宇宙政策シンクタンク「宙の会」は、宇宙政策について調査、議論し、提言することを目的にしています。多くの欧米のシンクタンクに見られるように、下請的調査ではなくて、中立、公平な立場での政策提言をめざします。そのスローガンは「静かな抑止力」。宇宙活動を世界標準並みに、科学技術力、将来産業力、環境・災害監視力、国際協力と外交力、という国の総合的ソフトパワーに活用すべきとの考えです。

不思議な40日間

中国の衛星破壊実験の不思議

中野不二男

 人に危害を加える行為は、やがては自分に跳ね返る。「天に唾す」るようなことをしてはいかんと、祖父によくいわれたものです。この諺の出所は中国ですが、もとは仏教を漢訳した最初の経典、「四十二章経」に記されている言葉だそうです。中国の、後漢時代の終わりから三国時代にかけてまとめあげられたであろうといわれています。その「四十二章経」に、「悪人の賢者を害するは、猶(なお)天を仰ぎて唾するがごとし。唾天を汚さず、還って己が身を汚す」(Wikipedia)とありました。

 

「Chinese Test Anti-Satellite Weapon :中国の衛星破壊実験」というタイトルの記事が、アメリカの航空宇宙専門誌「エヴィエイション・ウィーク(Aviation Week & Space Technology)」Web版に出たのは、1月17日でした。ご存じのように、中国のミサイルによる中国の衛星破壊を伝えた第一報です。でも、ショッキングな事件のわりには、AW & STの記事のタイトルは、拍子抜けするぐらい落ち着いたものだったと思います。しかし案の定その翌日から、各国の政府は懸念や抗議の声明を出していました。

それにしても、不思議な話です。中国政府は、これだけの事件を起こせば世界中から非難されることぐらい、百も承知だったはずです。それにもかかわらず、なぜミサイルによる衛星破壊実験など、あえてやったのでしょうか。

                 風雲(Feng-Yun)1C

 中国が破壊したのは、1999年5月に長征4Bで打ち上げた気象観測衛星「風雲(Feng Yun)1C」です。運用軌道は、太陽同期の高度870キロメートルで、設計寿命は2年でした。AW & STでは、この古い衛星を標的として、弾道ミサイルに搭載していた「kinetic kill vehicle キネティック・キル・ビークル」で破壊したと伝えていました。キネティック・キル・ビークルとは、「動的破壊宇宙機」とでもいうのでしょうか。ようするに衛星に体当たりする機体です。

衛星の破壊実験は、アメリカも旧ソ連も過去にはいろいろやっていました。旧ソ連は、爆薬内蔵の小型の衛星を打ち上げ、標的の衛星と同じ軌道に投入し、標的に近づいたところで爆破するという、みなさんご存じのキラー衛星による“自爆テロ”です。アメリカは、小型ロケットで攻撃するというやり方でした。

こうした経緯がありますから、中国の立場に立てば、「おまえらだってやっているだろ!」という主張がとおります。つまりは軍縮の問題になるはずです。しかしロシアもアメリカも、衛星破壊実験はやめました。アメリカの場合は、議会でも反対されました。もちろん、宇宙空間で衛星を破壊すれば、その破片によって自国の衛星をも損傷する可能性が高くなるからで、まさに「天に唾す」る行為だからです。

ならばなぜ、中国はそのようなことをしたのでしょうか。国連で進めている宇宙の軍拡競争防止条約の制定に、アメリカが加わろうとしないので、参加を迫る強いメッセージだという解釈もあります。しかしメッセージとしては、あまりにも強引すぎるし自国にとってもマイナスになることは明白ですから、どこか不自然です。

中国政府が衛星破壊実験を公式に認めたのは、AW & STの第1報が出てから5日後の22日です。6カ国協議で訪中していたアメリカのヒル国務次官補に「破壊実験をした」と伝え、翌23日には外務省報道官が記者会見で発表しました。その後、世界各国から非難が出ます。そして1月の31日、中国政府の外交部は、メッセージを発表しました。

「中国政府は一貫して宇宙の平和利用を主張し、宇宙の軍事化と軍拡競争に反対してきた。われわれは、国際的な法的文書の締結が、宇宙の軍事化と軍拡競争を防止する最良の道だと考える・・・。我々は、宇宙は全人類の共通財産であり、平和利用目的に利用されるべきだと主張する。この面で国際協力を強化していきたい。宇宙の軍事化と軍拡競争に反対するという、われわれの立場に変更はない」(「人民網日本語版」1月31日)

奥歯にものがはさまったような内容というか、軍拡反対は述べていますが、衛星破壊を正当化する文言は見あたりません。論点をずらしているといってよいでしょう。いったい破壊実験の本当の目的は、何だったのでしょうか。

