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【社会】

戦争はむごい 本紙記事に投書 横浜の渡辺さん「安保法案に怒り」

「戦争は私たちから青春を奪い、耐えることを強いた」と語る渡辺礼子さん=横浜市保土ケ谷区の自宅で

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 アジア太平洋戦争で精神障害を負い、今も入通院している元兵員の存在を伝えた本紙記事「戦後70年 消えぬ心の傷」(八月二十八日朝刊)をきっかけに、横浜市の渡辺礼子さん(86)が「胸に納めてきたことを話したい」と投書を寄せた。「戦争のむごさを知れば、若者を危険な戦地へと送る安全保障関連法案を通せるはずがない」と憤る。 (安藤恭子)

 終戦間近、陸軍の兵隊事務を扱っていた埼玉県の浦和連隊区司令部。粗末な石油缶に入れられた白い遺骨が、畳一枚ほどの台の上に広げられた。「なんと気の毒なこと…」。勤労奉仕のため司令部で働いていた女学生の渡辺さんは涙をこぼし、遺族に渡すため粉末のような骨を一つまみずつ半紙の袋に入れた。

 骨はまぜこぜで、誰の骨かは分からない。自分の家族と信じ、白木の箱を抱えて帰る遺族の心を思い、渡辺さんはこの事実を胸の奥に封じ込めてきた。

 戦死や負傷をした県内の兵隊のリストを書き写す作業をしていて、「精神分裂症」(統合失調症)の記述を多く見たのもこの頃だ。二十人ほどが記された一枚の書類に何人もいた。「亡くなった人は、爆弾の恐怖でおかしくなって、自死されたのだな」とぼんやり悟った。

 精神障害で入通院する元兵員の存在を伝える本紙記事に、司令部での体験が結び付いた。「戦争の記憶は、決して消えませんから」

 一九四一年、医師を夢見て浦和第一高等女学校に入学した。しかし二年の途中で授業はなくなり、セーラー服はもんぺの作業着になった。司令部業務のほか、農作業や軍服の縫製に徴用。終戦の年の春、同級生らと一年繰り上げで卒業させられた。

 空襲が激しさを増し、進学はあきらめた。「私の青春は戦争に奪われ、我慢ばかりが得意になった。誰にも同じような思いをさせたくない」と願う。安保法案の国会審議をテレビで見るたび、「自衛隊員を海外の戦地に送ろうというのに、議論があまりに軽々しい。戦争の恐ろしさを知らなすぎる」と怒りが込み上げる。

 終戦翌年の正月、出征していた兄三人を含めた家族全員で迎えられ「こんな幸せなことはない」と感じた。「それから七十年も平和が続いたことに感謝している。今、この法案を通す必要性はあるのですか」と厳しく政治に問い掛ける。

 

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