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【社説】

辺野古取り消し 苦難の歴史こそ原点だ

 米軍普天間飛行場の「県内移設」を認めない決断は重い。翁長雄志沖縄県知事が名護市辺野古沖の埋め立て承認の取り消しに向けた手続きに入った。安倍政権はすべての作業を直ちに中止すべきだ。

 前知事によるものとはいえ、県が一度許可した辺野古沖の埋め立て承認を取り消すのは、やむにやまれぬ気持ちだったに違いない。

 翁長氏はきのうの記者会見で、八月から一カ月間行われた、辺野古移設をめぐる政府と県との集中協議を「私が言葉を尽くしても、聞く耳を持たないのか、そういう感受性がないのか、理解いただけないということだけは感じた」と振り返った。

 集中協議で、県側は沖縄が歩んできた苦難の歴史を訴えた。

 戦後、米軍の軍政下に置かれた沖縄では、住民の土地が米軍用地として「銃剣とブルドーザー」で強制的に収用されたことや、沖縄駐留の海兵隊は反対運動の激化に伴って日本本土から移駐してきたこと、などだ。

 本土復帰後も、狭隘(きょうあい)な土地に在日米軍専用施設の74%が引き続き集中し、県民は騒音や事故、米兵による犯罪など、米軍基地に伴う重い負担を強いられてきた。

 沖縄県民が歩み、今も強いられている苦難の歴史と向き合わなければ、米軍基地負担をめぐる不平等感は解消できまい。しかし、政府側の対応は不誠実極まりない。

 沖縄基地負担軽減担当相を兼ねる菅義偉官房長官は、沖縄側の主張を「賛同できない」と一蹴し、「戦後、日本全国が悲惨な状況の中、皆さんが苦労して豊かで平和な国を造り上げた」と指摘した。

 焦土の中から復興を成し遂げ、平和国家を築き上げた先人の努力はたたえられるべきではある。

 同時に、沖縄が国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模な地上戦の戦場となり、県民の四分の一が亡くなった凄惨(せいさん)な歴史や、戦後、米軍政下で強いられた「特別の時間」に思いを至らせなければ、米軍基地の集中で今も続く、県民の「魂の飢餓感」は癒やされまい。

 ましてや集中協議が決裂したからといって、一時中断していた作業を直ちに再開するようでは、沖縄の声に耳を傾ける誠意がそもそもあったのか、疑わしい。

 翁長氏は国連人権理事会でも沖縄をめぐる現状を訴えるという。そこまで追い詰められている証左だろう。政府が今すべきは、埋め立て承認の取り消しに法的対抗措置をとることではなく、沖縄の歴史を学び直すことである。

 

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