女装秘密結社「富貴クラブ」関係写真コレクション(その1) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
2月26日(火)
2月17日の日曜日、新宿某所で「富貴クラブ」の元会員さんHさん(男性)に久しぶりにお目にかかった。
「富貴クラブ」とは、1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社である。
主宰者の西塔哲(さいとうてつ)は、大手タクシー会社の重役に天下った元高級官僚(逓信省→運輸省)で、鎌田意好(かまだいすき)の筆名をもち、戦前からの筋金入りの女装者愛好男性(女装者を愛好する非女装の男性)だった。
「富貴クラブ」は、日本最初のアマチュア女装者の集団「演劇研究会」(1955~58年、主宰:滋賀雄二)の理念と人脈を継承して1959年に結成され、1960年に創刊された性風俗雑誌『風俗奇譚』(編集・発行人:高倉一)と提携し広報媒体とすることで会員数を増やしていった。
西塔会長の独裁的な権限と厳しい秘密保持システムのもと、60年代半ばには専門の女装指導者を置いた「会員の部屋」を運営する本格的な会員制女装秘密結社に成長する。
(参照)三橋順子「日本女装昔話」
【第4回】女装秘密結社「富貴クラブ」(1)
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_04.htm
【第5回】女装秘密結社「富貴クラブ」(2) http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_05.htm
【第12回】「富貴クラブ」のセクシュアリティ
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_12.htm
『女装と日本人』第4章「戦後社会と女装」7節「アマチュア女装者の登場」
【第13回】女装者愛好男性の典型 西塔哲
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_13.htm
「富貴クラブ」は、西塔会長の逝去によって1990年8月に活動を閉じたが、30年以上の長きにわたって、アマチュア女装世界の「名門」として、多くの優れた女装者を輩出した。
「富貴クラブ」に蓄積された膨大な量の女装写真・ネガは、解散のときに秘密保持のためすべて破棄・焼却されたと伝えられている。
しかし、その一部が会員有志によって最後の拠点だった中野区中央2丁目のマンションの一室(「会員の部屋」)から持ち出され、保管されていた。
私は、そのことを11年前に取材で知り、「ご不用になられたときは、ぜひとも研究資料としてお譲りください」とお願いしておいた。
あれから11年が経ち、その時の「お願い」を聞き届けてくださったHさんに、心から感謝申し上げる。
頂戴した写真は、約300点(若干の重複あり)。
残念なことに、メモがある写真は1割強で、ほとんどの写真はデータ不明である。
全体を通覧した感じでは、モノクロが7割、カラーが3割。
アマチュア女装者と思われる方の写真が6割、とプロのゲイボーイもしくは男娼と思われる方が4割。
年代的には、1960年代~1980年代で、まさに「富貴クラブ」の活動期間と一致する。
プロのゲイボーイの写真の比率が高いところから、会員の日常的な閲覧用アルバムではなく、西塔会長の個人アルバムから出た写真である可能性が高いように思う。
「富貴クラブ」関係の写真(プリント)は、先述したような経緯でほとんど残っていない。
わずかに飯田橋の「風俗資料館」に50枚ほどが収蔵されている。
(同館初代館長だった高倉一氏が西塔会長から預かったものと推測)。
私が今まで所蔵していたのも10枚足らずである。
今回、入手した写真群は、多彩な内容をもち、300枚を超える大量であり、「風俗資料館」所蔵コレクションを質量ともに凌駕する。
現存する「富貴クラブ」関係写真コレクションとして最大のものであるとともに、1960~80年代の日本の女装世界の実像を伝える貴重な資料として、他に例のないものである。
現在、「大田碧記念・トランスジェンダー研究所」の学芸員の手で1点ずつ番号を付け写真資料として記録し、さらに電子画像化の作業中である。
作業には、1~2カ月かかると思うが、整理のできたものの内、興味深いものをいくつか紹介する。
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(fu2-42)和装日本髪のゲイボーイ。
写真の裏に「ひばり」と鉛筆書きがある。
西塔哲「“美女”のいる酒場」(『風俗奇譚』1965年4月臨時増刊号)に掲載されている写真と同じで、大阪ミナミ(南区千年町)の高級ゲイバー「なるしす」(マダム順子=橋本順一ママ)に在籍した「ひばり」さんであることがわかる。

(fu2-36)和装のゲイボーイ?
