序文

写真上)倉庫 "商談室"を標榜しつつ、大量の雑貨が積み上げられた倉庫状態。“ダイソー”らしい光景
写真下)応接通路の一角にある、簡易応接ブース。どんな企業のトップも要人も、ここに通される。
「いらっしゃいませえーー!!」
東広島市の工業地域。一歩、社屋の玄関に入ったとたん、何十人…百人以上か…社員の大合唱に迎えられ、わたし(ハヤカワ)は、腰が抜けそうになった。巨大倉庫を改造した社屋は、各セクションごとにブースで仕切られた吹き抜け状態で、「部屋」らしい部屋が殆どない。
訪れる客は全社員から注視され、歓待の挨拶を浴びる、と噂には聞いていたが…。あわあわと、米つきバッタのように頭を下げながら社屋を進むと、シュレッダーばさみなどの文具、本格工具から、折り畳み傘、土鍋セット、洗剤類など生活雑貨、CD、ゲームソフト、乾電池セット、そして法事マニュアル、東京二十三区地図、和英辞典といった書籍まで――。
公私ともに日頃お世話になっているような商品が、そこかしこにうず高く陳列されている。「こんなものまで100円ですか!?」という、十数年前の感激こそ薄れ、全生活の1〜2%以上は、確実に“ダイソー”製品の恩恵に浴している気がする。
この「1%」という数字、実は、いま日本の総輸入貨物量における“ダイソー”のシェアにあたるという。つまり国内に運びこまれる、全ての貨物コンテナを100個とするなら、そのうち1個が“ダイソー”のものである。莫大な…。ここに至るまでの七転八倒の過去を、矢野社長は、近年は語りたがらなかった。会社が巨大になっていく過程で、倒産の恐怖にかられ、昔を述懐する心境ではなくなっていたという。
それを再びお聞かせくださいとお願いするとーー。100円ネクタイ、100円サンダルでせかせかとやってきた社長は、奇妙な駄洒落と、否定の言葉を連発した。
(以下、敬称略)
唯言その一
◆わしは運も能力もないけぇ、災難に遭っても、この仕事をやめられんかった。...(次ページへ)