が必要だけれど、新体制に移行しようとすると、とたんに行政的必要から安定が必要となるし、総意に従おうとしない反対意見に対しては、それを抑える必要が出てきたというわけです。
カール・マルクスは、このジャコバン党の変遷についても詳しく研究し、その結果(革命の際、必要となれば暴力も辞さない)という結論に到達します。
ところでカール・マルクスの奥さんはジェニー・フォン・ウエストファーレンという綺麗な女性で、彼女のお父上であるバロン・フォン・ウエストファーレンは浪漫的な考えを持ち、ホーマーやシェイクスピアを愛読する夢想家でした。マルクスがコチコチに凝り固まった革命思想をこねまわしていると、愛妻のジェニーが「そんな理屈ばかりでは大衆は動きません。彼らの浪漫的な想像力に訴えるべきよ」とアドバイスしたそうです。