艶やかな訪問着姿でたたずむ女装の男性。
撮影地は、東京日比谷のお堀端(馬場先門?)と思われる。
撮影時期は、1960年代前半か。
鬘ではなく自毛であること、着物の着こなしからして、アマチュア女装者とは思えず、女装のプロ、おそらく女装芸者かと推測している。

(fu1-18)3人の洋装の女装者。
左から佐々木涼子さん、松葉ゆかりさん、小野悠子さん。
いずれも1960年代の「富貴クラブ」の花形会員。
撮影地は、新宿「伊勢丹」デパート。
撮影日時は、1964年(昭和39)6月7日。
『風俗奇譚』1964年9月号に、西塔哲会長の「花のパーティー“富貴クラブ”第2回集会報告」という記事があり、「小野悠子、佐々木良子、松葉ゆかりの三名は、女装のまま、おりから雑踏の日曜日の夕方を、新宿の繁華街をおそろいで散歩です」とある(ポーズが異なるが同様の写真も掲載)。
また、拙著『女装と日本人』221頁掲載の写真(松葉ゆかりさん提供)と一連のもの。


(fu2-21)西塔会長と若い女装者
お気に入りの若い女装者をかたわらにご満悦の西塔会長。
明治時代の末に東京浅草に生まれ、子供の頃に芝居小屋や映画館で見た美しい女形に不思議な興奮と興味を感じて以来、ほとんど全生涯を女装者愛好一筋に費やした「偉人」。
壁面のカレンダーの曜日配列から1974年(昭和49)1~2月の撮影と推定。
2月17日の日曜日、新宿某所で「富貴クラブ」の元会員さんHさん(男性)に久しぶりにお目にかかった。
「富貴クラブ」とは、1960~1980年代に活動したアマチュア女装の秘密結社である。
主宰者の西塔哲(さいとうてつ)は、大手タクシー会社の重役に天下った元高級官僚(逓信省→運輸省)で、鎌田意好(かまだいすき)の筆名をもち、戦前からの筋金入りの女装者愛好男性(女装者を愛好する非女装の男性)だった。
「富貴クラブ」は、日本最初のアマチュア女装者の集団「演劇研究会」(1955~58年、主宰:滋賀雄二)の理念と人脈を継承して1959年に結成され、1960年に創刊された性風俗雑誌『風俗奇譚』(編集・発行人:高倉一)と提携し広報媒体とすることで会員数を増やしていった。
西塔会長の独裁的な権限と厳しい秘密保持システムのもと、60年代半ばには専門の女装指導者を置いた「会員の部屋」を運営する本格的な会員制女装秘密結社に成長する。
(参照)三橋順子「日本女装昔話」
【第4回】女装秘密結社「富貴クラブ」(1)
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_04.htm
【第5回】女装秘密結社「富貴クラブ」(2) http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_05.htm
【第12回】「富貴クラブ」のセクシュアリティ
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_12.htm
『女装と日本人』第4章「戦後社会と女装」7節「アマチュア女装者の登場」
【第13回】女装者愛好男性の典型 西塔哲
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_13.htm
「富貴クラブ」は、西塔会長の逝去によって1990年8月に活動を閉じたが、30年以上の長きにわたって、アマチュア女装世界の「名門」として、多くの優れた女装者を輩出した。
「富貴クラブ」に蓄積された膨大な量の女装写真・ネガは、解散のときに秘密保持のためすべて破棄・焼却されたと伝えられている。
しかし、その一部が会員有志によって最後の拠点だった中野区中央2丁目のマンションの一室(「会員の部屋」)から持ち出され、保管されていた。
