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■絵本作家・安野光雅さん

 自分の絵がはじめて売れたのは34歳のころ。東京で代用教員をしながら、美術の教科書や児童図書の編集や装丁をやっているうちに、せっかちだから、何とか食べていけると考えて教員をやめました。

 生家は宿屋で、父は年をとるし、絵の専門教育を受ける余裕はありませんでした。この仕事につけたのは、みんな亡くなりましたが、いい友達に恵まれたこと。楽天性のおかげともいえます。

 絵を一生の仕事にしたのだから、ヨーロッパの名画や風景を自分の目でみる必要があると思い、1960年代に2回欧州に出かけました。2度目はコペンハーゲンからローマまで車を運転して旅をしました。

 一部の都市は別にして、ヨーロッパも田舎だと貧しくみえたし、みなつましい暮らしをしていました。色々な人に出会って、西洋の歴史や文明に対する劣等感がなくなりました。外国とは文化がまず違うのですが、例えば屋根はみなとがっているように、暮らしの本質は変わらないのだと感じました。

 その見聞を生かして、「旅の絵本」シリーズを描きました。それには言葉はなく、絵だけで旅人がヨーロッパの町や村を馬で旅していく様子をふかんの目で描きました。旅人の視点は私の視点でした。

 いろんな場所でいろんな人が生活していました。それぞれの人間のドラマがありました。そういう人々の暮らしを描いてみたいと思いました。

 大人向け、子ども向けという意図はありません。絵からその人が楽しんだり、驚いたり、その人の視点で何かを感じたり、考えたりできる。絵本はそういうものだと思っています。

 子ども向けの物語は、教訓的で美談が多いように思うのですが、私は美談の中に潜む偽りを警戒します。それは戦争体験があるためかもしれません。

 たとえば、「走れメロス」。メロスは、王が乱心して人を多く殺し、人民を苦しめていると老人から聞いただけで激怒し、裏もとらないで「僕がいさめる」と刃物を持ったまま城に入って捕らえられます。