6月にトルコでは国会の任期満了に伴う総選挙が実施された。2002年からおよそ13年間単独政権を維持していた与党・公正発展党(AKP)はそれまでの経済実績をアピールしたが、初めて国会で過半数を失った。その後の与野党間の連立政権樹立に向けた協議は失敗に終わり、エルドアン大統領は8月24日、ついに再選挙を行うことを決定した。トルコの有権者は11月1日に今年2度目の総選挙に臨むこととなる。
エルドアン大統領は、6月選挙で過半数を割り込んだ出身母体のAKPが、11月選挙では勢力を回復することを期待している。しかし本稿執筆時点で与党の支持率は戻っておらず、再選挙が政局打開につながる見込みは薄い。11月以降も政治的空白が続く恐れがある。
首都アンカラで連立協議が続く中、トルコ南東部では情勢が急速に悪化した。クルド人武装組織「クルディスタン労働者党」(PKK)は7月上旬にトルコ政府との停戦を破棄しトルコ軍に対する攻撃を再開した。7月下旬には過激派組織「イスラム国」によるものと思われる自爆テロで33人が死亡する一方、PKKがトルコの警官を殺害する事件も発生する。
その後トルコ軍はシリア北部の「イスラム国」とイラク北部のPKKの拠点に対する空爆に踏み切った。国内では、PKKによるトルコ軍を狙った攻撃が連日発生し、兵士だけではなく民間人にも犠牲者が出ている。
ここ数年トルコで民主主義の退行が指摘される中、6月総選挙では有権者が与党の求める大統領制への移行に異議申し立てを行い、一方ではクルド系政党を初めて国会に送り込むなど、トルコの民主化の行方に一定の希望を与える結果に終わった。しかしその後の政治状況はむしろわれわれを悲観的にさせるかたちで推移している。そこで本稿では、6月総選挙の結果を踏まえた上で、7月以降の政治状況をまとめ、「イスラム国」とPKKに対するトルコの政策を検討する。
6月総選挙で与党は初めて過半数割れ
まず6月7日に行われた総選挙を振り返ろう。トルコの国会は一院制(定数550)で、選挙前は与党・公正発展党(AKP)が311議席を有し過半数を握っていた。選挙の最大の争点は、議院内閣制から大統領制への移行の是非であった。
昨年にトルコでは初めて国民の直接投票による大統領選挙が実施され、当時はAKPの党首であったエルドアンが選出された。国会議員にではなく国民に選ばれた大統領として、エルドアンは「走り回って汗をかく大統領になる」と宣言した。つまり、従来の象徴的な大統領ではなく、積極的に政治を牽引する大統領を目指すとの姿勢を明確にした。
しかし、現行の議院内閣制では大統領の権限は限られており、エルドアン大統領は憲法を改正し、執行型大統領制への移行を訴えた。野党側は、こうした制度変更は大統領による独裁につながると反対した。しかしエルドアン大統領にとって、「国民の意思」を体現する大統領が政治の中心となる大統領制こそトルコの民主化プロセスの総仕上げである。
こうしたことからエルドアン大統領は選挙前、大統領職に求められる中立性を無視してまで有権者に与党支持を訴えた。しかし、有権者の多くは今回の選挙で大統領制を拒否した。AKPは改選前から53議席も減らし258議席に終わり、初めて過半数を割り込んだ。ダウトオールAKP党首は選挙後、「国民は大統領制を望まなかった」と述べた。
一方、共和国建国の父で初代大統領のアタテュルクのイデオロギーを受け継ぐ世俗派の共和人民党は7議席増やして132議席、トルコ民族主義を掲げクルドとの和平に強く反対する民族主義者行動党(MHP)は28議席増の80議席、そしてクルド系の人民民主党(HDP)は50議席増やし80議席を獲得した。
AKPが過半数を割り込んだ大きな要因がHDPの躍進であった。AKPとHDPはトルコ南東部を中心にクルド票を取り合う競合関係にある。これまではAKPのクルド政策とPKKとの和平交渉に期待するクルド人の多くが与党を支持してきた。しかしAKPに対するクルド人の支持は昨年来低下傾向にあった。トルコ政府はシリア北部のクルド人の町コバニが「イスラム国」に襲われた際、コバニ支援を訴えるトルコ国内のクルド人の声に応じず静観の態度を示した。また、2013年にトルコ政府が正式に開始したPKKとの和平交渉も停滞し、クルド人は不満を強めていた。
一方、クルド政治運動を支えるHDPは、クルド票を固めるとともに、政府に対する批判票も一部取り込み、国会で議席獲得に必要な10%の得票に成功した。これまでのクルド系政党は、10%の足きり条項を避けるために候補者を無所属で立候補させ、当選後に院内会派を立ち上げてきた。しかし昨年の大統領選挙に立候補したセラハッティン・デミルタシュHDP共同党首が10%に迫る得票を得たことで、今回初めて公認候補を立て、政党として選挙を戦う決断に踏み切った。
HDPが足きり条項を乗り越えて国会で議席を獲得したことで、その分AKPは議席を大きく減らすことになった。もし逆にHDPが得票率10%未満に終わっていたとしたら、AKPはその分の議席を獲得していたはずである。
ただし、AKPは改選前から議席を大きく減らし全国レベルで支持率を落としたものの、地域別に見ると今でもトルコで唯一の全国政党であることは忘れてはならない。HDPの地盤はクルド人の多い南東部、CHPはエーゲ海沿岸を中心とするトルコ西部で支持を固めたが、これ以外の選挙区でAKPは比較第一党のままである。
連立協議の空転とシリア国境の緊張
選挙から1カ月後の7月9日、エルドアン大統領はようやくダウトオールAKP党首に組閣命令を下した。ダウトオール党首に与えられた時間は45日間で、この間に組閣できない場合、大統領は憲法にしたがい再選挙に踏み切ることができる。ダウトオール党首は最大野党のCHPと連立協議を8月まで続けたが、最終的には協議は決裂した。外交や教育政策をめぐり両党の溝が埋まらなかったとも言われている。しかし、政治改革などを実行するために長期連立政権を求めるCHPに対して、AKPはあくまでも早期再選挙を睨んだ選挙管理内閣の成立を求めていた。つまり、そもそも両党は連立枠組みをめぐって対立していた。
連立政権をめぐって政治的空白が続く中、トルコの安全保障環境は7月から急速に悪化していった。7月11日にはPKKがトルコ政府との停戦破棄を発表し、アルダハンやアールなどトルコ東部でトルコ軍の車両などに発砲するなどテロ活動を再開した。
20日にはトルコ南東部でシリア国境のスルチという町で「イスラム国」によるとみられる自爆テロが発生し、33人が死亡、100人以上が負傷した。スルチの自爆テロは、シリアのコバニの復興支援を行うクルド人らの集会を狙ったことから、PKKは「スルチ事件は『イスラム国』に対する厳しい措置をトルコ政府が怠った結果」と判断、報復として22日にはシリア国境のジェイランプナルで警備中だったトルコの警官2人を殺害してしまう。
PKKの停戦破棄、スルチの自爆テロ、ジェイランプナルでのPKKによる警官殺害事件を契機として、トルコ政府はそれまでの方針を転換、7月24日、シリア北部の「イスラム国」に対する空爆に踏み切ると同時に、イラク北部およびトルコ南東部のPKKの拠点に対しても空爆を開始した。また、「イスラム国」への空爆にトルコ国内の基地使用を米軍にトルコ政府が許可したことも判明した。【次ページにつづく】