デレマスの話を非常に乱暴に整理すると「『どのような』アイドル」を目指すかの『どのような』を論点として提示するのがみしろ常務側で、「アイドルとは『どのような』存在か」の『どのような』を論点として提示するのがプロデューサー(P)側、という対比がポイントになっていると思う。
常務は346というブランドに強くこだわりながら、アイドルそれぞれを『どのような』アイドルであるか方向づけようとしている。たとえば346というブランドイメージにそぐわないアイドルが仕事を干されたり(うさみん)、これまでと異なった方向性のアイドルとして売りだされたり(美嘉姉)、ガチガチにプロデュースされたロックなアイドルユニットとして売りだされようとしたり(なつきち)、などなど。
一方でアイドルをスカウトした理由を「笑顔です」としか説明しないPは「パワーオブスマイル」というキーワードを掲げている。Pは常務がアイドルそれぞれのあり方を強制することには反発しているけど、アイドルが自発的にみしろ常務のプロデュースに乗っかる時は応援している(アーニャ、しぶりん)。『どのような』のアイドルを目指すか、はアイドル個々がやりたいようにやるべきであって、自分の仕事は「アイドルとは『どのような』存在か」の『どのような』にあたる『笑顔を届ける』という部分をプロデュースすることだと考えているように思える。だから、常務のプロデュースとは反発し合う場合もあるけど、噛みあう時もある。
常務の登場によってアイドルそれぞれが『どのような』アイドルを目指すか、という方向性を探り、見つけはじめる中で、島村卯月さんは『どのような』アイドルを目指すかを見つけられずに精神を病んだ(精神を病んだ島村卯月さんかわいすぎてドキドキする)。自分が『どのような』アイドルになる(なりたい)かを見つけれなかった、というのは、島村卯月さんのアイドルになりたいという動機が方向性を持たない曖昧な憧れで、アイドルになった今においても曖昧な憧れから変化していなかったから、だと考えられなくもない。
お話が鬱エンドでないとするならば、島村卯月さんは「『どのような』アイドルになりたいか」を見つけてハッピーエンドを迎える、と考えられなくもないが、少なくとも私はそうは思わない。冒頭で提示したように常務とPの論点は異なっている。つまり、どちらかが論破される、という形で終わるのではなく、少なからず干渉し合いながらも互いに論点を受け入れるという形をとることが出来る。
島村卯月さんは、アニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」のアイドルおけるセンターとして扱われている存在だ。センターが作品を強く象徴するポジションであるならば、島村卯月さんは作品が掲げるテーマを他のアイドルに比べて少なからず多く背負わされている、と考えられなくもないだろう。Pは作品の序盤から「笑顔です」と執拗に言い続けてきた。この「笑顔です」が「アイドルとは『どのような』存在か」という作品を通じて補完されるべき(意図して言葉足らずにされていた)答えであり、テーマであるとするならば、島村卯月さんはそれを表現する役目を強くおっている。
つまり島村卯月さんは「『どのような』アイドルになりたいか」を見つけるのではなく、「シンデレラガールズ」という作品にとっての「アイドルとは『どのような』存在か」を見つけなければならない。よって『12時までの魔法』がとけて笑顔が失われてしまった島村卯月さんが『どのような』の転換をへて『12時過ぎの魔法』にかかるのか、が以降の話の見どころになる、のではないだろうか。