私は、そのことを11年前に取材で知り、「ご不用になられたときは、ぜひとも研究資料としてお譲りください」とお願いしておいた。
あれから11年が経ち、その時の「お願い」を聞き届けてくださったHさんに、心から感謝申し上げる。
頂戴した写真は、約300点(若干の重複あり)。
残念なことに、メモがある写真は1割強で、ほとんどの写真はデータ不明である。
全体を通覧した感じでは、モノクロが7割、カラーが3割。
アマチュア女装者と思われる方の写真が6割、とプロのゲイボーイもしくは男娼と思われる方が4割。
年代的には、1960年代~1980年代で、まさに「富貴クラブ」の活動期間と一致する。
プロのゲイボーイの写真の比率が高いところから、会員の日常的な閲覧用アルバムではなく、西塔会長の個人アルバムから出た写真である可能性が高いように思う。
「富貴クラブ」関係の写真(プリント)は、先述したような経緯でほとんど残っていない。
わずかに飯田橋の「風俗資料館」に50枚ほどが収蔵されている。
(同館初代館長だった高倉一氏が西塔会長から預かったものと推測)。
私が今まで所蔵していたのも10枚足らずである。
今回、入手した写真群は、多彩な内容をもち、300枚を超える大量であり、「風俗資料館」所蔵コレクションを質量ともに凌駕する。
現存する「富貴クラブ」関係写真コレクションとして最大のものであるとともに、1960~80年代の日本の女装世界の実像を伝える貴重な資料として、他に例のないものである。
現在、「大田碧記念・トランスジェンダー研究所」の学芸員の手で1点ずつ番号を付け写真資料として記録し、さらに電子画像化の作業中である。
作業には、1~2カ月かかると思うが、整理のできたものの内、興味深いものをいくつか紹介する。
------------------------------------
(fu2-42)和装日本髪のゲイボーイ。
写真の裏に「ひばり」と鉛筆書きがある。
西塔哲「“美女”のいる酒場」(『風俗奇譚』1965年4月臨時増刊号)に掲載されている写真と同じで、大阪ミナミ(南区千年町)の高級ゲイバー「なるしす」(マダム順子=橋本順一ママ)に在籍した「ひばり」さんであることがわかる。
(fu2-36)和装のゲイボーイ?
艶やかな訪問着姿でたたずむ女装の男性。
撮影地は、東京日比谷のお堀端(馬場先門?)と思われる。
撮影時期は、1960年代前半か。
鬘ではなく自毛であること、着物の着こなしからして、アマチュア女装者とは思えず、女装のプロ、おそらく女装芸者かと推測している。
(fu1-18)3人の洋装の女装者。
左から佐々木涼子さん、松葉ゆかりさん、小野悠子さん。
いずれも1960年代の「富貴クラブ」の花形会員。
撮影地は、新宿「伊勢丹」デパート。
撮影日時は、1964年(昭和39)6月7日。
『風俗奇譚』1964年9月号に、西塔哲会長の「花のパーティー“富貴クラブ”第2回集会報告」という記事があり、「小野悠子、佐々木良子、松葉ゆかりの三名は、女装のまま、おりから雑踏の日曜日の夕方を、新宿の繁華街をおそろいで散歩です」とある(ポーズが異なるが同様の写真も掲載)。
また、拙著『女装と日本人』221頁掲載の写真(松葉ゆかりさん提供)と一連のもの。
(fu2-21)西塔会長と若い女装者
お気に入りの若い女装者をかたわらにご満悦の西塔会長。
明治時代の末に東京浅草に生まれ、子供の頃に芝居小屋や映画館で見た美しい女形に不思議な興奮と興味を感じて以来、ほとんど全生涯を女装者愛好一筋に費やした「偉人」。
壁面のカレンダーの曜日配列から1974年(昭和49)1~2月の撮影と推定。
2013-02-27 02:39
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