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とある中年女性の日記

一人の時間と惰眠を愛するわたしの脳内と暮らし

御在所岳で遭難した話「パニックになったらいけないよね」(長いです)

御在所って急に言われてもねえ。

って方、三重県鈴鹿山脈の1000m級の山です。ロープウェイが観光の目玉ですね。山麓には湯の山温泉という温泉街?があり、うん、なかなか風光明媚なところですよ。

御在所岳 - Wikipedia

 

この山、いくつかの登山道が整備されていて中学生が遠足などで登ったりもします。

登山向きかと言えば基本初心者でもOKですし、超メジャーな山と言っていいと思います。今回の記事はそこで「九死に一生を得た」話です。

 

登りは裏道から

まあ、言うても登山ですから、それなりにしんどかったですよ。でもわたしも当時は20代でしたし、汗をかきながら登って頂上にはわりと普通にたどりつきました。なお、登りは同行者が何度も登ったことのある裏道を利用しました(わたしは全くの初心者、同行者はセミベテランといったところです)。天気も良くて眺めは爽快だし、山頂で食べるおにぎり、ベタだけどあの美味しさも今でも思い出せます。

 

冒険心を出して下山は中道で

それなりに頂上の散策をした後は下山です。

http://www.gozaisho.co.jp/gif/photo/r-jizo000dn.JPG

御在所ロープウエイ OFFICIAL SITEより引用

山は日が暮れる前に余裕を持って下山する。そんな基本は守っていました。

しかし、中道は登りの裏道とは様子が少々違っていました。上の写真、こんな奇岩や絶壁を横に見たりしながら歩く、なかなかスリリングなコース。

当然初心者のわたしはビビリながらも、景観や珍岩に見入りつつ、楽しんでいました。まだこの時までは…。

 

そのうち、穏やかだったはずの天候に変化がみられました。って雨?嵐?いやいや大それたものではなく、ただ風が強くなってきただけです。しかし、断崖絶壁とまではいかないまでもそれなりの高さと傾斜をもった斜面で風に吹きっさらしになる。これは登山がほぼ初めてのわたしにとってなかなかキツいものでした。そして心の中で思ったことは「なんかしんどい、こわい。やっぱこの道、わたしには高度すぎた。行き登った裏道から降りればよかった。一刻も早く下山したい」です。ちなみに同行者もこの中道は初めてでした。

 

しかし一歩一歩、麓に近づくとそこに1本の分かれ道が。

左に行くとあの安心して登ってきた裏道に行けるという表示がありました。

http://www.town.komono.mie.jp/kankojoho/map/img/map_mt1.gif

地図、見にくいですけど、ちょうどこの地図の中央、「負れ石」「ガレ」の表示の部分から向かって右に伸びる点線の道を表示していたんですね(地図向かって左が山頂です)。

 

で、強風にあおられるのにほとほと辟易し、また疲れから安易な判断をしてしまったわたしたちは、中道から左に折れ、この点線部分を進んでいったのです(点線はサブルートという意味合いと思われます)

 

道に迷う

しばらくは「ここが道ですよ」というチョークの跡、もしくはカラーのビニール紐が木に結んである道標を確認しながら進みました。しかし、そこは道無き道。だんだん道標がわかりにくくなっているのが不安を煽りました。しかし、わたしたちは早く山を降りたい一心だったのでしょうか。とにかく足を進めました。そしてふと気付き、立ち止まった時、時すでに遅し。

 

「ちょっと待って。どこにも道標がない。そもそもここは道なのか?」

「自分たちが来た中道から左手の方に戻りたい裏道があるのはわかる。でも、右と左がわからない」

「そもそも東西南北がわからない」 

「随分ふもとであることはわかる。でも、漠然とした斜面で上と下もよくわからない」

 

 

迷った…わたしたち、迷ってる…。

 

 

そう確信した時の恐ろしさはいまでもリアルです。15年以上経った今でも、人生で一番怖かった経験です。

すがる思いでリュックから取り出したガラケーははっきり覚えてるピンクのツーカーツーカーって携帯会社があった時代の話です。当然圏外の絶望感。また、声も出したと思います。「おーい!」って、力の限りの声で。でもなんの反応もなく、声は山の静けさに吸い込まれただけ。