これについて、「宙の会」の投票箱「掲示板」(2月14日)に、“以上・杉”さんから、「古い用済み衛星をターゲットにしているためドッキング実験は出来ず、接近実験までやったところで失敗してぶつけてしまったのではないか?」というコメントが寄せられました。たいへん興味深い指摘です。そこで、さらにその背景を考えてみました。

 まず中国は、2006年の10月に出した「宇宙白書」で、重要なプロジェクトとして次の5項目を挙げています。

(1)有人宇宙飛行

(2)月探査

(3)地球観測システム

(4)ナビゲーション・システムの構築

(5)大型ロケットの開発

(1)は、いうまでもなく「神舟」シリーズよる有人宇宙飛行計画です。「神舟」シリーズによる有人宇宙計画は、宇宙飛行士が2名搭乗した「神舟6号」は、すでに成功しています。次の7号では船外活動、そして8号と9号でランデヴー・ドッキング、という流れです。中国が有人宇宙計画を進めるためには、このランデヴー・ドッキングの技術は必要不可欠です。しかしその技術を持っているのは、現在のところ米ロと日本だけです。日本は、ご存じのように1998年に、技術試験衛星7号の「おりひめ」と「ひこぼし」で、何回も成功し、評判になりました。

有人宇宙活動をおこなう場合、宇宙ステーションや物資輸送機との結合に、ランデヴー・ドッキング技術を修得しなければなりません。そうであれば、今回の衛星破壊が、 “以上・杉”さんが書いているように、接近実験中の失敗だったのかもしれないという見方は、きわめて理にかなっているのではないでしょうか。中国が宇宙白書にあげている、5つのプロジェクトの筆頭が有人宇宙飛行であることとも符合します。また、そうした視点に立つと、雲が晴れて全体の流れが見えてくるように思われます。

まず実験があったのは、1月11日です。そしてAW & STに出たのが17日で、情報の発信源はNASAやCIAなどの機関だったようです。これらの機関は、「風雲1C」が「kinetic kill vehicle」で破壊されたことを把握していながら、なぜ1週間近くも伏せていたのでしょうか。

ここからは推測ですが、当初アメリカ政府は、中国の真意をはかりかねていた・・・。しかし「kinetic kill vehicle」の正体が兵器などではないことに感づき、この事態を“活用”しようとした・・・。そして「衛星破壊実験」という形で、AW & STをつうじて公表した。そのうえで中国政府がどのような声明を出すのか、様子見をしていたのでしょう。

これに対し、中国政府も対応に苦慮していた・・・。ランデヴー実験の失敗だったことを公表すれば、各国からの非難が終息することは期待できる。が、いっぽうで、ランデヴー・ドッキングの技術力不足を認めることになる。と同時に、“以上・杉”さんが指摘するように、「この実験失敗で中国の月探査計画或いは自前宇宙基地計画が遅れるのではないかとか」、例の5つのプロジェクトにも影響が出るかもしれません。AW & STの第1報から5日間も中国が沈黙していたのは、失敗を認めるか否か検討していたのではないでしょうか。

そして選択したのは、アメリカの主張をそのまま利用した衛星破壊実験だった。しかも転んでもタダでは起きないというか、実験失敗を兵器の実験にすり替え、“成功”として発表した。アメリカとしては、こうした中国の選択は“想定内”だった。9日後の31日、連邦議会の共和党議員たちは、アメリカの衛星保護に向けた対策に国防予算を計上するよう、ブッシュ大統領に提案しました。予定どおりの事態の活用だったとしても、不思議ではないでしょう。

すると12日後、今度は中国がひじょうに“示唆に富んだ”対応をします。“以上・杉”さんが指摘していた2月13日の読売新聞には、次のような記事が掲載されました。

「自民党の額賀福志郎・前防衛長官は12日、北京市内で中国の曹剛川国防相と会談した。額賀氏が、1月に中国が行った衛星破壊実験について抗議したのに対し、曹国防相は『今後、(衛星破壊)実験をする考えはない』と明言した。ただ、曹国防相は実験に対する批判については『科学技術上の実験であり、いかなる国も対象とせず、いかなる国の脅威にもなっていない。国際条約に反していない』と述べ、実験は正当だと訴えた。」

軍事を担当する国防相が、「科学技術上の実験であり・・・」と弁明するのも妙ですし、今後、実験をする考えはない、と明言しているのも、何をかいわんやです。このころから、“衛星破壊”にかんする各国の中国非難は、終息していったように思われます。さらに1週間後の2月21日には、国連の宇宙空間平和利用委員会の小委員会で、「地球を回る軌道上の飛行体の意図的破壊禁止」が採択されました。

1月11日の“事件発生”から、たったの40日間。衛星破壊のことは、不思議なくらい話題にも上らなくなりました。

credits: 風雲1C画像_FAS(Federation of American Scientists)