(同行者は)セミベテランじゃなかったのかよ!?そんな言葉はもちろん言葉には出しませんでしたが心の中で思わなかったかといえば嘘になります。

 

なんとか自力で下山

「パニックになったらいけないよね」

同行者が言ってくれました。そしてキャンディをくれた、とりあえずお茶を一杯飲んだ。なんか今考えても泣けてきます。そこからのことはあまり覚えていません。冷静に、冷静にとにかく「下」と思われる方へ足を進めただけだったと思います(すでに、わたしたちにとって中道へ戻るのは完全に不可能と思われました)。方位磁石も持っていませんでした。

わたしたちのいる場所、そこはただの「山」でした。完全に道は無く草木が茂っている斜面もしくは崖でした。そして日は確実に落ちつつある。

 

その後、上述のように記憶が飛ぶのですが、まだ日が落ちきらない、ギリギリの時刻くらいにわたしたちは山小屋と思われる屋根を見つけました。あれは、多分、行きの裏道沿いにあった山小屋だ!命拾いした心境とはこのことかと。とにかく安堵しました。

 

しかし、その屋根の一角が見えるのははるか下です。道はありません。でも、崖でも斜面でもとにかく下に行くしかない!そう考えたわたしたちはとても立っていられない斜面を腰を落とし、滑りながら降りました。木々に捕まりながら、慎重に。

しかし、バランスを崩し枯れ草や落ち葉の地面で勢いがつきすぎてしまったわたしは、そのまま数十メートルすごいスピードで斜面を滑り落ちてしまったのです。実際数秒だったかと思いますが走馬灯が回りそうになりました。ほんとに、時が止まったみたいでした。

 

気づくと、わたしはせせらぎの岩に額を強く打ち付けて、うつぶせになっていました。頭の中で星が見えるってほんとのことだったんだ、と思いました。ん、口の中に何かが転がっている、と思えば前歯でした。顔を触った手には血液が付いていました。

そのうち、同行者が慎重にわたしのところまで降りて来ました。怪我をしたわたしを心配してくれました。しかし、そんなことどうでも良かった。だって、このせせらぎから向こうにあの山小屋が見えたから。「助かった!!!」わたしはその一心しかありませんでした。

 

その後、川をずぶ濡れになって歩き、山小屋のところへ出てからは必死で、無言で裏道を歩き、登山口の国道のところまで出ました。痛みもあっただろうに不思議と何も感じなかった。国道に出てからは、(額から出血していたので)救急車を呼びたかったけど電話もない。日の暮れた麓には登山客も歩いていない。なんとかヒッチハイクをして一番近い総合病院へ連れて行ってもらいました。

 

その後

CTを撮ったけどどこも骨折していなかった。脳の損傷もなかった。前歯は2本とも継ぎ合わせてもらった。額と唇の部分はムカデみたいな縫い跡が出来た(抜糸したらムカデは消えたけど、お酒を飲むと今でも赤く浮かび上がってきます。キモい)。

でも、打撲は相当で1週間以上痛みで寝返りもできなかった。背中や四肢が真っ黒になるほど内出血していた。

 

でもあれから10何年経って、こうして元気にブログを書いています。富士山にも登りました。

同行者とは、共通のトラウマを抱えたみたいになって、一時期気まずかったけど今も仲良くしています。そして、彼女は今も山に登っている。

 

まとめ

・一寸先は闇。

・登山は慎重に。方位磁石持参で装備はしっかり。初心者は下山は登山と同じ道で。サブルートは通るな。

・この件がどれほど影響しているのかはわからないけど、それからわたしは看護学校に社会人入学で入って、看護師になった。

 

  

長くなってすみません。

一度書いておきたかったのです。自分のためにも。 

 

岳 (1) (ビッグコミックス)

岳 (1) (ビッグコミックス)

(これ、本気でグッときます。) 

 

 

 

以上でした。